存廃に揺れる北海道の駅を巡る (4)

釧路・根室付近 50年前といま ①
根室本線の釧路・根室付近へは、50年前に均一周遊券を握りしめて行った時は、京都・大阪から、急行を乗り継ぎ夜行2連泊して、釧路には午後、根室には夕方にやっと着いたものです。半日で行くことができる現在から見ると、まさに最果ての地の思いがありました。しかも、夜行のあと、駅で降りて、10キロも20キロも歩いて、駅間で写したものでした。今から考えるとよくぞ行ったものだと思います。
そこで、釧路・根室付近の駅で写した“50年前”と“いま”を対比してみました。
釧路から西へ30分の白糠、昭和58年まで北進に向けて白糠線が分岐していて、釧路以西の中枢駅だったが、いまは静かさだけが支配する駅になっていた。

白糠

白糠で交換するDD51の両機、右は乗車した小樽発釧路行き423レで寝台車も連結している。左は1422レ、釧路発函館行き、新得で1時間あまり停車して列車番号も変わるが、編成は函館まで向かう北海道の普通列車として最長。左は構内に停車するキハ22、背後の木材が、この地方らしさを語っている。

現在の白糠駅、中線も撤去され、二面三線の構造になっている。珍しく有人駅で、しかも嘱託の女性駅員だった。下は尺別から戻りの際の交換待ちの間、跨線橋から見下ろした乗車列車、右手にかつてのヤード跡が広がっていた。

東庶路信号場

庶路~大楽毛にある信号場で、函館行き「おおとり」。愛称板の書体は通常なら国鉄書体だが、「おおとり」「おおぞら」だけは太楷書体で書かれていた。

釧路

釧路駅舎は、いまでは数少なくなった鉄道管理局庁舎との合築、いまもJR釧路支社が入る。ほかに残るのは米子、新潟だが二つとも改築予定という。釧路市は商業施設がつぎつぎ閉鎖され、寂しい状況にあると聞いていたが、駅は列車の発車前は、旅行者やインバウンド客でなかなかの賑わいを見せていた。しかし、それでも一日乗降数は2000人程度と、北海道の中でも中位に過ぎない。

定点今昔① 釧路駅1番ホームから見た今昔、50年前の1番ホームに停車するのは急行「ぬさまい」で、車販の女性も見える。右はキハ083先頭の普通列車。現在では、キハ54、キハ40となっている。 

定点今昔② 釧路駅東端から見た構内。現在の右手、雪のない通路が雄別鉄道の廃線跡。本線の配線は、ほとんど変わっていない。

定点今昔③ その雄別鉄道へは昭和43年に終点の雄別炭山まで行って機関区で写しているが、往復の車中は全く覚えがなく、たぶん爆睡していたのだろう。釧路駅での撮影も無いと思っていたが、探すと昭和44年の一枚だけ見つかった。雄別ホームは、国鉄駅の続きとして6番ホームに発着していた。雄別は昭和45年に廃止され、ホーム、本線、側線も撤去され、現在では駐車場になっている。ただ、地下道から上がった階段跡だけが残っている。

釧網本線の客車列車はすべて混合列車で、貨物量も多く、貨車のほうが多かった。

根室本線もC58の牽引で、釧路駅では多くの蒸機が見られた。右手のC58は、煙室戸にアジビラが貼られた“闘争号”。

釧路ならではの車両も見られた。普通列車に連結のスハネ30と客車改造のキハ08。

歩行者陸橋からは釧路駅の全容が分かる。発車する快速「しれとこ摩周号」。

乗車した「スーパーおおぞら7号」は、所定時刻よりやや遅れて終点の釧路に着くと、いきなり乗客が乗り込み座席を倒し始めた。清掃は同時に行なわれている。約15分後には、もう札幌へ向けて「スーパーおおぞら12号」として折返し発車するのだった。調べてみると、ほかの「スーパーおおぞら」も同様の折返し時間しか設定されていない。長距離の特急で、とくに冬期の遅れが懸念されるなかでの、この短時間の折返しは、JR北海道の厳しい現実を象徴しているようだ。

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