石谷駅
今回の北海道の駅廃止では、函館に近い、道南の駅も廃止になっています。石谷、本石倉、池田園、流山温泉、銚子口の5駅です。流山温泉は最近の設置ですが、あとの4駅は50年以上前に行った時から存在していました。函館に近いところでも、沿線の利用客がさらに減っていることが分かります。石谷は、昭和5年に信号場として開設、その後、駅に昇格しています。森を出た函館本線は、噴火湾沿いを走り、石谷、本石倉、石倉と「石」の付く駅名が3つ続きます。「石谷」の語源は、付近の「石倉」「蝦谷」の地名を合成したものでした。▲今回廃止になった石谷駅を通過する、D52 142の牽く上り貨物、下り普通列車に乗り、交換のため石谷に停車中に通過して行った。当時は前後区間は単線ながら、貨物から特急まで、多くの列車が運転されていた。D52の牽く長大貨物は、いったん停車すると、発車するのがたいへんだから、途中駅では旅客列車を待たせて、貨物を通過させる、優先ダイヤになっていた。太平洋戦争では、船舶輸送が危機に瀕した際に貨物輸送の転換(陸運転移)を進め、とくに石炭輸送の中枢だった函館本線函館~長万部では、交換のための信号場として、東山、森川、桂川、本石倉、鷲ノ巣、北豊津を設置した、のちに森川以外は、すべて駅に昇格した。ただ、もともと人家も希薄なところへ交換のための設置で、これらの駅も、今改正ですべて廃止になったことになる(昭和44年9月)。
石谷で撮ったのは、上掲の一枚だけでしたが、意外な展開がありました。牽引機のD52 142は、吹田第一区から転属し、新任の五稜郭区で、函館・室蘭本線の貨物を牽き始めたばかりで、その前年11月に、DRFCの見学会で、吹田第一区へ行った際に、みんなで同機を写していました。もう一両いたD52 28とともに、集煙装置を付けた珍しい姿でした。当機は昭和19年に製造後、長く吹田第一区にいて、昭和44年3月に五稜郭区に転属したものの、同年9月19日付けで廃車になり、北海道では、わずか6ヵ月だけの活躍でした。ネット情報によると、吹田一区時代に事故で損傷し、その直後に北海道へ渡ったのは、部品取りの目的だったのではと書かれていて、本線での貨物牽引は、珍しいシーンだったのかもしれません。▲DRFC見学会で吹田第一区へ行き、その際に集煙装置付きのD52 142を撮っている。その後に五稜郭区へ転属、10ヵ月後に石谷で同機と再会することになる。
▲区で撮影したあと、近くの城東貨物線へ行き、大カーブを行く同機も写していた。現在は、おおさか東線となり、ダイヤ改正で221系が走っている。