福井鉄道モハ200形、あの元急行専用車、連接車、二枚窓、扉間クロスシートの電車が大好きでした。なかでもデビュー当時の急行塗色に戻された203編成(203-1+203-2)は、正面の「福鉄」マークも凛々しく、独自の塗色とあいまって、羨望の眼差しで見守っていました。ただ、この電車、最近は朝夕のラッシュ時に走る程度、日中に走ることはあっても、運用は不定とあって、今まで何度か通ったものの、じっくり撮る機会には恵まれませんでした。 ところが、最近、福井鉄道に異変が起こり、皮肉にも、203編成が大活躍することになったのでした。
▲10月15日、朝のラッシュ時に、福井鉄道の次世代型低床車両「FUKURAMU」ことF1000形第二編成が併用軌道内で脱線事故を起こし、同線は終日不通となった。同車は以前にも脱線し、原因は軌道だけでなく、車両にもあるとして、当面、2編成の使用を停止することになった。さらに運悪く、モハ200形の202編成も、故障で運用を離脱していたところで、大型編成が3編成も欠けて車両不足に陥り、ついに朝のラッシュ時の一本を運休せざるを得ない事態となった。訪れたのは、このような状態の時で、貴重な大型車となった203編成は、朝から晩まで、八面六臂の大活躍となった(泰澄の里~三十八社)。
▲ 朝9時に武生駅に着いて、さっそく福井鉄道越前武生駅へ。フリーきっぷを購入して203編成の運用を女性駅長に聞くと、先ほどの列車で発車したばかりと言う。今日も日中は動いているようだ。さっそく、サンドーム西まで乗車し、沿線随一の鉄橋、日根川鉄橋へ向かった。まもなく戻りの850列車で、鉄橋を渡る轟音とともに、待望の姿が見えた。正面のヘッドマークに「普通」の文字が貼られている。▲ 前パンの203-1サイドビューもなかなかの魅力。台車・主電動機は、JR東日本の発生部品に換装されている。かなり、くたびれた様子だが、独特の青緑の塗装が魅力的に映る。この色は、国鉄制定色で言えば、かつての阪和線急行色に用いられた「緑1号」に近いのではと思っているが、現存の車両では、このカラーは見られず、203編成だけと思われる、落ち着いた、気品のある色だ(サンドーム西~家久)。▲ 三十八社駅に到着する203編成。モハ200形は、急行用車両として日本車輌で昭和35年から新造された2車体3台車の連接車、201、202、203の3編成が製造され正面二枚窓、扉間クロスシート、カルダン駆動と、昭和30年代に見られた、地方私鉄の意欲的な自社発注車両だ。ほかの鉄道では多くが消えてしまったが、製造50年余りを経過した今も、福井鉄道最古の電車として活躍している。車内の連接部の向こうに、白カバーがついて直角になったクロスシートが見えるのも、いかにも昭和の車内。休日の昼間とあって、そこそこの乗車が見られた。▲ モハ200形は、一時、3編成とも広告電車となっていたが、スポンサーもなくなり、結局、201編成は福鉄標準色、202編成は新福鉄色、203はデビュー当時の急行線用色に戻された。しかし、201編成は、ことし1月に、FUKURAMU登場と引き換えに廃車されて、現在は、202、203の2編成が残っている(泰澄の里~三十八社)。
203のブルーと201の帯のブルーは「福鉄外部色ブルー」で同じ塗料です。帯と一面ブルーとでは随分印象が異なりますが。
ちなみに、クリームは「国鉄クリーム4号」です。
新製時は「福鉄外部色クリーム」でもっと赤味の強いクリームでしたが、
新福鉄カラー(201の塗装)に変更の際、バランスを考え「国鉄クリーム4号」に変更されました。
この時は3編成それぞれ試験塗装が施され決定されました。
(ドアにラインが無かったり、おでこ、張り上げ屋根部がクリームorブルー)。
余談ですが、たしか301が極短期間、クリームにブルーラインの新福鉄カラーを纏っていた時期がありました。
ヘッドマークの文字は某運転士の私物で「普」「通」の黒文字と「急」「行」の赤文字をマグネットシートで自作し
急行運用のときは「急行」を貼っていました。