客車廃車体訪問記内地編8 宮城県-1

【東北本線田尻駅ホームから見えるマニ44】 38.597664, 141.059331

↑マニ44 2065 2019年6月27日撮影

配置は盛モカ、じつに短命で、たった7年半しか在籍期間がなかった。
田尻は東北本線小牛田のひとつ一ノ関寄りである。小牛田から北はワンマンカーで、駅員はいない。ホームの靑森寄り草ぼうぼうの所から見ただけでナンバー等の確認はしていない。樹木の葉や雑草が茂り、見えない部分が多く、一目見て客車だとはわかりにくい。アルミ電解コンデンサのメーカー工場の駐車場線路側にある。倉庫であろう。同時期に廃車された経年の浅い車両が他にも売却された可能性がありそうであるが現在のところここ以外に知らない。
◆マニ44 2065(1979年富士重新製)→1987年廃車

↑田尻駅

帰路は仙台空港から飛行機だった。この日はG20の影響で早めに搭乗させられ、プッシュバック開始は定刻と思われたが、なかなかタキシングを始めない。機内放送で、伊丹空港のVIP到着予定の為出発調整をしているという。10分近く待たされてやっと離陸した。暫くして「本日の機長はサカタトシオ、わたくしはチーフパーサーのシノミヤでございます」と放送があったが乗客の反応は全くなかった。大阪便なのでわざとフルネームを言って緊張をほぐそうとしたのかもしれないと私は思ったが、乗客は到着がどうなるかそちらの方が気になっていたようだ。大阪に近づくと今度は着陸の順番待ちと称して生駒山の東側で約15分旋回した。おかげで長時間乗れて良かった。総本家青信号特派員さんによれば、この日、燃料切れで小松空港に降りて給油してまた飛んだ便があったそうである。
じつは3月末に仙台へ行く用事があり、ついでに樹木の葉が無いから良いだろうと思って仙台から小牛田へ向かったのであるが、仙台発車後すぐ「踏切確認」で停車し、さらに小牛田目前で強風の為鳴瀬川手前でまた停められ、遅れて小牛田に着いたら、一ノ関行は薄情にも待っていてくれず発車した後で、飛行機の都合で泣く泣く帰ったことがあったので、2回目でなんとか撮影できた。

客車廃車体訪問記内地編8 宮城県-1」への3件のフィードバック

  1. ブルーシートを掛けてあるのかと思ったらこういう色だった!
    調べてみたらパレット貨車だと思って気にしなかった車輌。客車への情熱が冷めた後の新製なので知らなかったが可哀想な一生だったようだ。でも、コレは客車か?貨車だろう?

    • ブルーシートを掛けてある何かに見えても仕方がないような写真で申し訳ありません。しかし、マニ44はまだましなほうで、ワキ8000とどこが違うんやというスニ40をご覧になると卒倒されるのでは。
      昔、ナニ2500などという客車もありました。

      • たしかにナニ2500も疑問を感じましたが当時の車輌事情を理解していたので納得していました。

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