モハ63形 → クモハ73形


  仙石線 陸前大塚~陸前富山間を走行する特別快速石巻行
  クモハ73003+サハ78008+モハ70124+クハ79230 の4両編成 (49-4-29)

関 三平さんの「昭和の電車」は、四国の電車が続いたので次は九州かと思っていたところ、63回に因んでモハ63→クモハ73であった。次回64回目は「クモハユニ64」ということはないだろう。

今回のイラストは電車の行先が「上野」になっているので常磐線のとある駅の風景と思われるが一寸見当がつかない。お判りの方はご教示願いたい。隣にはクモハ73の近代化改造車が描かれているので時期は昭和37年以降であることが判る。 

クモハ73形とそのグループは、戦後の国鉄を代表する通勤型電車で、東は仙石線から西は山陽本線の小郡まで活躍した。車体の老朽化や使用線区に応じて手を加えられ、施工時期や工場により差異のため、細かく観察すると1両として同一スタイルの車両が存在せず興味が尽きない。これらを全部解説すると500ページの本になってしまうので、クモハ73形の一部を紹介させていただきたいと思う。

クモハ73010/昭和23年近畿車輌でモハ63526として新製。27年3月吹田工場で改造。49年6月淀川区(片町線)で廃車。(47-12-1 住道)
モハ63形は、大阪向け車両と東京向け車両では仕様が異なっていた。外観上は運行窓が大阪向けが2桁に対し東京向けは3桁であった。
73010の経歴は、淀川区から36年11月に環状線101系化により東十条に転属、41年3月淀川区に戻ってきた。

クモハ73041/昭和22年日本車輌でモハ63593として新製。27年10月吹田工場で改造。59年8月広島区(可部線)で廃車。(50-2-2 広島)
広島区では当初呉線で使用し、後に可部線で使用した。窓のアルミサッシ2段化、扉の半自動化が行われた。

 クモハ73052/24年汽車会社でモハ63823として新製。28年3月日本車輌で改造。52年3月淀川区(片町線)で廃車。(48-2-4 住道)

 クモハ73053/昭和23年汽車会社でモハ63769として新製。27年12月吹田工場で改造。51年10月広島区(呉線)で廃車。(48-1-28 広島)

クモハ73059/21年日本車輌でモハ63393として新製。27年6月日本車輌で改造。54年8月陸前原ノ町区(仙石線)で廃車。(48-4-30下馬)
仙石線配置車両は防寒対策のため、暖房の強化、ベンチレータの取り替え、窓のアルミサッシ2段化、扉の半自動化が行われた。

クモハ73061/21年汽車会社でモハ63214として新製。27年6月日本車輌で改造。60年6月広島運転所(可部線)で廃車。(42-3-26武蔵中原区)

クモハ73062/23年汽車会社でモハ63746として新製。28年4月日本車輌で改造。49年12月青梅区(青梅・五日市線)で廃車。(49-5-1 青梅)

クモハ73073/22年川崎車輌でモハ63632として新製。27年7月日本車輌で改造。47年3月淀川区(片町線)で廃車。台車はDT15。(47-2-16 京橋)

クモハ73075/22年日本車輌でモハ63419として新製。27年8月日本車輌で改造。51年12月淀川区(片町線)で廃車。(48-9-15 住道)
 

クモハ73081/22年汽車会社でモハ63215として新製。27年8月日本車輌で改造。52年3月淀川区(片町線)で廃車。(48-9-15 住道)

クモハ73083/22年日本車輌でモハ63395として新製。27年8月日本車輌で改造。51年4月淀川区(片町線)で廃車。(48-6-17 住道)
 

クモハ73091/昭和21年日本車輌でモハ63297として新製。27年9月日本車輌で改造。51年11月広島区(呉線)で廃車。(48-1-28 広島)


クモハ73098/23年川崎車輌でモハ63848として新製。28年4月汽車会社で改造。51年5月陸前原ノ町区(仙石線)で廃車。台車はウイングバネのDT14。(48-4-30上:東塩釜 下:下馬 臨時快速「コバルト金華山号」)

クモハ73108/23年川崎車輌でモハ63802として新製。28年5月汽車会社で改造。52年3月淀川区(片町線)で廃車。(48-9-25 住道)
 

クモハ73129/23年汽車会社でモハ63755として新製。27年12月日本車輌で改造。47年2月沼津区(御殿場線)で廃車。(41-2-14 京都)
経歴は40年12月蒲田から明石に転属、45年2月沼津に転属。

