西日本豪雨の爪あとは深く

逆走する台風12号のおかげで西日本各地の鉄道は またしても運転見合わせとなっています。とは言えこれは一時的なストップで済みそうですが、問題は先の豪雨によって寸断されている鉄道の復旧です。

平成30年7月28日 中国新聞朝刊

山陰線への迂回輸送がそんなに難しい話なのかと首を傾げたくなりますが、合理化に邁進した結果 選択肢が全くなく 臨機応変の対応ができない国土にしてしまった責任はどこにあるのでしょうか。

幹線もさることながら、ローカル支線は瀕死の状況です。

平成30年7月29日 中国新聞朝刊

福塩北線は途中駅での夜間留置はなく、三次と府中の始発、終着ですから、写真の上下駅のキハ120は多分途中で運転打ち切りになった列車でしょう。道路が復旧しないと代行バスも走れないことは理解できますが、幸い夏休みに入っているから良いようなものの通学生にとっては不安な夏休みでしょう。

ここからは余談ですが、今回のような天災や事故などで列車の運転が出来なくなった際、船や飛行機ははっきり「欠航」と告知されるのに対して、鉄道では思わせぶりな「運転見合わせ」という曖昧な言い回しを多用するのはなぜでしょうか?「一時運転中止」、「運転休止、運休」と言えば良いのにと思います。また駅の電光掲示板の表記もこういう場合には「調整中」と表示されるのが多いのも全く解せません。「何を調整しているのか?」と駅員を問い詰めたくなります。外国人観光客をアテにするというなら、曖昧な表現は止めて 誤解を受けない直截的な表示にすべきと思うのは私だけでしょうか。

西日本豪雨の爪あとは深く」への3件のフィードバック

  1. 西村雅幸さま
    言われてみれば確かに「見合わせ」とは曖昧模糊とした表現ですね。いわゆる業界用語というやつでしょうか。事変の発生時に取り敢えず天候や点検などの様子を見るので「見合わせ」ている、という責任回避(まあ外部理由によるのは間違いありませんが)的な匂いが芬々としますね。ただその結果影響が軽微なのでほどなく再開するする場合も無くはないため、いつの間にか定着したのではないでしょうか。都市圏の短距離電車などではよく使われますが、長距離特急などでは割にはっきりと「運休/とりやめ」と言っていることもあります。
    しかし福塩北線の事態は深刻ですね。仮に復旧に1年もかかるのならいっそ止めたいというのが本音なのかもしれません。だから復旧にも手が回らないのでしょう。また他輸送機関との置かれた立場の違いもありますね。道路は国や地方自治体が復旧してくれますが、鉄道は自前でしなくてはなりません。イコールフッティング論です。もちろん鉄道にも補助は出ますが
    、先ずこの話を関係者と詰めてからということになるので、開通まで数か月~何年という悠長な話になるようです。余談ですが数年前に中央西線の南木曾近くで橋梁が流されましたが、延長が比較的短かったこと、東海社にとって基幹路線であったこと、夏季の稼ぎ時であったことなどから、僅か一か月で復旧したことがあります。恐らく事前調整は河川管理者との架橋関係のみで工事にかかったはずで、まあいってみれば東海社だからできたことかもしれません。廃止(予定)候補の路線ではとてもこうはいかないでしょう。
    そうこう考えるとやはり30年前のJR化に問題があったと言わざるを得ないと思います。赤字解消と組合潰しだけが先行して、国民の足と輸送手段をどうするかの視点が欠落したままで、その後も一向に見直しや再議論の兆しもないことで段々と深刻化していくのではと危惧します。

  2. 西村雅幸様
     台風12号が有史以来?東から西に進みましたね。今九州上陸といっていますが、広島の雨は続いているのかもしれません。改めてお見舞い申し上げます。
     被災された方々のお辛さは、正直その方しか分かりませんね。いろいろ自分の経験から想像しても・・・こらえて、暫くしたら、少しでも前を向いて下さいとしか・・・
     インフラの損壊は大打撃ですが、鉄道はそのトップクラスのものですね。先日のニュースで西条駅が写っていました。暫く前に皆さんと集合した場所が。山陽線が不通で大変だと・・・酒造メーカーさんを取り上げていましたが、お世話になった「白牡丹」の島さんもと思うと・・・
     一日も早い復旧をと思いますが・・・阪神大震災のことを思い出しています。西北~夙川、伊丹駅、三宮駅等大惨状でしたが、6月末に開通できました。普通だったら1年以上かかる高架の復旧を7工区に分けてよーいドン、一番早く仕上げた施工会社にご褒美をみたいなことなど必死のパッチで何とか乗り切れたことが、会社が存続していることにつながっているのかも分かりませんね。昔話です。
     それにしても、皆様のご苦労、お疲れには言葉がありません。

  3. 西村雅幸様 塩町食堂へは行きそびれました。以前、西村さんと吉舎で待ち合わせするために私の方が先に吉舎に着いたのですが、食事をしていなかったのでしかたなくパンを買ったのですが、そこのおばさんと話をしていると高校がなかったらしょぼい街ですよという言葉が強く印象に残っています。町家の軒先に銀山街道の暖簾がかけられていましたが何か寂し感じでした。有形登録文化財の写真館や橋を渡った所のすでに操業をしていない造り酒屋など川の傍なのでどうなっているのでしょうか。県立日彰館高校も川の傍です。高校のホームページを見ると7月10日からは通常授業とあり、問題の運転見合わせが解除されるまで各ご家庭で送迎をお願いしているようです。そうすると吉舎の町は少しは大丈夫だったのでしょうか。それと上下の駅で買った洋酒ケーキがおいしかったのでまた行った時に買おうと思っていたのですが・・・台風12号もおかしな動きをしているし、これからは地学の知識が豊富な人があらゆる所で仕事をしてもらわないといけない時代になってきたように思います。

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