秋を愛でるーエキストラ版

KAWANAKAです。
ホームカミングデーに行けなかったので、ヤケクソいうのではありません。秋シリ ーズで、コスモス、ススキ、空気と来て紅葉のはずでしたが、総本家さんのコスモスが出てきたり柿の話題があったり、運用の話も出たりで、次のテーマの前にエキストラとして、道草することにしました。どうせ、次の紅葉なんて大した写真ではありません。堰を切ったように出てくるぶんしゅう氏、特派員、乙訓の老人の投稿もある中で今までの二番煎みたいな内容ですが、嫌がらずにつき合ってください。
写真は例によって昨年までのものです。容赦頂きたい。

柿といえば前回では小湊鐵道の川間駅付近の柿をお見せしたが、実は駅の反対側にもぱっとしない柿があります。駅から見えるので少しばかり歩いていくと、お婆さんが草を刈っていました。雑談をして田んぼの中に入らせてもらいます。この雑談が大事なのであって、この結果、田んぼに入ることができたり、柿でも食って行けと言ってもらったりすることが多い(今回はなかった)のです。なお、ぱっとしない柿とはまず葉っぱが残り過ぎて絵にならんこと、これが葉が落ちていたら申し分ないのでっすが。実はありすぎても少なすぎてもあかんのです。川間さて、もう1枚の写真。良かったのは葉っぱが少ない。ただ残念であったのは今度 は実が多す
ぎることと、期待していた電車が湘南色でなかったこと、これ以上滞在が出来ない時間であったこと、もう1つは、近所の家から鬱陶しい顔をしたおばさんが覗いていてカーテンを閉めたことでありました。これは気持的にいけません。長く印象に残りその場所の個人的な価値が下がります。旨いこといかんもんですね。おばさんの居ないことを願って今年も訪問したかったのですが、ここまでとても歩けない状態であるので諦めました。来年は湘南色が走っているかなあと言うのが気になりますが。今や国鉄色は貴重なので、今後しょっちゅう運行されると思われるこの近所のC61なんかより気にしておかないといかんでしょうね。吾妻

小湊が出たので、ついでにと言ったらナンですが、少し道草し川間駅に戻ります。
ここの夕暮れも中々のもので、さらにこれからクリスマスのイルミネーションも野原の真ん中の無人駅に空しく点くことになります。その前に、誰もいない秋の空をどうぞ。かなり前の方の文に入ってしまいましたが・・。

日は変わりますがついでにやはり小湊。小湊の飯給(いたぶ)駅は桜が水田に映えて人気がありますが誰もいない晩秋もどうでしょう。小生が写真を薄暮の中でとっていると前の茂みを出た所にイノシシがこっちを向いていました。小さい子供みたいなのが2,3匹回りにいて何か突進してくる気配でした。丸太があったので思わず抱えて構えましたが結果は茂みに戻り、危ないところでした。イノシシは塊ですからエネルギーはmV^2です。走ってこられるとこのV^2が効くので受け止めるのは困難になると言うことです(Vは速度で、エネルギーはその2乗になるから、倍の速度で当たるとエネルギーは4倍、大変や!という言う意味)。また脱線しました。そのついでにすこし。この駅はあることで有名で、ギネスに申請しようと考えたこともあったらしいのですが、されてはいないようです。それは巨大な女子トイレで写真に示します。男子トイレは普通のトイレですが、所謂デラックストイレです。女子トイレは入り口の木戸を施錠して真ん中にある個室に行き用を足すことになります。カーテンはあるもののガラス張りの個室で勇気はいるかも知れませんが爽快な気分に浸れると思います。一度入りたいと思います。夜はボワッと闇に個室が浮かび不気味な雰囲気になりますよ(全然関係ないけど、撮った時期は秋です)。飯給

帰りに日が落ちた海士有木駅を通りました。小生が「また来てね」の写真を載せた駅ですが、無人化されてしまっていて、そのおばさんはもう居ません。人が居ない駅はいずれ廃墟化して朽ちるのも。寂しげな改札を見て通過していきます(上の写真)。