クモハ73134/22年近畿車輌でモハ63544として新製。28年8月東急車輌で改造。51年12月青梅区(青梅・五日市線)で廃車。(49-5-1 青梅)
 

クモハ73159/21年川崎車輌でモハ63366として新製。27年9月汽車会社で改造。 50年11月津田沼区(総武・房総・成田線)で廃車。(49-2-1 大阪)


クモハ73189/21年川崎車輌でモハ63366として新製。27年12月汽車会社で改造。51年11月淀川区(片町線)で廃車。(45-11-15 京橋)
経歴は41年3月下十条から明石に転属、45年2月淀川に転属。暫く茶色のままで使用。

 クモハ73193/23年汽車会社でモハ63787として新製。27年12月汽車会社で改造。 47年4月沼津区(御殿場線)で廃車。台車はDT15。(41-1-23 京都)
経歴は40年12月蒲田から明石に転属、45年2月沼津に転属。

クモハ73205/23年汽車会社でモハ63779として新製。28年1月汽車会社で改造。 50年3月西明石区(大阪緩行線)で廃車。台車はDT15。(47-3-12 大阪)
 

クモハ73247/22年汽車会社でモハ63667として新製。27年10月東急車両で改造。 50年11月津田沼区(総武・房総・成田線)で廃車。(47-12-1 )

クモハ73273/23年汽車会社でモハ63771として新製。27年12月東急車両で改造。 52年3月武蔵中原区(南武線)で廃車。台車はDT15。(50-3-23 稲城長沼)
「稲田堤」の行先板は珍しい。

クモハ73287/23年川崎車輌でモハ63692として新製。28年2月日本車輌で改造。 55年1月陸前原ノ町区(仙石線)で廃車。(48-4-30 下馬)


クモハ73295/23年川崎車輌でモハ63692として新製。28年2月日本車輌で改造。 49年12月鳳区(阪和線)で廃車。台車はDT14。(47-12-10 )
 

 クモハ73297/23年日本車輌でモハ63776として新製。28年2月日本車輌で改造。 55年7月陸前原ノ町区(仙石線)で廃車。(48-4-30 東塩釜)


 
クモハ73301/21年日本車輌でモハ63267として新製。28年5月日本車輌で改造。 52年8月鳳区(阪和線)で廃車。(47-12-10 天王寺)

クモハ73331/24年汽車会社でモハ63825として新製。28年6月汽車会社で改造。55年5月陸前原ノ町区(仙石線)で廃車。台車はDT15。(48-4-30 下馬)
 

 クモハ73337/24年汽車会社でモハ63801として新製。28年7月汽車会社で改造。53年8月弁天橋区(鶴見線)で廃車。(47-2-20 大阪)
 
 クモハ73403/25年川崎車輌でモハ63857として新製。当時新製されていた80系(湘南形)70系(スカ形)と同レベルで製作されたため、特に改造されることなく、28年6月改番。モハ63形出身の73形のラストナンバーであった。50年3月淀川区(片町線)で廃車。台車はDT14。(47-12-10 住道)


【近代化改造車】
モハ63形出身のクモハ73形、モハ72形が老朽化してきたため、昭和37年から大規模な改造が行われることになり、クモハ73形、モハ72形各44両と、ローカル線転用に伴うクモハ不足に対応するため、モハ72形に運転台を取付けクモハ73形500番台に改造する工事が20両実施された。外板の張替え、車内化粧板のメラニンプラスチック化、窓の2段化とアルミサッシ化等が実施され、見違える程になった。こちらについてもクモハ73形の一部のみ紹介する。
また、これらの改造以前に、昭和35年吹田工場で試験的に改造された車両についても紹介する。

クモハ73001/昭和35年12月吹田工場で実施された試作整備改造車。経歴は21年日本車輌でモハ63143として新製。27年3月吹田工場で改造。60年6月広島区(可部線)で廃車。(41-8-25 京都)

   クモハ73233/昭和36年4月吹田工場で実施された整備改造車。経歴は22年日本車輌でモハ63579として新製。27年9月東急車両で改造。51年4月淀川区(片町線)で廃車。(48-11-3 京都)
 
 クモハ73020/22年近畿車輌でモハ63506として新製。27年3月吹田工場で改造。40年2月鷹取工場で近代化改造。52年2月淀川区(片町線)で廃車。(48-2-4 住道)
 

クモハ73024/22年日本車輌でモハ63515として新製。27年11月吹田工場で改造。38年6月吹田工場で近代化改造。55年10月沼津区(御殿場線)で廃車。(47-3-1大阪) 

