北海道のキハ82系

皆さん今日は,あるいは今晩は。今年8月のデジ青に仁山スイッチバックの写真を投稿したところ総本家青信号特派員さんや1900生さんからもっとあるやろうと囃し立てられ、米手作市さん、快速つくばねさんなど同世代の方々から関連写真付きのコメントを頂いたこともあり北海道の気動車のうち当時のスターだったキハ82系を集めてみた。私が当会の会長をやっていた頃Mさん(当時Mさんがお二方おられたが私と同級生のMさんの方である)という方がおられ盛んに客車のスハ43系と気動車特急のキハ82系を褒めておられた。これには私も異論はなく特にキハ82系のスタイルやデザインは抜群で今の時代でも充分通用するし、あれ以上のモノはその後現れていないように思う。Mさんどうしておられるかなあ。そのキハ82系の写真はあえて全部モノクロ写真であることを先にお許し願いたい。

最初の渡道は1966年で「おおぞら」「おおとり」「北斗」の道内特急は全てキハ82系でどれも食堂車キシ80を連結していた。

最初は1966年9月3日 室蘭本線冨浦-登別間3D函館11時15分発網走・釧路行き「おおとり」で網走は21時58分、2003D釧路着は22時3分である。この列車は青森7時5分発の青函連絡船を受けての特急で堂々12連である。「おおとり」はあの各地に特急網ができた1961年の大改正で東京-名古屋間にできた151系電車特急である。▼

1966年9月7日 根室本線新内-狩勝間を行く函館発7連の釧路行き「おおぞら」(5連は旭川止まり)の姿。日本3大車窓風景の一つにかろうじて間に合った時のもの。大阪環状線の弁天町にあった当時の学鉄連担当の関西大学の方と一緒になった。▼

1981年6月28日 近鉄特急の作者Tさんも札幌赴任中で雨の中を瀬棚線キハ21の撮影を兼ねて礼文華付近に車で連れて行ってもらった。

土砂降りの中、室蘭本線礼文付近で9時50分に札幌発22D北斗2号函館行きがキハ8223を先頭に9連で現れる。札幌-函館間は倶知安、小樽の所謂山線経由よりも 距離の長い室蘭本線経由の方が時間が短く列車本数も多い。▼

1981年6月28日 比較的近くにある瀬棚線と函館本線国縫付近でDD51656[五稜郭]牽引14系の下り「ニセコ」を撮った後再び礼文華で17時30分過ぎの網走発16D「おおとり」10連を撮影してこの日を終える。▼

1981年9月27日根室本線芦別付近の5006D特急「おおぞら4号」釧路発札幌行き。先頭を大きくとらえたはずだが失敗作である。この時は三井芦別鉄道でも見に行ったようだ。▼

函館本線と本線を名乗りながら存続の危機にあるのが長万部→倶知安→小樽の山線で有名なC62重連の急行「ていね」「ニセコ」が走っていた伝統の路線で特急「北海」も同じルートを走っていたが地味な存在であった。1982年1月30日雪の中、塩谷駅手前のカーブを行く3D函館発札幌行き特急「北海3号」キハ8286。▼

1982年5月2日 石北本線白滝駅31D「オホーツク1号」札幌7時発で白滝で10時16分に下車。先頭はキハ8216。▼

1982年5月2日 石北本線上白滝を12時頃通過する「おおとり」網走発函館行き9連。私は有名撮影地に加えてふらりと知らない駅におりることがありこのため当たり外れは当然あった。▼

1982年5月30日札幌駅に並ぶキハ82系特急。左24D「北斗4号」函館行きキハ8210、右33D「オホーツク3号」網走行きキハ82902。札幌駅は大きな駅に見えたがこの時点では高架化されておらず地上駅だった。▼

1982年7月1日函館本線落部-野田生 有名撮影地で噴火湾(内浦湾)沿いの景勝地であるが海が線路際にあることを強調してみた。24D札幌発函館行き「北斗4号」先頭車キハ8212で当然ことながらJNRの文字が大きく入っていた。 ▼

以上でキハ82系全盛期の一部の話を終える。若い方は退屈な話であり見ていないと思う。キハ82系も1981・2年になるとキハ183系が多くなってきて衰退が始まっていた。JR北海道もいろいろな事情があって経営が苦しいと思う。長距離特急では新幹線と接続する「北斗」が新型気動車で健在であるが「オホーツク」「おおぞら(一部区間バス代行)は生き残れるか心配である。代わって準急のような短距離特急が多くなり寂しいものを感じる。

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