場所は地元に戻って、ある晩秋、やはり柿の写真を(目的は柿だけではないのですけどね)求めて出ました。場所は神戸電鉄。ここには柿がありそうだと勝手に決めて先ず、すずらん台から粟生線に乗って往復。鉄があまり降りないであろう市場駅で下車、その先に見えた小野方面の山の中に向かいました。車窓からやっと見つけた柿、それが実(じつ)は崖の途中にあって、ブッシュを掻き分け、掌はすり傷だらけになるわで実(み)は高くにあり手を伸ばしてやっとの思いで撮りました。取れる柿は収穫が終わっていたのです。写真は苦労の割にぱっとしません。小生の写真はこんなのが多いのです。ご笑覧を。神鉄R
そこで柿がなくてもええか、と暇なときにふらりと出て行く上牧方面へ出かけました。前のススキの巻の近くで阪急に近い場所です。こんな所に柿があるやんけ、とウロウロして良い場所を探しましたが結局絵になるところはありません。その代わりにみかんが色づき始めていました。みかんはなぜかあまり写真になりません(?)と、45年ほど前に柿と間違えて撮った写真が出てきました。米坂線です。恥ずかしいので小さく載せました(正確にはみかんとは違います)。上牧
色々放蕩しましたが、また千葉県佐倉に戻ってきました。大体は老年18切符かせいぜいLCC、次は夜行バスプレミアム特急なので新幹線は仕事で金を貰えるときでないと使いません。今回も準特急先輩がこの世にロールアウトされたという中央西線釜戸に立ち寄りました。中々雰囲気が良さそうです。ダイヤを駅で確認して出掛けます。寒い季節の前の空がきれいです。この写真を載せたのは、拙宅の横の成田線でEF64の1000番台が走ること(頃が正しいのかもしれない)があったので撮った季節は確かに秋みたいですが、もうここを走ることはないと思うので話の流れで載せた次第です。運用はいつも監視していないとあかんと言うことですね。EF64
終りに拙宅の横の土手から見た秋の夕景、この後どっぷり暮れた晩秋を桃太郎が走って行きます。17時20分ですが2往復の貨物が終了し1日が終わります。1日の終り来年はブドウにもチャレンジ。

秋を愛でるーエキストラ版」への9件のフィードバック

  1. 季節は晩秋に進み柿もピークは過ぎましたが、夕景写真とともにありがとうございました。
    ご苦労のあとがうかがえる写真です。特に神戸電鉄のは。うまく構図をまとめるのは中々難しいですね。ブドウは難しいですよ。良いお知恵があればお教え下さい。

    もう過ぎましたが、9月の彼岸花も秋の情景を醸し出すいい被写体です。色がちょっと毒々しいきらいがありますが、色づいた稲穂の黄色に重ねるとコントラストも良くなります。その構図で美祢線で撮ったDD51は印象的でした。

    吾妻線は祖母島の鉄橋でしょうか。電車は運悪く107系ですね。運悪くというのは日中は結構115系が多いのですがねえ。新前橋の湘南色115系はまだ残りそうな気配ですが、長野の次はどこを置き換えるのでしょうか。

    飯給で遭遇されたイノシシはいけません。あれは猪突猛進のたとえ通り、ブチ当たられたら危険ですよ。小生には数式は解りませんが、計算する前に逃げ出さないと。まして子連れはアブナイアブナイ。北海道ではキタキツネに数回、タヌキに1回出会ってます幸いクマには遭遇していませんが、山間部ではクマ除けの鈴は必ず鳴らすようにしています。

