昭和の電車 改訂版(177)ー京阪103+153+113編成ー

藤本さんが貴重な写真を見せてくれています。
京阪電鉄103+153+113に寄せて

前回の投稿時に寄せられた「大阪通信員」さん、「湯口」さん、「乙訓の長老」さんのコメントがおもしろすぎるので、リンクを張ります。
京阪電鉄103+153+113 これは傑作!

 

9 thoughts on “昭和の電車 改訂版(177)ー京阪103+153+113編成ー

  1. こんな写真があります。膳所・浜大津間の3線区間です。おじさんの様子からは空回ではなく、満車と思われます。3線は湖岸に近い側に敷設されていましたので、琵琶湖方面に向かっているようです。大津の街中で回収した黄金を湖上で湖東方面の田畑に運んだそうです。そもそも、スイッチバックの旧浜大津駅があった場所は、元は船溜まりで、黄金船が集結していたと聞きました。

    • 貴重な証言をありがとうございます。
      なんでも撮っておくものですね!
      こんな風景は日常のものでした。このあと、大きな木製の浴槽みたいなものを載せたトラックに変わっていきました。バキュームカーが出てくるのは更にその後です。

      • こんな写真もありました。場所は近鉄橿原線尼ケ辻付近です。桶の中は多分有機肥料と思われます、当時としては最新の18400との組み合わせですね。

      • 米手様
        この写真は私の撮影ではなく、どこかからの転用です。私はこのような光景を経験できた年代ではなく、水洗、ウォシュレットが当たり前の世代です。

        • ホンマですか!
          たしか、家へくみ取りに来たお百姓さんからネギや大根を貰って食べてた、とか聞いたような気がするのですが・・・

          • そんなことを言いましたっけ。マッチ箱でギョウチュウ検査の検便を学校へ持っていった話も知りません。真面目な話、西武鉄道には正真正銘の木造黄金タンク車が何両もあったのは有名ですね。それにしても、なんでこんな「臭い」話になるのか・・・?。

  2. 関三平さん絵にはバキュームカーが積まれていますが、そのバキュームカーは調べてみると1951年に川崎市で開発、導入されたそうです。ちなみに私は1951年生まれでバキュームカーとこれからも人生を歩むと思いますが、バキュームカーの方が長生きするでしょう。ちなみにバキュームカーがなかった時はどうしていたかというと、その光景をよく覚えています。大阪市の片田舎に住んでいたのですが、荷台が肥を入れるタンク(四角いタンクで上面は平らになっていて、真ん中に穴が開けてあります。当然蓋があります。)に改造されたトラックがやってきて、地下足袋を履いたおっちゃんが柄杓で各家庭からすくい取った肥が入っているコエタゴ(コエタンゴとも言っていた。)を天秤棒でふたつ担いで荷台のタンクに入れるのです。どうして入れるかというと荷台の後ろに荷台の上る木の板を渡して上っていくのです。板はしなっているのですが、おっちゃんはホイホイと落ちずにいとも簡単に上っていって、肥をぶっちゃけるのです。あとは白い粉(これはDDT?)を肥壺に撒いて終わりです。当然ただではありません。切符売りのおっちゃんみたいな人にお金を払っておしまいです。ところで肥取りのおっちゃんがコエタゴを担げたまま墜落するという超悲劇は見たことがありません。むかし、むかしのお話です。

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