桜井線を走った蒸機列車

先般のクローバー会“桜井線ツアー”、知られざる廃線跡、構造物を巡りながら、参加者と歓談し、収穫の多いツアーとなりました。このツアーで、櫟本駅を下車して、北側の楢町橋梁まで歩いて、ポリクロミーの橋台を見学したあと、周辺の踏切で、まもなく置き換えが始まる105系を写すことになりました。踏切に立ったとたん、初めて来た場所のつもりなのに、なにか以前に来たことがあるような既視感にとらわれました。その時は、よく分からず、帰ってから、かすかな記憶力を振り絞って思い出すと、30年以上前に、この場所で蒸機を撮ったことを思い出しました。
櫟本で下車して、桜井線によく見られるポリクロミーの橋台を見学して、みんなと105系の撮影をした。大半は西側にある菜の花で“前ピン撮影”に臨んだが、私は踏切近くに張り付いた。南北に築堤があって、田んぼの向こうに学校が見える、どこでも見られる、当たり前の風景、一瞬、以前にも訪れたような気がした。

今回の桜井線ツアーで訪れた櫟本~帯解で、全く同一地点で写していたC56160の牽くイベント列車「SL大和路号」。天王寺管理局の“あなたとなら・大和路キャンペーン”の一環ととして、この日一日だけ、王寺~奈良を一往復した。桜井線から蒸機が消えたのが昭和40年台後半だから、約15年ぶりの蒸機復活だった(昭和61年8月4日)。

振り返って後部を撮影、一日だけの蒸機列車でも、この程度の人出だった。国鉄の分割民営化を翌年に控えた、この年の夏は、各地でイベント列車が花ざかりだった。奈良機関区では、この前後2週間ほど、C56160やD51200などを順次公開していた。同区には、まだラウンドハウスや給炭設備が残っており、梅小路蒸気機関車館のサブ機関として機能していた。

そのあとに撮った105系、塗装が違うだけで、全く同じ。周囲の光景も、上の写真と変わっていない。変わったようで、変わっていない桜井線だったが、まもなく227系への置き換えが始まり、桜井線の歴史が塗り替えられる。

 桜井線を走った蒸機列車」への2件のフィードバック

  1. いや~ほんとうに風景が変わっていないのですね。まあ、田んぼがあるからだと思います。桜井線にC56が走ったのは昭和61年8月4日なのですね。私はその一日前の8月3日(カメラの日付写し込み記録)に大和路線三郷~河内堅上間の三郷から少し河内堅上よりの藤井あたりで撮りました。列車は天王寺方面へ走っていきました。

    • どですかでんさま
      貴重な写真、ありがとうございます。私は桜井線の一往復だけと思い込んでいましたが、関西本線でも、その前日に走っていたのですね。“あなたとなら”キャンペーンの一環でしょうか。それにしてもC56160は、線路規格の低い線区にも入線できるため、各地で大活躍でした。

総本家青信号特派員 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください