富山の京阪特急

1991年春、東京から転勤で帰京した旦那(DRFC2代目会長)と京阪特急が富山で走る日を待ちわびていた。その日は立山のドライブウェイ開通の日だろうと決めつけ、旦那は富地鉄に電話をかけて確認していた。ところが走行に支障ありで延期になったと連絡があった。2人はGWにスバルでいくつもりであったが、中止とした。この年の盆休み、泊り込みで富山に行こう、と言っていたが旦那は家庭の事情で駄目になった。老人は路面電車同好会の仲間に呼びかけたら、山科、豊中、都民の3人が指に停まってくれた。18キップで行こうとなり、富山着は15時頃、電鉄富山でこの日の京阪特急の筋を聞きだし、
先ず向ったのが「寺田」であった。立山帰り満載でやってきたのが最初の一景である。折り返し再度、立山行きとなるのでそれを待って乗車した。車内はテレビが点いており高校野球の実況中であったが、岩峅寺あたりから受信不能となった。
この日は旦那が手配してくれた有峰口駅から徒歩20分の亀谷(カメガヤ)温泉の旅館へ向った。翌朝5時に起き出し、千垣の鉄橋に向った。朝1番は北陸線夜行普通列車の接続となり3連で富地鉄単行車先頭でやってきた。2番列車、これは富地鉄MM編成先頭の4連でやってきた。この列車は北陸線夜行急行接続であると言う。7時半まで橋の上、その周辺でウロウロして旅館に戻り朝食とした。この時2泊3日、寺田以西で京阪特急中心でとっぷり富地鉄に浸かったのであった。
初対面は寺田駅で夕方であった

初対面は寺田駅で夕方であった

赤は電鉄富山初発で立山に向け登って来た
赤は電鉄富山初発で立山に向け登って来た
緑は富地鉄の先輩より早く新標準色で登場
緑は富地鉄の先輩より早く新標準色で登場

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