クモハ73028/22年川崎車輌でモハ63562として新製。28年3月吹田工場で改造。38年10月吹田工場で近代化改造。54年11月沼津区(御殿場線)で廃車。(49-4-27  沼津)
 

クモハ73045/22年汽車会社でモハ63711として新製。27年10月吹田工場で改造。40年2月浜松工場で近代化改造。51年10月淀川区(片町線)で廃車。(48-7-15  住道)
 
 クモハ73114/23年近畿車輌でモハ63845として新製。28年6月汽車会社で改造。40年11月鷹取工場で近代化改造。55年5月沼津区(御殿場線)で廃車。(49-4-27  沼津)

  クモハ73359/23年汽車会社でモハ63759として新製。28年5月汽車会社で改造。38年2月吹田工場で近代化改造。54年9月沼津区(御殿場線)で廃車。(42-6-8  京都)
 
 クモハ73517/22年汽車会社でモハ63759として新製。28年3月豊川分工場で改造してモハ72231となる。42年3月大井工場で近代化改造と運転台復活。53年2月武蔵中原区(南武線)で廃車。(50-3-23稲城長沼)


ジュラルミン電車から全金属車に改造された車両と事故復旧時に全金属車に改造された車両、103系と同様の車体に乗せ換えた車両等については、機会があれば紹介したい。

4 thoughts on “モハ63形 → クモハ73形

  1. 大変貴重な写真ありがとうございました。

    私が撮影し始めた頃は、鶴見線・富山港線・可部線くらいしか残っていませんでした。
    あと10年、早く生まれていれば・・・

    まだ、鉄道写真に目覚める前、南武線や横浜線、常磐線で見たり、乗車した記憶があります。
    木の床で、ワックスで黒光りしており、センターポールがドアの前に立ちはだかっていました。吊り掛け音とともに幼い頃の思い出です。

    それに引き換え、今は、大量生産・画一化された車両ばかりですね。

    懐古するために、模型に本格的に参入しようかと思う今日この頃です。

  2. デカンショまつり号さん、コメント有難うございます。

    旧形国電の魅力は機関車同様1両毎に物語があることです。そんな魅力に惹かれて、できるだけ記録に残しておこうと思いボチボチ適当に撮影しておりました。社会人になり、京都~大阪間を国鉄で通勤するようになり、休日には定期の乗越運賃で行ける、鳳、住道によく通いました。一番お金がかからず有意義な休日の過ごし方だったのかも知れません。これらの線区から旧形が無くなり、引き続き大糸線、飯田線等からも姿を消すと趣味活動は終わったと思い約20年休止期間に入りました。
    この際、鶴見線、可部線、富山港線で撮影された画像を公開していただけると有難く思います。

    話題が変わりますが、秩父鉄道の1000系(元国鉄101系)の1002F(旧秩父鉄道色)が5月20日運用を離脱しました。残る1000系は1001F(スカイブルー)、1003F(オレンジ)、1007F(黄色に茶帯の旧塗装)、1010F(標準色)と4編成になってしまいました。

  3. 藤本さん

    19日に広瀬河原に行ってきました。
    熊谷からの直通電車一本目に乗車し、会場に参りました。
    1002Fの最終営業運転とのことでした。

    会場では、1002F 1001F 1003Fの三本並びを撮影しました。
    秩父路 特別快速のヘッドマーク姿の1003Fはなかなかでした。

    今週末は、大宮に出没予定です。

  4. 藤本様

    いつもながら貴殿の研究と車両写真には感服致します。

    今回の73系も本当にコツコツと撮影されていたのが窺えます。
    同時に国電ファンを自認している私自身の反省の念が込み上げて来て恥じ入るばかりです。

    今回もワクワクしながら楽しく拝見させていただきました。
    当時の私は、70系や80系は別として51系などの戦前派にいたく心が引かれており、戦中戦後派でカマボコ相似形だったのに加えて『桜木町事故のバラック建て』の先入観が強く、この車には興味薄でした。
    その後、通勤対策で新製された79の300番代や72の500番代でさえ十把一絡げの73系と決め込んでいたため、そっぽ向いていたような気がします。

    そのため73系の記録写真も『ついで撮り』に終始しており、ちゃんとした写真が無く今になって悔やまれる事しきりです。

    ところで運行灯窓の件ですが、当初から大阪向けが2桁、東京向けが3桁だったのは勉強になりました。
    てっきり、後の更新修繕で3桁化されたとばかり・・・。

     ※便宜上『系』を使用した事をご了承下さい。

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