昭和の電車 改訂版(110)ー国鉄モハ40型ー 投稿日時: 2020年9月23日 投稿者: 米手作市 関西での国電とはこの顔だ! 前回は河さんや湯口さんからコメントを頂き、車輌の愛称を巡って盛り上がりました。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(137)ー近鉄モ400型ー 昭和の電車 改訂版(116)ー国鉄モニ13027号ー 昭和の電車 改訂版(109)ー国鉄モハ30型ー 昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー 昭和の電車 改訂版(82)ー東武モハ5310系ー 昭和の電車 改訂版(59)ー近鉄5201系ー 昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー 昭和の電車 改訂版(11)ー叡山電鉄デナ1ー
米手作市様 関西の国電の顔が東京の支線を走る姿です。米手さんは関先生の露払いをずっと続けておられ今や電車にお詳しいのでもし間違っていたらいけないと恐々と躊躇している日々です。今回も投稿者がまだおられないので1枚のせます。1973年3月10日国分寺から出ていた東京競馬場までの間運行されていた電車です。クモハ40071です。競馬のある時は101系が走っていました。 返信 ↓
準特急さん、 まいどありがとうございます。 私は「露払い」ではなく「お先棒かつぎ」に過ぎません。知識は全くなし! いま河さんがコメントを考慮中ですので、しばらくお待ち下さい。 国電はまだ43系が続きます。 返信 ↓
もう1枚撮っていました。美濃赤坂線(東海道本線)に使われていたものと思いますが、運転台の白い枠のHゴムが気になりますが、車体はこちらの方がわかると思います。1964年3月19日準急比叡3号の車内から撮影したクモハ40069名カキです。 返信 ↓
宮松金次郎氏の作品より、戦前の姿を1枚、お目に掛けます。モハ40062で、所属は津田沼区です。撮影場所も恐らく同じでしょう。新造後間もない頃と見えますので、昭和10~11年頃ではないかと思われます。 返信 ↓
宮崎繁幹様 コレクションのご開示、ありがとうございます。 この頃の国電は客車の香りがしてとても好きでした。 改めてオリジナルを拝見すると、両運車の良さが再確認できます。準特急さんの写真など、そのものズバリです。一畑なども新車を作るなら、こんなのをレプリカで作ればいいのに・・・ 返信 ↓
米手作市様 毎回、手を変え品を変えてのお声掛け、有難うございます。今回は催促(笑)を頂き恐縮しております。 前回の「40系」で、ふくらんちゃん、へっこんちゃんで終始してから既に7年も経っているんですネ。 ご存知このモハ40(両運19両)と(ク)モハ41(片運11両)は、当初片町線用に導入されたものでした。 しかし時を経る内に改造や改番が有って、小生に「鉄ごころ」が付いた昭和30年前後には、原番で残っていたのは皆無だった様で、縁遠い存在でした。 特に、両運のモハ40(クモハ40)として残った車が居なかった事もあって、鉄道模型には持って来いの両運車には興味が有り、特に丸妻(半流)両運車は憧れの的でした。 準特急様 写真2枚、とくと見せていただきました。 ヤッパリ両運・単行はカッコイイ、特に両端が半流なのが又イイですネ。 J西の新幹線N700Sもイイ?が、単行で国電の原風景は、もっとイイ! ところで、貴殿の説明文でクモハ40071は、ひょっとして関西由来の電車では無いような気がしますが、間違っていたらお許し下さい。 返信 ↓
