水島臨海鉄道 営業開始50周年

今朝の中国新聞朝刊に水島臨海鉄道MRT303の塗色変更の記事が載りました。

「営業開始50年」というのは「水島臨海鉄道」という会社が設立されてから50年ということなので、この記事を書いた記者もどこまで理解しているのか気がかりですが、もう少し踏み込んだ解説にしないと誤解を生むのではと思います。そもそも戦時中の昭和18年6月に三菱重工業水島航空機製作所への専用線として急ごしらえで開通し、すべて国鉄からの借り物と運転代行で工員輸送が始まりました。岡山から来たC57やC58が牽く12両編成の工員輸送列車を倉敷で転線入換えする際、旅客を乗せたまま入換えするのは規則違反だと国鉄が猛反対したにもかかわらず、海軍航空本部長命令だと押し切って連日乗客を乗せたまま転線が行われたという逸話が残っています。軍事輸送ですから、営業開始とは言わないのでしょうが、それを起点とすれば輸送開始76年ということになります。

戦後、この鉄道の管理者は三菱地所、水島工業都市開発に引き継がれ、昭和27年には倉敷市交通局線となって、荒尾市営鉄道と共に珍しい市営の地方鉄道が誕生しました。そこからは68年ということになります。そして昭和45年に水島臨海鉄道の誕生となります。

さて 塗色変更される前のMRT303の様子を少しご紹介しておきます。

H28-2-6 水島機関区にて  ひまわりのイラスト

H28-2-6 運河沿いを行くMRT303

H29-4-7 MRT303の車内

H29-4-7 倉敷市駅に到着したMRT303

なお、新聞記事の写真にあるヘッドマークは今後1年間取り付けられて運行されるそうです。また4月12日(日)には記念列車の運行も予定されていますが、「不要・不急」のそしりを受けるかも?!

新塗色の赤は「飛躍への情熱」を、青は「安全の象徴」を意味しているそうです。私なら、倉敷市営鉄道時代の塗色(クリームと青のスカ線色?)を再現したいですね。

巣ごもりを強いられる毎日ですが、昔のフィルムをデータ化するなど家の中でひっそりと今までできなかったことをして過ごそうかと思っています。皆様どうぞお元気で!

水島臨海鉄道 営業開始50周年」への2件のフィードバック

  1. 倉敷市駅もずいぶん変わったようですね。44年前の1976年5月の様子をご覧に入れます。中央部の3両は、向こうからキハ311,クハ16428(標記はなんと中ウヘ),クハ16418(広ウヘ)、右は「やくも2号」です。雨天ですのでしまりがありません。非電化なのに電車が2両もいるのに驚きました。この2両はその後どうなったのでしょう?

    • 井原実様
      コメントありがとうございます。クハ16は結局使われることなく姿を消したようですが、詳しいことはわかりません。17mのクハとは言え重量感もあり、機関車が牽くならまだしも、キクハとしては失格で、水島市街地の高架化が計画されて勾配区間ができることになって、いよいよお荷物になったのでしょう。国鉄かJRの口車に乗せられてムダな買い物をしたのでは? かつての倉敷市駅の駅舎・ホームの位置が定かではありませんが、伯備線の分岐地点から察するに、添付写真(現在の跨線橋から撮影・2018-3-10)のクルマがとまっているあたりか、もっと東側かと思われます。

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