「【46552】昭和45年6月27日 高槻電車区見学会」のなかで「車両班見学メモ」にクモハ32が吹田工場で塗り間違えた話があったことが書かれていました。その後に関三平さんの「昭和の電車」でオレンジ色のクモハ32002が紹介されて、“あれあれあれ”という感じで「【46728】まいど!お騒がせの高槻電車区 クモハ32002の不思議」を投稿しました。この投稿に関して井原、藤本両先輩から貴重なコメントをいただきました。
さて、「まいど!お騒がせ・・・」に書いてある文章を後で読んでみると、何やらぐちゃぐちゃに混乱していて恥ずかしいぐらいです。コメントをいただいてから、このままの状態にするわけにはいけないのでわかる範囲で調べてみました。まず最初にコメントで教えていただいた電車の所属区と所属区の移動について図解しました。図解してみると淀川の002と高槻の001が交換された形跡が見られないように思いました。そして、オレンジ色のクモハ32は001なのか002なのか、それとも・・・。では、推理をしてみましょう。
*1 巴川孝則編著 「国鉄電車回想Ⅲ」 大正出版㈱ 1998年12月25日発行に写真(昭和32年7月撮影)が載っている。天王寺駅に停車中の3両編成で大阪側先頭車にモハ32000(茶色)である。
*2 小粥敏広 「国鉄鋼製電車1~13〔直流旧型電車編〕50系」 鉄道ファン通巻59号 1966年5月1日発行 に塗色試験車として13022(モニ53022)に朱色に塗装された写真(昭和33年2月撮影)がある。これは昭和33年1月大阪鉄道管理局内の主として城東、片町線用緩行電車の塗装変更のためとある。
*3 巴川孝則編著 「国鉄電車回想Ⅲ」 大正出版㈱ 1998年12月25日発行に昭和33年5月以降に順次オレンジ色(朱色1号)に塗り替えられたとある。
*4 ネット上でオレンジ色のクモハ32002で検索すると ヤマケイ レイルブックス7 「20世紀 なつかしの旧型国電」 ㈱山と渓谷社 にオレンジ色のクモハ32002の写真(昭和36年7月撮影)があるという記事にたどり着き、図書館で確認すると高槻電車区で撮ったカラー写真であった。後に茶色の電車が3両連結されていたので、入れ換え用に使われていた時のものかもしれません。
*5 「まいど!お騒がせ・・・」に載せた私の写真(昭和45年6月撮影)でよく見ると正面に「44-7 吹田」とあることから昭和44年7月に吹田工場で検査したと思う。この時に車体を茶色に塗装したのかもしれない。
本当に色を塗りまちがえて淀川電車区と高槻電車区で交換したのか?
まず、高槻電車区の001が吹田工場でオレンジ色に塗りまちがえたということですが、塗り間違えたとしたらいつ頃であったかということです。図表にある*2に書かれてあるように塗色変更が計画されたのが昭和33年1月ごろからで、実際に試験車として塗装変更された電車の写真が昭和33年2月に撮影されたことから考えると、表にあるように昭和33年5月に002が淀川から高槻に移動してきたときにオレンジ色になっていた可能性はあると思います。しかし、高槻の001は昭和35年9月に岡山に移動しています。そして、電車ガイドブックにある001の写真は昭和37年8月撮影で茶色の車体であるので、001は岡山に移動する以前ではオレンジ色に塗られていないと思います。これから考えてみますと、001がオレンジ色に塗り間違えたこともなく、また001と002を交換したこともなかったのではと推理します。一般的に検査で工場入場時に塗装が行われるので、塗色変更は検査入場が順次行われた時に実施されたと思います。塗装変更の時期は*3にあるように昭和33年5月ごろからであることから、モハ32002はひょっとしたら最初に塗り替えられたのではないかと推定します。しかし、まだ他の電車が茶色であるし両運転台のモハ32002は入れ換え用などに好都合なので高槻電車区に移動したのではないかと思います。実際の写真が*4にあります。そうすると昭和33年5月から昭和35年9月まで茶色の001とオレンジ色の002が同じ高槻電車区に所属していた可能性があります。そして、居心地がいいのか使い勝手が良かったためか、昭和57年9月の廃車まで002は高槻にずっと居ることになります。
そして、クモハ32の塗り間違いと車両交換の都市伝説が生れた?
ところで、高槻の001と淀川の002が交換したという話ですが、図表で昭和32年11月の所属と昭和39年4月の所属を見てもらうと、確かにこの部分では入れ替わっています。そして、昭和44年7月以降は高槻の002は茶色であったことは間違いないので、この交換したという話はいつ頃のことであったとしているのでしょうか。時期が入り乱れて実際と異なる話になったのかもしれません。昭和38年11月に岡山から淀川に戻ってきたクモハ32001は1970年代では片町線でオレンジ色で走っていたことがネット上にある多くの写真で確認できます。しかし、淀川に戻て来た時は001は茶色であったと思います。淀川にすでに所属していた電車がオレンジ色であったのでいつ頃かわかりませんが塗り替えられたと思います。ひょっとしたら昭和32年ごろの高槻001と淀川002の所属電車区の状態のままと思われていて、昭和40年ごろの高槻002(茶色?)と淀川001(オレンジ色)が目撃されて、色の塗り間違いと電車交換の話がなんとなく言い広まったのではと考えることもできるのではないでしょうか。とにかくこの塗り間違いと電車交換の話の真相はまだよくわかりません。
ほっといたら、いいことなんですが、とにかくわかる範囲で調べて考えてみました。今回ここで書いた事もあくまで推定ですが、何の疑問もなく受け入れてしまうと知らないうちに怪しいことでも本当のことのようになってしまうように思います。世の中にはこのようなことがよくあるのではないでしょうか。疑問と思えば自分の頭で考えましょう。思考停止は人間を捨て去るようなものです。そんなことを考えさせるクモハ32でした。
配置表の推移からみて、高槻の001と淀川の002を交換した配置換えがおこなわれていないので、「間違ってオレンジ色に塗ってしまったため...交換...」という話は怪しいですね。
交換(そう簡単にできるとも思えませんが)するにしても、高槻の001をオレンジ色に塗ってしまったのなら淀川の002が茶色でないと交換する意味のない話です。
藤本さんのおっしゃる、「明石にいた002を塗り間違えたために淀川に転属し、その後それがオレンジ色のまま33年5月30日に高槻に転属してきた」というのが真相でしょうか。
001を塗り間違えた・・・という記事が載った趣味誌は何でしょうか。
井原様
コメントありがとうございます。私も001を間違えたという話が書いてある趣味誌がなんであるか興味があります。ところで私は明石にいた002を間違えてオレンジ色にしたとは考えにくいと思っています。というのも塗装変更の試験が行われたのは昭和33年1月からと言われており、また緩行電車の内、城東、西成、片町、阪和線を順次オレンジ色に変更することが昭和33年5月からとあるので、002が明石から淀川に移動したのは昭和32年1月であるのでこの時は茶色であったと思っています。このあたりがまだ推論の域ですので、何か写真などわかるものが出てくれば少しはっきりしてくると思うのですが・・・