テレビカー、時代祭行列が駆け抜けた。そして、越中で

 総本家青信号特派員さまが「京阪(旧)3000系を思う」と題して5回の連載投稿をされていました。正月や祇園祭りの頃、雑踏の中を走る京阪3000系の写真は圧巻で、さすが総本家青信号特派員さまと思いました。これらの写真には足元にも及ばないですが、富山に再就職した京阪3000系の写真も含めて綴ってみることにしました。

MN00314-京阪3000

寝屋川車庫での5000系見学会で撮影

 まずは昭和46年(1971年)6月の守口車庫での見学会の写真から。

 このときはまだ京阪は600Vでしたが、3000系は将来の1500V昇圧準備を施されていました。座席自動転換装置はこの3000系が世界最初です。台車はというと京阪でははじめてのボディマウント式で、これはダイレクトマウント式ともいっていました。1970年ごろはカーブの多い在来線のスピードアップを図る為に振り子電車の開発がされていました。当時の国鉄は自然傾斜式で、そして小田急も油圧を使った強制傾斜式で2種類の方式で開発されていました。そこでDRFC内では枕バネに空気バネを使ったダイレクトマウント式は振り子式電車と同じような効果があるのではないかいう話が出て、特にカーブの多い京阪で新しい3000系がダイレクトマウントを採用したことでデビューした時はワクワクしたものでした。また、出入り口近くには現在は補助椅子が組み込まれた仕切りがありますが、当初は扇をモチーフにした装飾のあるステンレス製保護柵でした。このようなところにも京都をイメージした雰囲気を車内に演出しています。

 DRFC現役時代の3000系の写真は総本家青信号特派員さまとは比較にならないほど少なく恥ずかしい限りです。このときの写真を2枚ご披露いたします。

 さて、京都市電四条線と交差する3000系ですが、この写真をどこかで、すでにご覧になった方がおられると思います。そうです。「京阪(旧)3000系を思う(3)」にある写真とほとんど同じ写真であります。しかしよく見ると和服姿のオバサンの足の位置が少し違っています。どうも、総本家青信号特派員さまと並んで撮ったようです。比較してみるとシャッターを押すタイミングとカメラの角度が少し違っているようです。こんなことがあるのかとびっくりした次第です。そして、もうひとつは今の八幡市駅と橋本駅の間で撮ったもので大胆にも流し撮りを行っていました。あの頃はとんでもない写真をよく撮っていたものです。これは何とかうまくいった方だと思います。 

 越中で一人侘び暮らしをしていた頃は同じく越中に来ている3000系を撮っていました。本家の3000系とはご無沙汰をしていましたが、最近は機会があれば撮るようにしていました。  

  時代祭行列の絵があるダブルデッカーがいい感じで、これが編成に入っている方が私の好みです。ということで出来るだけ写真を撮ることにしましたが、時代祭行列のうしろの絵を写していなかったがちょっと残念です。

 テレビカーもさることながら料金不要の特急とは思えないのが京阪特急のいいところです。中吊り広告がないのも車内の雰囲気をいい感じにしている要因ではないかと思います。以前は京橋を出ると七条まで停まりませんでしたが、最近は枚方市、樟葉、中書島、丹波橋と停まります。しかし、交通機関としてはこれでいいのではないかと思います。ファンにとってはノンストップの方が魅力を感じますが、たくさんのお客さんに乗ってもらって交通機関として意味があるのですから。そして、写真は以前から枚方を通るたびになんとか教会の尖塔と京阪電車を一緒に撮れないかと思っていました。線路が高架になっているのでお願いしてどこかの建物に入って撮れそうなものですが、そのようなことをせずに何とか交野線ホームの端から何とか撮ることが出来ました。

 また、橋本駅周辺で家並みなどをいれて撮った写真がなかったので、最終日の一日前の3月30日に行きました。本当は31日にする予定でしたが家事都合で30日となったのです。大勢の人が撮っている場所もありましたが、変電所と橋本の家並みと対岸に見える山崎の山も一緒に撮れる所にしました。