河 昭一郎様 関先生の露払いで電車についても最近メキメキと頭角を現している米手作市さんが冒頭「関西の国電とはこの顔だ!」と発生されたのを受けて「関西の国電の顔が東京の支線を走る姿」と書きこみましたが、クモハ40071の由来は調べておりません。新幹線N700Sよりも単行の国電の方がいいとは同感です。歳取ったんでしょうね。 返信 ↓
河 昭一郎様、 私の“苦労”にご配慮いただきまして感謝致します。 私の国電に関しての知識は、河さんのコメントを通じて少しずつ増えてきております。「今ごろなんや!遅すぎる」と思われるでしょうが学問に歳は関係ない、と開き直っております。 そこで恥知らずな質問を一つ。 古い国電は「クモハ」の「ク」を記さず「モハ40」などと書いていますが理由はなんでしょうか?また、現行の「クモハ」になったのはいつ頃からでしょうか? 今さら聞けない質問でしょうがよろしくご教示下さい。 返信 ↓
米手作市様 知ってる事は得々と喋るのが私です。 はい、「クモ」が制定されたのは1959 (S34)年6月1日で、その言われは「ク」の制御車から来ております。 この時期モハ80やモハ70等、キャブの無い中間電動車の台頭が有り、それまで運転室と一体が当然だった電動車に、言わば2種が出来たため、運転室の有る無しの区別が必要となったためでした。 従って、それまでの運転室付き電動車の「モ」の前に制御車を意味する「ク」を付け加えて「クモ」とし、区別するようになったものです。 返信 ↓
またタイミングの遅いコメントで失礼します。 クモハ40型ですが、私も単行の写真を撮っておりました。手前の雑草が目障りですが、場所は小野田線(本山支線)の長門本山駅です。この区間は皆さんご承知のとおり、クモハ42型が最後の旧型国電営業運転として走っていたところで、私も九州訪問の帰途に立ち寄った際にはクモハ42型に乗れることを期待していたのでガッカリでしたが、今となってはこれも貴重な記録となりました。 ところで「ふくらんちゃん」こと半流の国電ですが、通常は電動車は片運転台で連結面側にパンタがあり、関西国電のように正面に幌が付くと精悍な顔立ちとなります。しかしこのクモハ40型は両運転台車で、パンタ側も半流です。こちら側の印象は、何となく柔和でまったりとした感じがすると思います。ただ、関西にはもともとこの半流クモハ40型の配属はなく、関東からの転入にしても、阪和線と片町線(こちらは非パンタ側運転台を撤去したクモハ41型ですが)にそれぞれごく少数、かつ短期間しか配属された記録があるに過ぎません。そのためか、半流側にパンタの付いているのは、私としてはあまり関西国電らしからぬイメージなのですが・・・。 返信 ↓
米手作市様
関西の国電の顔が東京の支線を走る姿です。米手さんは関先生の露払いをずっと続けておられ今や電車にお詳しいのでもし間違っていたらいけないと恐々と躊躇している日々です。今回も投稿者がまだおられないので1枚のせます。1973年3月10日国分寺から出ていた東京競馬場までの間運行されていた電車です。クモハ40071です。競馬のある時は101系が走っていました。
準特急さん、
まいどありがとうございます。
私は「露払い」ではなく「お先棒かつぎ」に過ぎません。知識は全くなし!
いま河さんがコメントを考慮中ですので、しばらくお待ち下さい。
国電はまだ43系が続きます。
もう1枚撮っていました。美濃赤坂線(東海道本線)に使われていたものと思いますが、運転台の白い枠のHゴムが気になりますが、車体はこちらの方がわかると思います。1964年3月19日準急比叡3号の車内から撮影したクモハ40069名カキです。
いいですね~!
関西向けの両運車。模型にちょうど良い。
宮松金次郎氏の作品より、戦前の姿を1枚、お目に掛けます。モハ40062で、所属は津田沼区です。撮影場所も恐らく同じでしょう。新造後間もない頃と見えますので、昭和10~11年頃ではないかと思われます。
宮崎繁幹様
コレクションのご開示、ありがとうございます。
この頃の国電は客車の香りがしてとても好きでした。
改めてオリジナルを拝見すると、両運車の良さが再確認できます。準特急さんの写真など、そのものズバリです。一畑なども新車を作るなら、こんなのをレプリカで作ればいいのに・・・
米手作市様
毎回、手を変え品を変えてのお声掛け、有難うございます。今回は催促(笑)を頂き恐縮しております。
前回の「40系」で、ふくらんちゃん、へっこんちゃんで終始してから既に7年も経っているんですネ。
ご存知このモハ40(両運19両)と(ク)モハ41(片運11両)は、当初片町線用に導入されたものでした。
しかし時を経る内に改造や改番が有って、小生に「鉄ごころ」が付いた昭和30年前後には、原番で残っていたのは皆無だった様で、縁遠い存在でした。
特に、両運のモハ40(クモハ40)として残った車が居なかった事もあって、鉄道模型には持って来いの両運車には興味が有り、特に丸妻(半流)両運車は憧れの的でした。
準特急様
写真2枚、とくと見せていただきました。
ヤッパリ両運・単行はカッコイイ、特に両端が半流なのが又イイですネ。
J西の新幹線N700Sもイイ?が、単行で国電の原風景は、もっとイイ!
ところで、貴殿の説明文でクモハ40071は、ひょっとして関西由来の電車では無いような気がしますが、間違っていたらお許し下さい。
河 昭一郎様
関先生の露払いで電車についても最近メキメキと頭角を現している米手作市さんが冒頭「関西の国電とはこの顔だ!」と発生されたのを受けて「関西の国電の顔が東京の支線を走る姿」と書きこみましたが、クモハ40071の由来は調べておりません。新幹線N700Sよりも単行の国電の方がいいとは同感です。歳取ったんでしょうね。
すみません。発生→発声に訂正してください。
河 昭一郎様、
私の“苦労”にご配慮いただきまして感謝致します。
私の国電に関しての知識は、河さんのコメントを通じて少しずつ増えてきております。「今ごろなんや!遅すぎる」と思われるでしょうが学問に歳は関係ない、と開き直っております。
そこで恥知らずな質問を一つ。
古い国電は「クモハ」の「ク」を記さず「モハ40」などと書いていますが理由はなんでしょうか?また、現行の「クモハ」になったのはいつ頃からでしょうか?
今さら聞けない質問でしょうがよろしくご教示下さい。
米手作市様
知ってる事は得々と喋るのが私です。
はい、「クモ」が制定されたのは1959 (S34)年6月1日で、その言われは「ク」の制御車から来ております。
この時期モハ80やモハ70等、キャブの無い中間電動車の台頭が有り、それまで運転室と一体が当然だった電動車に、言わば2種が出来たため、運転室の有る無しの区別が必要となったためでした。
従って、それまでの運転室付き電動車の「モ」の前に制御車を意味する「ク」を付け加えて「クモ」とし、区別するようになったものです。
よくわかりました。
「ク」が付いたのが昭和34年でしたか。ありがとうございました。
またタイミングの遅いコメントで失礼します。
クモハ40型ですが、私も単行の写真を撮っておりました。手前の雑草が目障りですが、場所は小野田線(本山支線)の長門本山駅です。この区間は皆さんご承知のとおり、クモハ42型が最後の旧型国電営業運転として走っていたところで、私も九州訪問の帰途に立ち寄った際にはクモハ42型に乗れることを期待していたのでガッカリでしたが、今となってはこれも貴重な記録となりました。
ところで「ふくらんちゃん」こと半流の国電ですが、通常は電動車は片運転台で連結面側にパンタがあり、関西国電のように正面に幌が付くと精悍な顔立ちとなります。しかしこのクモハ40型は両運転台車で、パンタ側も半流です。こちら側の印象は、何となく柔和でまったりとした感じがすると思います。ただ、関西にはもともとこの半流クモハ40型の配属はなく、関東からの転入にしても、阪和線と片町線(こちらは非パンタ側運転台を撤去したクモハ41型ですが)にそれぞれごく少数、かつ短期間しか配属された記録があるに過ぎません。そのためか、半流側にパンタの付いているのは、私としてはあまり関西国電らしからぬイメージなのですが・・・。