2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part19   天津の路面電車(疎開地時代)、天津博物館

14日目 531 天津 1500C2044次)北京南2121D321次)上海虹橋

今日は、京滬高速鉄道(北京~上海)が開通すると廃止されるとの噂がある寝台夜行電車に最後に乗車しておこうと思い、天津から再度北京に逆戻り乗車します。
十分時間がありますので、その間は北京鉄道博物館正陽館で見た、最初の中国鉄道の歴史資料が天津にもあるかもと天津博物館を訪ねることにしました。

【天津博物館】
市内にあった歴史博物館・民族博物館・芸術博物館の老朽化に伴い機能を統合して2004年に建設されました。建設設計については、11人の建築家による国際指名設計競技が行われ、最優秀に選ばれた本人建築家「高松伸」先生と、構造家「川口衛」先生との共同設計によるものです。湖面で翼を広げる鶴を表現されたものと言われ、21世紀の中華民族の発展を表しています。

開館日:9時~16時(16時半閉館)無料 月曜定休
公式HPはこちらです。

高松伸先生は同志社小学校の設計もされておられます。

【天津の歴史と路面電車】
天津の発祥は隋の時代の大運河完成にさかのぼり、また海に 面した軍事拠点として、清時代には現在と同様に政府直轄地として要衝されました。
1858年第2アヘン戦争で英仏戦争に敗北してからは、北京の外交として開港され急速に発展して行きました。1900年代からは、イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・オーストリア・ベルギー・イタリア・ロシアそして日本の租界が設置されています。この中でフランス・オースリラリア・イタリア・ロシア・日本の5ケ国租界と中国管轄の城内での交通機関として、初めての路面電車が1906年に圣由しないベルギー資本で登場しました。色分けの6系統が走行しました。


▲ 1919年時代の地図に各国租界区分と路面電車路線図を挿入しました。赤線が路面電車の路線です。この路線網なら非常に便利です。天津東駅(現;天津駅)に降りて路面電車に乗って、すぐに市内繁華街へと向かえます。今はまだ地下鉄が未開通ですので、Taxiに乗っていますが、オリンピック前までの長い年月は駅前にはボッタクリTaxiしかいなく交渉がおっくうでした。どうして廃止してしまったのか分かりません。
停留所位置と名前は、調べきれませんでしたので今回は、お許しください。


▲ 日本租界の天津銀座と呼ばれたメインストリート旭街を行く69号路面電車。後方にそびえ立つのは、日本租界のランドマークとなるゴシック尖塔を持つデパート中原公司です。

▲ 各国の租界を路面電車は走りました。かなりの国別製造の車両が活躍していたと思います。通常は、単車か1両の付随車の2両編成でしたが、中には2両を牽引した3両編成もあったようです。

▲ 館内には、当時の様子を再現したレブリカの路面電車もおいてありました。中国人ギャルも興味津々で撮影していました。

▲ 当時の日本租界の街並みを走行する光景も描かれています。

▲ 旧天津城。北京城ほど広大ではありませんでしたが、天津も城壁で囲まれた都市でした。しかし、1900年に勃発した義和団の乱・八国聯合により天津は戦場となって城壁は瓦礫と化してしまいました。

旧天津城跡は、鼓楼が再現されて古文化街として観光地化されています。現在の街の中心は各国の疎開地があった付近を中心に発展していきました。

 

ベルギー電灯公司経営の天津路面電車は経営順調で、1920年代には破壊された城内を循環して街中を走行していました。運賃も安かったことから貧しい庶民にも乗車でき人気でした。走行速度は約10km/hほどで、走っていても乗車できたそうです。最長路線では約2時間もかけて走行していたと言いますので、ずいぶんとゆっくりした路面電車だったのですね。
当時、ご乗車された車窓からの見た疎開の様子を田中良平氏が詳しくHPに書かれています。是非、こちらをクリックしてご覧ください。

天津路面電車は、経営会社のベルギー租界が離れすぎていたために1931年に中国に返還されています。その後1943年には日本軍に接収されて「天津交通」として運行されましたが、日本敗戦後は国民党政権、そして共産党政権へと引き継がれ、理由は明記されていませんが、1972年66年の歴史を終えました。


▲ かつて路面電車が走っていた可動橋(跳開橋)の万国橋が見える天津駅(旧天津東駅)周辺の綺麗に整備された現在の光景です。ここが見える橋のたもとには天津電力技術博物館があって、2両の路面電車(複製)が展示されています。

66年もの歴史があったわりには、資料が少ない天津の路面電車です。一体どのような車両が何両走行していたのでしょうか。現在の天津には痕跡すらなく見られません。何でも埋めてしまう国ですから、廃線跡を掘り起こせば何か出てくるかも・・・。
中国鉄道創世記の歴史ですが、天津博物館にもありました。Part20で説明させていただきます。 Part20  へ続く