昭和の電車 改訂版(29)ー京成電鉄1600型ー

特派員氏幼少時の絵本に出ていたのが前回の「東武5700型」と、この「京成1600型」だそうでした。

扉が片側に一カ所とはなかなか特徴のある電車です。こうやってまとめて見比べられるのは良い企画ですね。

9 thoughts on “昭和の電車 改訂版(29)ー京成電鉄1600型ー

  1. 留置中の姿で恐縮ですが、Gordon Davis氏の作品をお目に掛けます。終点の成田で、折り返し待ちの状況でしょう。未だ登場時の2連なので、昭和31年頃の記録かと思います。この初代開運号は、関先生の記事にもあるよう、昭和42年まで走りましたので、カラーも結構撮られているかと思うが、2連時代は数少ないと存じます。

    • 大変いい色ですね
      エクタクロームですか?保存がいいからか、時の流れを感じさせない発色です。
      やっぱり電車はカラーですね。と言えば準特急さんからおしかりを受けるかもしれませんが。
      ありがとうございました。

  2. 待ってました、開運号!
    京阪より早く、テレビ付きの特急列車として走っていました。
    しかし半鋼製で釣り掛け駆動なので、早々と新性能電車に道を譲りました。
    添付の写真は津田沼検車区にて、新性能車(クリームと朱)と旧型車(青胴車)が昼休み。

  3. Davisさんが使ったのは、コダクロームで、非常に退色性が優れています。同じコダックでも、エクタクロームでは早いものだと、十年でも退色している例があります。初代開運号のカラーが、もう1枚あったのですが、こちらは国産フィルムだったのか、退色著しいです。フォトショップで少し弄ってみたが、小生の技量ではどうにもなりません。構図は素晴らしいのに、残念です。早大鉄研の先輩である、永井信弘さんの作品です。
    テレビの車載は、京成の方が、京阪より早かったとは、知りませんでした。ネーミングの勝利ですね!開運号にテレビがあったことさえ、あまり知られていないように思います。

  4. 鉄鈍爺さん
    貴兄がこんな関八州外にまで足を伸ばして写真を撮っていたとはテレビカーと同じく知りませんでした。夜中にうろつくだけではなかったのですね。

    宮崎繁幹さん、
    内式のエクタクロームではなく外式のコダクロームでしたか。この頃のコダクロームは一本一本航空便でハワイの現像所まで送って現像していました。帰ってくるまで数ヶ月を要していたことを懐かしく思い出しました。

  5. 地元の京成ということで、便乗投稿させて下さい。
    京成は、普通(無料)の車両は戦時中からの綠(青?)、綠の濃淡、赤とクリームなど派手な装いが現在まで続いていますが、有料特急車は焦げ茶(栗色)を基本とした落ち着いた色でした。これは1600の後を継いだ初代AE(Airport Express)まで踏襲されました。1600が登場するまでの特急用1500もしかりでした。

    • 村樫四郎様
      めずらしいカラー写真を見せて頂きありがとうございます。
      何度も申し上げますが電車は素人以下です。まして関東の私鉄と言えば異邦人同然です。関先生は「関東の私鉄は国鉄のマネをする」という意味のことを書かれていますが、南海も湘南型をまねていたのでこれは今で言うグローバルデザインでしょう。
      京成には一度だけ成田から日暮里まで乗りましたが何に乗ったか、写真もありません。
      色については私は国電や客車の茶色が一番好きです。

    • 1600の画像は国府台からの下りでしょうか、真間の杜が観えますね。
      1500の画像は谷津付近、国道14号線山手に宮本町の別荘宅、遠くに行田の無線塔ですね。
      顧みれば、今の画一的で伸び代がない時代と違って、優雅でのどかな時代の昭和の電車に感銘です。

      • 恐れ入ります。確かに国府台/市川真間と谷津/船橋競馬場間です。投稿訂正出来ないままで失礼致しました。行田の無線塔、今までそんなものが写っているなど、全く気がつきませんでした。有り難うございます。

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