「信号場」を巡る   ②

最東端の信号場 東庶路信号場

では、北から南まで、旅の途中で撮った信号場を見ていただきます。駅と違って、原則、旅客の取り扱いを行なわないため、列車交換の合い間に窓から首を出して撮っただけですが、交換列車や周囲の光景が、時代を映しています。最東端駅の東根室の廃止により、晴れて根室が最東端駅になったことは耳に新しいが、調べてみると、信号場では、根室本線の東庶路信号場が今でも最東端の信号場のようだ。庶路~大楽毛にあり、釧路空港へは至近距離で、写真のようにすぐ国道も走っていて秘境感はないが、どこまでも続く釧路原野の真っただ中にある。昭和41年の開設と新しく、上下共用で一線スルー化され、82系「おおぞら」が爆音を立てて、高速通過して行く。待避線は二本あり3線構造になっている。特筆すべきは有効長で、長大な貨物列車に対応するため、有効長は700m以上あると言う。なお、根室本線は早くにCTC化され、昭和46年には無人化されている。その直前の撮影で、駅員が立つ風景は貴重でもある(昭和46年3月)。

 「信号場」を巡る   ②」への5件のフィードバック

  1. その東庶路信号場で、平成26年6月7日の撮影です。3線のうち海側2線で各停が交換し、山側の本線を特急が通過してゆきました。

    • 西村様
      東庶路信号場の現況カラー、ありがとうございます。「3線」など本の受け売りだったのですが、ちゃんと証明されました。この写真には背後にも列車がいて、3列車の交換、通過という貴重なシーンなのですね。これを目当てにクルマで寄られたのでしょうか。
      さて、当時の写真は、例の4人で釧路行き夜行鈍行に乗った時に写したものです。

      • 特派員殿 46年3月と言えばそうでしたね。私はこの交換風景は撮っておらず、覚えがありません。まだ居眠りしていたのでしょうか。現況カラーは、たまたま国道をレンタカーで釧路方面へ走っていて信号所に気付き、立寄ったところ各停同士の交換があり、両方がなかなか出発しないなと思っていたら、特急が通過してゆくという偶然の産物です。

  2. 確かに有効長は長く、平屋の信号場があるのが中間点付近ですが、東西どちらを見ても、3線の始終端はかすんで見えませんでした。

  3. 総本家さんの大研究と西村さんの実写に頭が下がります。北海道はぼんやりと列車に乗っていただけでこの様な事情があったとは知りませんでした。特に本の受け売りと謙遜されていますが信号場のできたいきさつは勉強になりました。

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