街並みとともに ~京都のバス~  〈4〉

醍醐を走った市バス

京都市バスと街並みを続けます。平成9(1997)年10月に、京津線の一部が廃止され、地下鉄東西線が開業し、山科・醍醐地区にも地下鉄が走るようになります。それまで市バスは、山科・醍醐地区でも稠密な路線網を張り巡らせて、醍醐車庫には多くの市バスが配置されていました。それが地下鉄の開通によって、市中心部~山科・醍醐のバス路線は廃止されるなど、路線の再編成が行われ、同時に市バスは撤退して運営は京阪バスに一元化されることになりました。それに先立ち、昭和56年には、醍醐車庫の系統は、すべて頭に「東」を冠した系統に変更されますが、今回はそれ以前の様子です。

市バスを本格的に撮り出したのは、Fさんと一緒に行った醍醐車庫の市バスが始まりだった。ワンマン化が始まったものの、狭隘区間があり、まだ多くの系統がツーマン車で運転されていた。市中心部は、ほぼワンマン化されていて、山科・醍醐のバス事情は明らかに一歩遅れていた印象だった。撮影場所は、おそらく醍醐車庫の近くだったと思うが、周囲はいかにも開発途上の荒涼とした風景だった。バスは「京2い・743」で、昭和41年製の日野RB10のワンマン・ツーマン兼用車(昭和49年)。

醍醐車庫に入区する「京2い・735」、昭和40年製の日野RB10のツーマン専用車。醍醐車庫は昭和38年に支区として開設され、昭和46年に醍醐営業所となった。現在の京阪バスの醍醐折戸町バス停付近にあった。当初は道路の北側にあったが、のちに南側に拡幅・移転している。大宅甲ノ辻付近を行く64甲系統、バスは「京2い・515」で、昭和41年製ふそうMR470、種別幕は白地のまま。64号系統は、昭和56年の系統変更で「東10」となる。この付近には古い家並みも残っていた。

大宅甲ノ辻に来た本当の目的は、付近にあった京阪バス山科営業所にいた、白ナンバーのボンネットバス、いすゞBXD30「京22か・・・6」だった。この時期、京阪バスには滋賀、大阪でもボンネットバスが走っていたが、ライトが二灯というのが貴重だった。乗務員の移送や社内部品・用品の輸送に使われていて、ときどき市内にも顔を出していた。五条坂付近を行く64甲系統、当時でもあまり使わない「甲」という字が、系統、行先にもある珍しい方向幕だった。バスは「京2い・516」で、昭和41年製ふそうMR470、観光・路線の兼用車で車内はロマンスシート、「こが」の愛称が付いている。
その後の醍醐車庫、昭和56年に市中心部から山科・醍醐の系統は、すべて頭に「東」を冠した系統に再編され、「東1」~「東10」となった。車両もすべてワンマンとなり、車種も、いすゞRE100に統一され、車庫でも同じ顔ばかりが並ぶようになった。

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