 3月31日で3000系は引退となりましたが、京都の四条、三条方面に行くときは京阪を利用することが最近は多くなりました。京阪電車は京都へいくというワクワクした気持ちにさせる不思議な力があるよう思います。このような高揚感はどこにあるのでしょうか。窓からみる沿線の風景や全体の雰囲気がそのようにさせるのではと思います。そういえば京阪線は京街道に沿っているのがそうさせるのでしょうか。

 それでは越中に行った3000系の写真を

 立山連山を背にして走る3000系です。今は新幹線工事でこの風景は見ることが出来ません。これは越中での一人侘び住まいの所から撮りました。同じところから夏の早朝に「急行能登号」も撮りました。なかなかいい場所に住んでいたものでした。

 どこかの深夜ラジオ番組みたいな「もうすぐ夜明け3000系」です。これは日の出をバックに「急行能登号」を撮る為、早朝に近くの北陸線と地鉄線が並行しているところに行った時のものです。まずは試し撮りをこの地鉄電車を撮りました。試し撮りといってもフィルム一眼でしたので写真の写り具合が確認出来ません。とにかく撮影の感触を確かめるだけでした。出来上がりを見ると何とか写っていて一安心したものです。すべてマニュアル設定でフィルムはISO1600を使用しました。

 上の写真は寺田駅、越中三郷駅、下段駅の3000系です。寺田駅は本線と立山線の分岐駅です。この寺田駅は面白い駅で写真に写っている二階建ての部分はいったい何の為にあるのでしょうか。ちなみにこの建物はホーム上に建てられています。越中三郷駅は駅名看板に富山電鉄とありました。下段駅は立山軽便鉄道の面影を残す駅です。とにかく、富山地鉄は木造駅舎の宝庫といえるでしょう。風景も良いし、このような絵になるようなところを3000系が走っているのはうれしい限りです。機会があればぜひ訪れたいと思っています。勝って知ったる越中ですから。 

 

3 thoughts on “テレビカー、時代祭行列が駆け抜けた。そして、越中で

  1. どですかでん様
    京阪3000系の写真、たくさん見せていただき、ありがとうございます。いかにも、どですかでんさんらしい、滋味あふれる写真と文章、堪能しました。
    それにしても、四条踏切の3000と市電の写真、一緒に撮っていたとは、私もビックリしました。昭和47年1月21日の市電四条・千本・大宮線の最終日です。最終日は、ふつう一人でしか行かないもので、途中で偶然会って、一緒に写したのでしょうか。
    両者の写真を見比べると、私のほうが、0.1秒ほど遅れてシャッターを切っていますが、撮影位置は全く同じでした。

  2. 総本家青信号特派員さま
    コメントありがとうございます。橋本駅近くの写真はパラパラ動画みたいにしたつもりですがいかがでしょうか。昨年にデジタル一眼を買いました。フィルムですと枚数を気にしてとっていましたが、デジタルですとたくさん撮って、失敗したら消してしまえるので気分的に楽です。まだ、デジタル一眼を十分に使いきっていませんが、まあボチボチと慣れていこうと思っています。ところで大阪の赤バスのこと、楽しみにしています。二回目でかつて大阪に住んでいた地域の写真があったので懐かしく思いました。赤バスのようなコミュニティバスはどこの所でも難しい問題があるようです。公共交通についてはよく考えて見る必要があるのではないかと思います。私も前期高齢者ですから。

  3. どですかでん様
    間髪を入れずの返答、ありがとうございます。デジカメは高速連写が出来ますから、橋本駅近くの写真のように、パラパラ動画もできますね。それにしても、バツクに橋本宿の家並みをさり気なく入れるのも、どですかでんさんらしいです。
    赤バスは、まだ少々あります。お書きのように、かつての青信号の住所録に「大阪市淀川区加島××」と書かれていたことを思い出しました。“加島”なんて、どこにあるのか、知る由もなかったのですが、JR東西線のお蔭で、知られるようになりましたね。私も、十三から赤バスに乗って、初めて加島駅前に降り立ちました。

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