岩日線と国鉄バス岩益線のこと

昨年は転職して九州の大分県に行き、最南部の都市で働いていたのですが、いろいろと思うように行かないこともあり、3月で退職。
大阪に戻ろうと思ったけれど、件の伝染病が猛威を揮っており、それもどうかなと考えて、今山口県と広島県の境の都市に来ています。
ここでぶらぶらと次策を練っているのですが、市内見物よりも郊外に興味が湧いて、奥地によく自動車を走らせています。

写真は文化財級建築の岩徳線西岩国駅ですが、本来は徳山までのショートカット、一説には新幹線以前の弾丸列車の構想で、ここにステーションを作る構想だったらしい。

この先で岩徳線と元岩日線の錦川清流線が信号所で分岐して、渓流に沿って奥地を目差します。

錦川清流線(以下清流線と略します)ってどんな路線かというと、開通は戦後の昭和35年で、今の岩国市美川町の役場のある河山まで開通。ここに当時は河山鉱山が採掘中で、銅などの金属を出していたらしい。


写真は河山駅に残る側線があった時代の遺構と、奥地の河山鉱山の跡。

実際の錦川に沿った区間は雨の日に川の風景を見て驚くような渓谷美ですが、対岸をしっかり運行しています。

そして現在の終点、錦町まで伸びたのは昭和38年でした。線区の名前の由来となった目標終点はもっと先の山口線日原という山の中の町です。
そこまでの長い区間は工事着手はされましたが、六日市までの路盤が完成した昭和49年頃に、採算の困難な工事線区として凍結されました。

その後は国鉄がJRに転換した昭和62年に一瞬だけJR西の路線になった後は、第3セクターの錦川清流線になります。さらに平成の大合併で沿線地域が岩国市と合併されて、今では最奥地の錦町も岩国市に入り、岩国市は元々交通局があり、錦町地区には岩国高校広瀬分校があったり、3セクではありますが地域交通の要として支え合う関係が続いているのか、存続が保たれています。

錦町駅前にある古い食堂の名前は開業を喜んで「岩日線」の名前が残る

さて、岩日線が開通するより遥か以前から、島根県の益田に到る交通手段として、国鉄バス岩益線が存在しました。昭和38年に岩日線が開通しても、並行する道路には広島発岩国経由、一部は津和野行きを含んだ急行バスが、最大4本も走っていた時代がありました。

華やかな陰陽連絡交通の歴史もあった国鉄バスも晩年は全国で大ナタが揮われて、JR転換の1年後、昭和63年に省線以来のバス岩益線は廃止になり、岩国駅前から益田駅に行く手段は無くなりました。新幹線は昭和50年に開通し、新岩国駅は山の中で「こだま」が1時間に1本停車。特急全列車が停車した国鉄岩国駅前は急速に寂れて行きます。

錦町出合橋付近に放置された国鉄バス廃車体

さあここから投稿を面白くします。やっぱり我らは鉄道サークルの出身、マイカー以外の方法で、岩国から益田に行けないものか。
先日自動車を使い、日原・津和野探訪から戻って来て、考えることにいたしました。

なんと高校生が、特急おきで日原から津和野方面に通学しているのでしょうか。日原駅

結論を先に言うと、可能です。

まず岩国から清流線に乗って終点錦町に行く列車は毎時1便程度有って、そこから岩国市営バスが、岩益線廃止後も県境を越えて島根県六日市町(現在は吉賀町)までを数便ですが結んでくれています。
問題はそこから先の日原まで僅かですがバスが出ていることを知りました。ただし接続が全く良く有りません。


ここで一旦諦めかけていたら、広島から六日市経由で日原道の駅、益田に行く「高津川号」という長距離バスがまだ走っており、岩日線の夢の跡を半分結んでくれていました。

一例ですが、岩国発11:10の清流線に乗って、錦町12:17着。錦町駅12:35の岩国市営バスで六日市13:00着。
今度は広島から来る「高津川号」に乗り換えて13:15六日市発、日原の道の駅には14:04着、青原駅に14:05着。そのまま乗れば益田駅には14:31に着きます。
しかし道の駅で一旦休憩してから、鉄道に乗り山口線青原発15:36、益田15:58着の方が理想的でしょう。(※日原駅はバス路線から津和野側にかなり戻るためバス「高津川号」は経由しません)

帰りは一泊して、翌日12:00の急行バスに乗り六日市13:16着。今度は錦町行きバス13:40発に乗換え、錦町駅14:05着。清流線が待っており14:19発の列車で岩国駅には15:28に着く。

これも鉄道を利用して、益田11:23発の山口線に乗り青原11:46着で待っていると、先の広島行き急行バスが12:26で連絡します。
しかし、そのまま山口線に乗り続ければ、新山口には14:03に到着。
そこから14:09の山陽線に乗れば岩国にはお誂えの16:13に戻って来れる。これは青春18切符可能期間に是非やりたくなるではないか。

そんなことを考えて、今は空想旅行しているところです。

岩益線時代の面影残る岩国市美川町にある南桑本町のバス停。周囲は渓谷の美しい国道沿いの村

大正14年製の横河橋梁製の出合橋。国道187号線と広瀬地区(錦町中心)を結ぶ。ここも岩益線の大事なバス停拠点であった。

岩日線と国鉄バス岩益線のこと」への5件のフィードバック

  1. 40年近く前に、新幹線新岩国で下車し岩日線へ乗り鉄に行った事、バス旅絡みで、2015年のDRFC安芸西条への旅の際に、同行のO氏と呉市から西条市へjRバスで白牡丹を頂きながら言った思い出がよみがえりました。ありがとうございます。
    話がそれますが、今年に入って近場のザ・ビッグ多度津店でワンカップのみですが白牡丹が販売されているのを発見。できるだけ購入し愛飲させていただいております。

    • こんばんは。今はどっちが旅先か判りませんが、池田に戻って来ています。
      東広島の西条の一夜と、翌日の広電ツアーは楽しかったですね。
      コロナが落ち着いて、また旅先で集合出来るようになったら、何か企画しましょう。
      タツ先輩も家で飲み過ぎんように、脚は鍛えておいて下さい。
      失礼します。

  2. 77-タツ様
    私も毎晩「白牡丹」です。あれからもう5年以上が経ちましたが、コロナ前の 何でもないにぎやかな団体ツアーのひとこまを懐かしく思い出しました。今年の秋のEVEはどうなるのでしょうね。

    • 西村先輩様
      その節は大変お世話になりどうもありがとうございました。
      学生時代の田舎へ帰省の際、京都から夜行「山陰」で出発、陰陽ルート経由で何度か帰ったものです。(「山陰」の着時間が早い因美線はパスしていた。)最近山陰まではとんと行っていないので、先輩の投稿された中国地方の話題を見せていただいても、場所がすぐに頭に出てこず、時刻表の地図を見たりしながらですが、楽しみに拝見しています。
      今後ともよろしくお願い致します。

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