    雪の写真も見たいですね。

  2. そうなんですよ。
    実は、イノシシの1年前に大久保の駅と反対側の山に登ったとき、跡で気が付いたのですが丸い糞がいっぱいおちていました。
    構図を決めようと崖っぷちに立っていましたら、ガサガサという音が。見ると畑1枚分(というと10m位か)のところにオス鹿がこっちを見ているではありませんか。このときが1番恐ろしかったですね。土手で足元ヘビ2匹というのもありましたが・・・。
    立派な角でやられると良くて重傷です。
    このときは、何も出来なかったのですが暫くして鹿は目の前を横切って軽快に斜面を駆け上って茂みに入って行きました。何があるか分かりませんね。
    このことを駅で話すと、一杯いるよ、気をつけや!と千葉弁で言ってくれました。

    吾妻線は、其の通り祖母島です。写真の前にも来ていまして、仕事帰りに皆と離れて駅で降ろしてもらいました。そのときは流石に時間がなかったので、もう1回訪れたわけです。この写真のときはまだ、常磐線からの異動がまだだった時代で正面に温泉マークをつけた特急でした。そのときは鉄橋を渡らなかったので、カーテンおばさんは知りませんでした。イノシシでなくても何が現れるか分かりませんから、気をつけないといけません。

    それから真冬の大雪は勘弁。50年近く前に、釧網線で流氷から落ち損ねたことや、嵌ってしまったり色々あって、それから冬はトラウマになっています。

    • そうですか、いろいろ遭遇されているのですね。蛇は見てしまうと足が前に出ません。ましてや二匹もおれば、それはもう引き返すしかありません。蛇といえば写真の大家H先輩は極端に蛇が苦手でした。恐怖話をよく聞かされました。
      鹿は本来はおとなしいですから、よほど刺激しない限り大丈夫です。撮影時に出会ったことはありませんが、山歩きではよく目にしました。
      50年前の事件とは北浜・湯沸湖近くでしたね。ー25°位だったでしょうか。レール頭面で滑って転び積もった雪に顔型を残されたことや、雪で境目の見えない湯沸湖に寄り過ぎて片方を足氷?にされたことなど、ハッキリと憶えていますよ。小生はあの寒さで持!病が悪化しましたし。ー25°くらいでしたかね。二日後に留辺蘂駅で今朝は暖かいねと話していて、ホームの寒暖計がー15°を指していましたから。
      翌朝北浜駅のホームで地元の人と駅員が、今日はカメラマンの人が乗る、と話し合っていましたね。どこにいるのか見渡したら我々3人のことでした。懐かしい想い出です。

      • KWANAKA様、1900生様
        北浜ユースで自転車を借りましたね。駅をはさんで両方向へ移動するのが楽とのバカな思いからだったように思いますが、-25℃の寒風の中 凍てついた道を自転車で走れる訳もなく 今思えば無茶な話です。冬のユースはどこも暖房がおそまつで 塩狩では夜中にオガ炭をこっそり取りに行って
        暖をとったと思います。3人の珍道中をあれこれと思い出しました。まだ50年にはなりませんが、四捨五入すればあれから半世紀です。

        • ホントに珍道中でした。今みたいに詳しい情報が無く、ダイヤすらもわからず、現地聞き込みの行き当たりばったりでしたね。それでも本数が多かったので何とかなりましたが。
          こんなことも。大沼公園側で待っていると下り列車はさっぱり来ず、池田園側で上りの汽笛がひっきりなしに聞こえ、そちらに移動すると上りが来ずに下りの汽笛あかりが聞こえましたね。
          最悪は尺別炭鉱でした。小樽からの夜行で尺別に降り立ったら丁度炭鉱行きのバスがあり、それに乗って行ったはいいものの尺別駅へ戻る便が昼過ぎまで無く、思い余って飛び込んだ郵便局の方のお計らいで、駅留めの荷物を取りに行く商店の車に便乗させてもらいましたね。郵便局の方が「内地!の人だが」と電話して探してくれ、たしか11軒目で見つかったと記憶しています。
          今でも尺別駅を通る度にそのことが思い出され、鉄道のみならず炭坑や集落も無くなって、あのときの方々はどうされたかと感慨深いものがあります。往時の北海道の賑わいをまがりなりにも知るものにとって、昨今の北海道それも地域の衰退ぶりは目を覆うばかりです。

