【1568】でK.H.生氏より「客車に住む」を発表されて以降、【1572】で西村雅幸氏より「電車住宅物語」、【1592】で湯口先輩より「客車住宅」、【1608】で「守口の廃車体」と廃車体の話題が続いた。私自身、廃車体は滅多に撮影しないのであるが、少しだけ写真が見つかったので紹介する。
①京都市電の廃車体
半鋼製単車の200形、300形は昭和30年台前半に廃車されたが、多数の車体が市内の公園施設や自治体の集会所等に再利用されており、京都外大のグランド、嵯峨釈迦堂近くの公園、西村雅幸氏が触れられている建仁寺の境内等何カ所かは覚えている。現在でも254が奈良線JR藤森駅すぐ近くの西福寺幼稚園で倉庫として使用されているのが公道から確認できる。
九条車庫で倉庫として使用されていた300形(車号不詳)/昭和45年4月5日
鉄道友の会が交通局に保存を要請したが実現しなかった。この時点では台車は無かったが、その気になれば復元保存は可能と思われた。
奈良線木幡駅前で内職の作業場として使用されていた349/昭和39年6月15日
②京阪電鉄16/昭和48年10月13日
京阪の16と云えば元貴賓車として超有名な車両で、沿線の中学、高校に通学していた頃は、500、600、700の中間車として主に各駅停車、朝の準急等に使用され、よく乗車した。座席が深く独特の座り心地で、大きな窓を開ける時は一人では無理であった。昭和40年、台車を新700系に譲って廃車後、寝屋川検車区の会議室として使用されていたが何時しか解体されてしまった。元貴賓車の面影をよく残しており、是非保存していただきたかった車両だけに解体は残念であった。
③京福電鉄デナ1形(車号不詳)/昭和43年6月8日
元阪神のデナ500形と交替して廃車となったデナ1形であるが、修学院車庫に1両車体が残されていた。こちらも会議室として使用されていたらしく、綺麗に塗装されていた。
④大和鉄道のガソリンカー(車号不詳)/昭和43年12月24日
湯口先輩より大和鉄道の単端式ガソリンカーが住宅になっていたことが報告されているが、近鉄南大阪線古市検車区で倉庫として使用されていた。もしかすると終戦後の車両不足時に道明寺線あたりでサハかクハとして使用するつもりで運び込んだのかもしれない。
⑤貴生川の元中国鉄道の貨車(車号不詳)/昭和45年9月23日
貴生川駅のすぐ近くに元中国鉄道の貨車が物置として使用されていた。バッファーの跡から明治末期から大正時代に作られたと推定できるが、扉に書かれてあった中国鉄道の社紋がはっきり読み取れた。
⑥蘇った廃車体(加悦鉄道ハ4995)
加悦鉄道は高校生の頃から何回となく訪れているが、加悦SL広場に重要文化財に指定された2号機の後ろにコンパートメント式客車ハ4995が連結されている。初めて見学される方は「よくこんな古い客車が残されていた」と思われるに違いない。これについては次のような裏話がある。
昭和11年10月鉄道省よりハ4999を購入してハ20、昭和10年11月ハ4995を購入してハ21とした。いずれも明治26年新橋工場製のコンパートメント式の客車であったが、入線に際し前後扉の新製と乗せ換え、旧車体は倉庫として使用されていた。昭和45年9月23日訪問時、倉庫になっていた旧車体が台枠の上に載り、車体の修復作業が行われていた。更に1ヵ月後の10月25日には2号機に連結され、構内展示運転が行われていた。
SL広場にはハ21も展示されている。本来はハ4995→ハ21→ハ4995となるべき処、ハ20と振替られたが、超貴重なコンパートメント式客車が蘇り、大切に展示されていることは大変意義深いことである。
倉庫として使用中のハ4995/昭和39年7月25日
ハ20と車体を交換して修復中/昭和45年9月23日
美しく蘇ったハ4995/昭和45年10月25日
2号機に連結され構内展示運転(実際にはDC351が後押ししている)/同上
DC351+ハ10+サハ3104+フハ2+キハ51
ハ4995と車体交換前のハ20/昭和39年7月25日
ハ21/昭和43年12月22日