投稿者「893-2」のアーカイブ
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能勢電鉄100周年記念塗装車/2013.09.26/Posted by 893-2
堺トラムDEBUT!/2013.8.31
函館市電
新幹線開業でどうなる白鳥・スーパー白鳥
羽越線を行く/2013.5.5/Posted by 893-2
Last Run 京阪電車旧3000系7両編成/2013.3.31/Posted by 893-2
いよいよファイナル!京阪電車旧3000系最後の日々
トップ画像、弘南鉄道ラッセル車
廃止決定、鵜殿貨物/2013.01.09
謹賀新年2013年
2012年、消えた鉄道・列車・車輌など
トップ画像久留里線
早く起きた朝は
先輩方の投稿の流れを切るようで申し訳ありません。デカンショ祭り号さんや準特急先輩の関東での活躍を羨ましく思いながら、ここのところ土曜日に出勤が続き代休がたまってきたので思い切って平日に休むことにしました。いつ休むか考えましたが丁度今日に2つのイベント(?)があることを思い出し天気が良いことを願いつつ休みをとりました。そのイベントはひとつは関西で唯一のワム貨物列車6170レの撮影、もうひとつは鉄道には関係ありませんがボーイング787が伊丹空港に飛来するということで見てみたいということでした。昨日夕方から降り出した雨は夜半にはかなり強くなり雷まで鳴り出す始末で明朝は駄目かもと思いつつ天気予報をみると夜中には雨がやんで明け方には晴れるかもというありがたい予報だったので早めに就寝しました。朝4:30に起床すると雨は上がり雲も切れ日が当たりそうな空模様です。早速着替えて車で出発しました。向かうは山崎のカーブです。ワム貨物の6170レは以前から走行しているのは知っておりましたが、火・木・土の早朝5:30頃梅田貨物駅を出発し吹田信号所を5:52発で稲沢まで走行しています。このため撮影時期が限られており実は撮影したことがありませんでした。牽引機はEF66で数年前までは梅小路(現京都貨物駅)までもう1両回送のEF66がつくため重連だったようですがカメラの性能的に撮影が難しい列車だったのですがいつかは撮影したいと思っていました。昨年SRC(スーパーレーカーゴ)を撮影にこの山崎まで来たのですが、そのときは痛恨のエラーで帰ってしまい悔しい思いをしましたのでリベンジも兼ねておりました。高速の早朝割引を利用し山崎ICで降りて目的地に着いたのは5:30頃でしたが平日でしかも牽引機が130号機だったためか先客は1名のみ、好みのポジションを決めて待ちます。6:00頃には線路にも日が当たりはじめ光線を期待しますが雲も多く予断を許さない状態です。列車は6:13頃にワム独特のジョイント音を残し定刻で通過していきました。残念ながら日は当たりませんでした。余韻に浸る間もなく移動を開始します。次の目的は伊丹空港です。ボーイング787は次世代を担う中型機として開発され日本の川重や東レなどの企業も参加し35%の部品が国産というジェット機です。機体は従来のアルミ合金から炭素繊維合板になり軽量化がはかられ燃費が向上し航続距離も飛躍的に伸びています。全日空がローンチカスタマーとして最初に導入するため今回、お披露目とともに各空港の設備試験や訓練も兼ねてシアトルから7/3に羽田に飛来しました。日本では伊丹、関空、岡山、広島、中部の各空港で設備の試験をするのですが、伊丹には7/5の7:30に到着し11:30に羽田に向け出発の予定がANAのHPに公開されていましたのでかなりの人出になることは覚悟していました。7:00過ぎに伊丹空港の進入路に当たる千里川に到着しましたが流石に飛行機撮影の方々のベストポジションは超満員で少し離れたところに場所をとりましたが鉄道と違い上を向いて撮影するのと被写体が大きいのでポジションの自由は利きます。肝心の機体は7:30を過ぎても一向に来る気配がありません。30分ほど過ぎた8:04頃に着陸しました。伊丹スカイパークや展望デッキも大勢の方が待ち受けていたようでした。ちなみに千里川土手は多分150~200名程度の人出だったと思います。到着10分前には警察の方が違法駐車は至急移動するようにと廻っておりました。私は一旦家に帰り11:30の出発に合わせて伊丹スカイパークに行きましたがやはり200名位はいたのではないかと思います、出発も無事見送ることができました。その後散髪屋に行けば今日の予定は終了だったのですが火曜日定休でこちらは持ち越しになりました。
とっておきの写真
並走(その2)
- 07.10近鉄大阪線今里-布施
都電荒川線と阪和貨物線
[967]で都電荒川線が[1105]で阪和貨物線の話題がでましたので、
いつものごとく便乗して投稿します。
私が都電荒川線を初めて見たのは中学1~2年の頃、母方の親戚が東京都
北区の滝野川団地の近くに住んでおり、そこを訪ねるのに京浜東北線の
王子駅から歩いていくときに走っているのを見かけたのが初めてです。
それまでは写真などでしか見たことが無かったので非常に興味を持ち
親戚の家から近いこともあり、数枚撮影しました。
そのときは7020、7505、7512の写真が残っています。
都電荒川線滝野川1丁目付近を行く7505。(昭和50年前後?)
ただ、このときは7000形はすでに車体が更新されており、少しがっかりした
ことを覚えています。そのためか写欲が湧かず(下手な写真の割りに偉そう
ですが)あまり撮影することもなく、またそう東京に来る機会もなく次に
訪れたのは昭和54年の7月にひょんなことで知り合いになった秋田の
年上の鉄道ファンの方を訪ねるときに、当時は秋田新幹線どころか
東北新幹線もなく、特急「つばさ」か寝台特急「あけぼの」が一番早く秋田に
たどり着ける手段だったため大阪からの行き帰りに泊めてもらった時でした。
このときは7030、7031、7502、7505の4輌を撮影しています。
個人的には飛鳥山から滝野川あたりの下町っぽい雰囲気が好きでしたので
(というか怖くて全線乗ってみることができませんでした。今でも東京の地下鉄は
苦手です。)
藤本先輩の撮影されていた写真は子供の頃本やテレビで見た都電そのもので、
直に見られたことを羨ましく思います。
都電荒川線滝野川1丁目付近を行く7031。バックは桜丘高校か?
(昭和54年7月28日前後)
また、先日JR西日本のHPを見たときに「阪和貨物線の廃止について」の
ニュースリリースを見つけとうとう来たかという思いでした。
すでに休止状態でしたが、休止に入る前にすでに廃止が決定的との噂が
流れていたのがいよいよ来たかという気持ちでした。この線は以前阪和線の
話題のときにも書きましたが、自宅が大阪市住吉区長居にあったため
チャリンコで15分くらいで行くことができた場所でした。
子供の頃は営業列車の走らない(「あすか」はすでに走っていませんでした)
不思議な路線でしたが、頻繁に貨物列車が行き来していたので貨物の専用線
だろうなという認識しかなく、関西本線の電化後は藤本先輩の投稿にも
ありましたが時折回送列車が通るようになり、少し車種が増えましたが
それでもなお地道に貨物が走っていました。そのうえ高校が丁度この線の
横にあり授業中によく列車を眺めていました。また、冬場は風向きの関係で
夜更けになるとこの線の貨物列車の汽笛と近鉄南大阪線の大和川橋梁を渡る
列車の音がよく響いてました。結構、夜中でも汽笛が響いていたのを布団の中で
聞いていました。それだけに、感傷的になってしまうのです。
この貨物線を走る電気機関車はバリエーションがありEF52、EF15、ED61、
ED60などやEF58などが走っていました。
特に大型のEF52には重厚さをED60・61には新しさを感じておりましたが
藤本先輩のように綺麗な写真は残っていません。
特に「あすか」などは私から見れば涙物です。
貨物線の写真は殆どありませんが2枚見つけましたのでそのうちの1枚を。
阪和貨物線依羅付近を行くEF52-2牽引貨物列車。(昭和49年頃)
また、藤本先輩の掲載していたEF52-7はさよならEF52の運転となった
臨時きのくに53・54号を牽引した機関車です。そのときは撮影に行きましたので
写真が残っていますが走行写真はとても見れたものではないので、
和歌山駅の側線でファン向けに展示されたときの写真を。
国産大型機として無骨ながら均整の取れたスタイルが好きでした。
EF52サヨナラ運転和歌山駅で展示されたEF52-7。(昭和50年8月24日)
竜華区のカマは貨物にも旅客にも活躍していたためいろんな場面で見ることが
できました。ED61はよく多客期の12系臨時急行きのくにをよく牽引していました。
当時は和歌山以南は非電化のため和歌山駅でDF50からED61などへの
付け替えが頻繁に行われていました。この写真もそんなひとコマです。
よく考えるとこのころの和歌山駅はずっといても飽きない駅でしたね。
国鉄では阪和線の旧型国電・113系やEF60・61、EF52、EF15、紀勢本線の
キハ81、キハ82、キハ58、キハ35、キハ40、キハユニ16、南海電鉄のキハ55、
貴志川線の旧型電車、和歌山線のキハ52やDF50の客レや貨物など非常に
バラエティに富んで(車輌の掃き溜めとも言えましたが)ました。
和歌山駅で機関車を付け替え出発を待つ12系臨時きのくに牽引はED61-17。
(昭和50年頃)
時代の流れで廃線や休止路線がでるのは止むを得ないですが、やはり子供の
頃から馴染みのある路線が廃止されるのは残念です。
相変わらず先輩方とは異なりいい加減な記憶と下手な写真で申し訳ありません。