  3. こんなに半世紀前のことをほじくり返されると、秋の巻きの続きは冬にしないといけません。取り敢えずは冬を迎えるとか何かネーミングをして掲載しようかなあ。
    雪の写真は、まあこんなもんかという位で、皆さんのも多いので冬は載せる予定は考えていませんが。
    ところで思えば、冬の北海道珍道中は今から言えばケッサクの連続でありました。当時の青信号に報告されていますが、それを引用してデジ青に再現されては如何か。読み物としてはとても面白いし、尺別に寄せてとか道草して著名なOB仲間の解説も加えたら凄くええかもよ。乗り遅れて地元のオッサンに500円払って駅まで送ってもらった。トヨペットコロナのバンであった。オッサンは当然のように受け取ったが、500円は今で言えば3000円位かなあとか・・。

  4. 釜戸によう行かれましたね。紹介を頂いたのでコメントさせていただきます。釜戸は東濃の寒村見たいなところですが、名古屋に近い割にはローカルな場所だと思います。今でも生家が残っておりますが中央線の線路に近い所で駅まで5分くらいです。kawanakaさんの主義、主張のある意欲的な作品にはいつも脱帽しております。俳句の季語のような味わいを感じます。私も桜や柿、新緑に紅葉、水鏡もトライしておりますが、センスがないようでしてうまくいきません。ところで1900生さんから蛇嫌いのH先輩とのコメントもありましたが、今年はどういう訳かよく出会います。東武の板荷ー下小代で見たシマヘビをご披露しましたが、そのあと両毛線の大平下では初めて蝮を見ました。記録しております。そしてついこの間は多摩川の河口の浮島公園でカメラをいじくりながら青大将を踏んづけてしまいました。お互いにびっくりして逃げました。ロープを踏んだような感触でした。酉年のせいでしょうか蛇は何もしないのに苦手です。細長くてもウナギなら大丈夫なのですが。

  5. いやあ、釜戸はなかなかええですよ。飯屋はありませんが適当な築堤もあって。朝方は線路の東側の山陰が問題で、午後は貨物の本数が少なかったかなあ(?)、と課題はありますが。釜戸辺りまで来ると雪を頂いた山が見えてええ雰囲気です。ただ山は見えません。名古屋の近くで貨物を撮るには格好の場所と思います。老年切符を使っての寄り道には最適。また行きます。ただ、ヘビは出るかも。晩秋で勿論居なかったのですが写真の先の山側では神社の朽ちかけた鳥居があり、イノシシが出るんではないか。また肩がずっしり重くなるのではないかと気色(きしょく)悪かったですけど。なにせ、大体単独行動で変な時期に行くのでカーテンのおばさんを除いて大抵人には出会わないのですから。

    • 準特急さま kawanakaさま
      釜戸はいいところですね。小生もよくウロつきました。15~10年くらい前でしょうか。準特急さまのご生誕地というのも、なにかご縁を感じます。名古屋から小一時間でこんな場所があるのは有難かったですね。特に瑞浪側の直線が終日ほぼ順光で好きでした。この辺りでは平地なのと日当たりもあるのか、イヤな動物に遭遇したことはありませんでした。武並寄りは仰るように線路の南側に山が迫っていて、見通しの悪さと晩秋朝に日陰になるのが問題でした。
      当時、春・秋に一度くらい165系6~9連のさわやかウォーキング号が走ることがあり、木曾谷まで行く余裕がないときはよく釜戸で迎えうちました。また当時は午前中の貨物が臨時しかなく、特に秋の早朝貨物は撮影しずらかったですね。
      木曾谷で165系と貨物を撮った帰りに釜戸に立ち寄り、帰りがけの駄賃とばかり夕方の貨物を一本撮ってからセントラルライナーで名古屋へ戻るのがパターンでした。            

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