台湾全線乗車の旅 Part2 CK124平渓線を走る

5月21日

①台北7:30-(自強2031)→08:08瑞芳8:44(区間3209)→9:24菁桐
②菁桐9:32(区間3212)→9:56大華
 
 6:40、いよいよ平渓線へ向けての出発です。ホテルは、朝食付きでしたが、何と開始は、8時からと信じられません。安いホテルは、これだから困ります。朝食は断り、セブンイレブンでサンドイッチを買いました。

MTRで西門駅から、1つ目の台北車駅で下車、地下コンコースの台湾鉄路切符発売所で、自強号の指定席券を購入しました。わずか38分の乗車ですが、区間列車だと、1時間は、かかってしまいます。また、早朝は、直通も極めて少なく、乗り継ぎは、もっと時間がかかります。
瑞芳駅で下車、約30分の乗継時間を利用して、駅前の市場を覗いてみました。海に近いので、海産物は豊富です。新鮮な野菜も並んでいます。普段から、料理好きですので、こうやって地元の食材を見るのは、大いに興味があります。CK124の牽引する列車時刻は、分っていましたので、あらかじめ撮影に便利な、ダイヤグラムも準備しました。


平渓線は、1921年台陽鉱業の炭鉱専用線として、侯硐~菁桐間15.4kmが、開業しました。三貂嶺~侯硐間は、東部幹線の宜蘭線と同じ路線を走りますので、日本と線区名の設定が、異なっています。また、平渓線の一日乗車券は、瑞芳からとなっているところも、異なっています。

平渓線は、前回乗車しています。全線走行ビデオも撮影してありましたので、何度も見なおしました。撮影地は、大体決めましたが、2年間で変わっているかも知れません。CK124が走行する前に、再度確認をすることにしました。
瑞芳駅には、日本車両製のDRC1000型3両編成が、入線してきました。台湾の非電化ローカル線には、このDCが使用されています。
最終的には、やはり無難に、代表的な大華~十分間の、吊橋をバックにした鉄橋付近を撮影地に決めました。ロケハン列車から見ると、既に地元ファンが、来ています。

終点の菁桐駅からバックして、大華駅で下車。ここからは、線路上を歩かないと、撮影地には行けません。列車ダイヤを再度確認して、徒歩中に走行しないのを確認してから、向かいました。駅間は、2.9キロですが、上り勾配です。駅間にある唯一のトンネルまで行くと、ご夫婦らしき若者が、いました。『ニイハオ』と、声をかけてみますと、日本語で返事がきます。こんな所で、日本の鉄ちゃんに会うとは、びっくりです。

どうして、こんな所にいるのかと聞くと、たまたま近くにある、有名な滝を見学に来たら、SLが走るというので、撮影するために、ここで待っていると言います。とてもいい写真が、撮れる場所ではありませんので、一緒にトンネルを抜けての撮影地を、勧めました。
先が見えている、それほど、長いトンネルではありません。トンネルを抜け、吊橋を渡って、撮影地に着きました。3人の台湾人の鉄道ファンが、三脚を立てて、準備していました。

やはり、台湾にも熱心な鉄道ファンは、いるのですね。彼らも、3人もの日本人が来たので、びっくりしていました。6人で、いろいろと話をして、CK124が来る時間を待ちました。

10:35、山間にドラフトが響き渡り、CK124が3両の客車を牽引して、やってきました。そして、最後部には、DHL107が後部補機として、連結されています。平渓線は、急勾配とトンネルが多いので、新鮮な空気を入れるための対応策だそうです。日本人ご夫婦の奥さんには、ビデオ撮影をお願いしました。

折り返しを、追いかけたいのですが、列車がありません。次の撮影は、十分駅付近と決め手、駅前食堂で、一緒に昼食をとりました。

聞けば、同じ職場に勤めていたが、辞めて、10泊11日の台湾旅行をしている。2度目の台湾で、前回は、1月に温泉旅行を楽しんだとの事ですので、情報を仕入れました。食事最中に、十分駅付近での撮影としました。


お2人と別れてからは、十分駅の裏山にある台糖媒礦博物館(旧平渓媒礦)を、目指しました。しかし、急坂を30分歩いても、たどり着けません。蒸し暑さで、とうとうリタイアせざるを得ないと、思った時に、1台の乗用車が止まってくれました。
開かれた窓から、『どこまで行かれますか?』と、日本語で尋ねられました。台糖媒礦博物館と答えると、『丁度、そこへ行くので、乗っていきなさい』と、ありがたいお言葉をいただきました。本当に助かりました。

運転しておられたのは、台糖媒礦博物館職員で、もう1人は、日本に留学して、台湾の会社に日本語通訳として、勤務していたが、先日辞めたので、旅行をしている若い台湾人でした。彼は、台糖媒礦博物館へ行くのは、遠いので、駅から電話をして、迎えに来てもらったのです。もし、行かれる方がおられましたら、電話をして送迎車を呼ぶ事をお勧めします。この道中は、きつ過ぎます。

日本語通訳付きとなると、おおいに助かります。館長が出てきて、博物館の案内をしてくれます。通訳は、彼がしてくれました。炭鉱廃止後に、当時を再現したDVDがあるというので、見せてもらいましたが、途中で停電しました。お詫びといって、冷たいジュースのサービスと、館長自らが、盛況だった当時の話をいただきました。

雷が鳴り出し、空が黒く鳴り出しましたので、炭鉱跡を見ながら、急いでの下山です。十分駅に着くと、激しい雷雨になりました。十分駅近くの古い商店・食堂街と、列車のマッチングが良かったのですが、丁度いい頃には、列車が来ません。

結局この日は、撮影を諦めて、台北へと彼と一緒に、話をしながら帰りました。瑞芳駅にて、台湾では初めての評判の駅弁を買い、車内で食しました。今日も、やさしい台湾人と、出会えた1日でした。 Part3へ続く