暫くおとなしくしていた。その間、福島電鉄、連接車やアルミカーと、参入したい話題が続発したが投稿出来なかった。アルミカーについては、澤村君とこんな会話を交わしたことがある。京阪5000系の事だが、「台枠もアルミと言う話を耳にしたが、本当か?」と尋ねた。暫くして「台枠、正面の工作共にアルミニュームです。」との返事を貰った。続けて「でないと座席昇降装置、付加された4扉分の装置類を含め、T車で自重25頓(補機積載車)の数値をクリアすることなど不可能です。正面の形状、庇があるのはアルミ板工作上から考え出されたことで、意匠上の理由だけではないのです。」と教えられた。前代未聞の座席昇降装置付き5扉車の設計について京阪車両部と川重設計部は、アルミニューム構体製作について知恵を絞り切った事であろう。5000系の竣工は1970年12月だから、DRFC・1967年生の澤村君は入社前で、入社後の彼に老人は質問をぶつけたようだ。
ダブルデッカー試作が宮下社長に認められた頃、「次は5000系の更新です。」と言いだした。第1編成が終わったころ「台枠、大丈夫だったか?」と尋ねてみた。「川重の専門屋が後20年は大丈夫と言ってくれましたのでヤレヤレです。」と晴れやかな顔をしていた。この後、6000系をはじめ新造車は全てアルミカーが続くのだから、当事者は気になって当然の事である。玄人の澤村君と素人で野次馬精神旺盛な老人の間で、京阪5000系について2人が特別に話題にした事であった。
車両構造について、どのように、何を基準として分類すればよいのだろうか。鉄道車両の車体構成材進歩の道筋を追ってみると木材、木材と鋼鉄材の混用、鋼鉄材、金属材等の過程を辿っている。鋼鉄は金属材だが、20世紀前半は金属材の中でも独立した存在であったが、20世紀中期から他の金属材と混用されるようになった。その中でアルミニュームが車両の軽量化で注目を浴びるようになり、今日を迎えている。
車両構造上、最も重要視されているのは台枠である。木造建築で言えば土台である。これの良し悪しが出来栄えに、寿命に大きく影響する。さて栃尾鉄道のモハ210号はどんな構造材と仕上げ材でもって製作されたのだろうか。山陽電鉄のアルミカーは、台枠を始め構造材はすべてアルミニュームだと社員さんから聞いたことがある。日本では戦時体制下、ドイツからアルミ合金であるジュラルミンを輸入して軍用航空機に使用しようとしたが、工作技術伴なわず断念したと兄から聞かされたことがある。それが戦後、鋼板代わりに使用され「ジュラ電」登場となったようだ。
栃尾鉄道はどのようなルートでアルミニューム板を入手したのか、それを車体のどの部材として使用したのか、日本最初のアルミ製電車として相応しい条件を備えていたのか、謎の残る話題である。老人は1959年、東北旅行の帰途に栃尾電鉄に立ち寄っているが、長岡-悠久山間往復を夕方しただけで車庫には寄らず仕舞いであった。こんな先進的な車両があるなら長岡でステーションホテルするのであったと、今になって悔いている。こんな事を思い付いた。新潟、富山県は大河による水力発電国である。阿賀野川水域では忌まわしい産業公害の加害者として昭和電工の名が出てくる。同社は戦前期にアルミニューム精錬に成功したようだ。富山では黒部川、庄川の下流域でアルミ精錬、加工業者の名が認められる。アルミ精錬、加工には莫大な電力を必要とするが、新潟では昭和電工が製品販路開発のため県下の企業である栃尾電鉄に、試験使用を委託したとしたら出来すぎる話となるかな? 想像することは当っても外れても楽しい。
さて近鉄名古屋線の6531号の写真を1枚見付け出した。ご要望にお応えできるかどうか……。他の車両も高橋弘さんにプリントしてもらったが、どなたかにプレゼントしたので手許にない。再プリント待ちにさせて下さい。ありがたい事にNEOPAN SSはしっかり残っている。
久し振りに情報探索作業を行いました。関三平先生および筆者の年初の挨拶山陽のアルミカー2012号(1962年)他と、栃尾線モハ210(1954年)についてです。
探索は、ピク誌の私鉄車両めぐり第1、10分冊、ファン誌32号、急電128号、メーカーの社史で川重と日車。これら手許にある資料に加えwebで、川重、(社)日本アルミニウム協会、(社)溶接学会のそれぞれホームページなどを参考にしています。
まだ探索が完結していませんが、思わぬアルミ合金製車両の情報もありました。タキ8400(川重製、NKK社有、1960年)。また、未確認情報ですが、高野山の2代目ケーブルカー(日立製、1953年)もアルミ製だとか。まあ、ここは大型の電車に絞りましょう。
材質は、戦後膨大な量で余っていたジュラルミン(アルミ合金の一種)ではなくて、アルミ合金製の側板と、台枠が鉄かアルミ合金かのいずれか。接合はリベットか溶接の、あるいはそれらの併用。比較する基準次第でいろいろに分かれ、その上に年代が加わりそう。
それと筆者の大きな疑問は、栃尾のモハ210ですが、1954年現在でアルミ側板に塗装(2色塗り分け、写真資料がある)ができたのか?ということです。その後マルーン色、西武色に変更されています。後年はともかく1954年、塗装困難なアルミにです。
筆者は元塗料関係職務の端くれ。参考書などからアルミニウム塗装の歴史的情報など簡単に見つかると思いきや、皮肉にもこの情報がほとんどありません。疑問解決が今のところできていません。そんなこんなですが、写真を豊富にして近いうちにまとめるつもりです。
乙訓の老人の師匠、故奥野利夫さんの力作、急電128号表紙。全面が『山陽電鉄 オール・アルミ電車登場』です。このコピーも紹介予定にしています。
乙訓の長老様
名古屋線特急時代のサ6531の写真の公開有難うございます。さすがにキッチリ撮影されており感激しています。
元々ノーシルノーヘッダーの近代的な車体ですが、モ6421形と連結すると、台車、窓桟の位置の相違から違和感を感じますね。唯、冷房も付いており一般の乗客には判らなかったと思います。
団塊世代は、名古屋線の狭軌時代は僅かな写真で知るのみですので、他に撮影された写真の公開も是非お願いします。
tsurukame様
アルミ製電車の興味深いお話、有難うございます。
高野山のケーブルカーの車体がアルミ製であったことは本で読んだことがあります。鉄道ではなくバスの話ですが、昭和20年代の終わり頃に作られた京阪バスの観光車の一部がアルミ製であったと書かれた書物(多分京阪バス50年史)を読んだことがあり、掲載された写真は塗装されていました。
広島電鉄に1両だけアルミ製のバスがあり、アルミの地肌に広電バスの標準色の黄緑の模様がありました。但し、製造年は新しく昭和38年です。
そう言えば阪神バスは昭和30年代の終わり頃から40年代に作られたバスは全車アルミ製であったと思います。
以降のお話の展開を楽しみにしています。