昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー

名鉄には何の知識もありませんが、この7000系パノラマカーだけは知っています。たしか、鉄道ファン創刊号の表紙になっていたように思います。そしてその後に出る新型パノラマカーにくらべてダントツにカッコイイデザインでした。

昭和の電車 改訂版(95)ー名鉄7000系ー」への7件のフィードバック

  1. 名鉄とは今なお疎遠なままです。京阪1000,1100同様、このパノラマカーも両運車だったと思います。なぜ両運車として作られたのかどなたか教えて下さい。

  2. 両運車ではなくて、車掌台があっただけだと記憶しています。
    乗務員扉付いていますが、客用座席も付いていて、車掌乗務時には座面が上げられるようになってたと思います。

  3. 有名撮影地の本宿~名電長沢間を行く快速急行豊橋行き7009です。撮影は2007年4月3日でこの頃は急行運用が中心でした。東海道53次の旧東海道は豊橋から熱田までは名鉄沿いでこの撮影地も旧道の近くです。

  4. 続いて関先生のご説明にも出てきます有名なセッテベロです。デジ青では一度連接車の関連で同じものを出した様に思いますが、ここではパノラマ的展望車として見ていただくと幸いです。撮影は2000年5月5日北イタリアのFidenzaで、この時は既にTEEはなくなっておりました。団体臨時列車にでも使われていたものと思われます。前面展望窓のスタイルは若いイタリアの女性に似合います。

    • 準特急様
       名鉄パノラマカーの堂々たる走りっぷりが伝わってきました。昭和30年代は高度経済成長のまっただ中、歴史に残る各社の名車が出てきた時代ですね。その中でこのスタイルは傑出していたと思います。
       セッテベロの写真を見せて頂き有り難うございます。いつも思うのですが、ヨーロッパの曲線をうまく使ったデザインや色使いは鉄道、自動車を始めセンスが良いなと思ってしまいます。
       日本人にはなかなか出来ない技ですね!?

      • マルーン様
        いつもコメント有難うございます。在来線の東海道本線に乗ると名古屋近郊では名鉄線が並行して走り、いろいろな車両を見るのが退屈になりがちな旅に変化をもたらせてくれました。阪急京都線もそういうことが言えますが阪急の場合は競争の魅力が大きかったと思います。パノラマカーは名車の一つと思いますが、ミュージックホーンを聴くのも楽しみでした。しかし、あんなにいたパノラマカーも既になく、パノラマカーのいない名鉄は行く気がせんというファンの声はよく聞きました。

        次に「セッテベロ」ですが、この顔はTEEの代表のように思います。よくこんなデザインを採用したなと思います。特別急行列車の先頭はここまででなくても独特の顔が必要と思います。しかし、今はそういう時代でないのか各社の事情で分割併合をしたり、メンテナンスのし易さや、経済性、安全性を考えてのことなのか安っぽい顔が多いように思います。パノラマカー時代は鉄道会社や車両会社の技術者やデザイナー等が欧米を視察したことと思います。最近の車両もいろいろ工夫されて奇抜な顔も現れていますがもう一つの感じが否めません。私は古い人間で正面3枚窓貫通ほろ付きタイプが好きですが、角張ったらダメで丸み(柔らかさ)が必要です。キハ82のデザインは最高でした。くどいようですがこのギスギスした世の中ではなおさら通勤タイプでも食パンでなく多少でも丸みを持たせた車両を多用して欲しいです。特急は流線形がよいと思うのは東北新幹線の「はやぶさ」+「こまち」の連結作業を見る人だかりでもわかります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください