昭和の電車 改訂版(186)ー神戸市電500型J車ー 投稿日時: 2021年6月20日 投稿者: 米手作市 この当時の電車には“丸窓”が多かったのでしょうか? 京福や上田や他にもあったような気がします。 前回の掲載時にお一人だけ檜垣禮司 様からコメントを頂きました。ありがとうございました。tsurukameさんや湯口さんからもウンチクを頂きたいものです。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(178)ー京阪電鉄10型ー 昭和の電車 改訂版(170)ー阪急電鉄1300型ー 昭和の電車 改訂版(164)ー上信電鉄1000系ー 昭和の電車 改訂版(155)ー近鉄モワ1851号ー 昭和の電車 改訂版(136)ー阪急51系ー 昭和の電車 改訂版(123)ー大阪市営地下鉄60系ー 昭和の電車 改訂版(117)ー阪急フロ54号ー 昭和の電車 改訂版(17)ー神戸電鉄デニ11ー
最近の丸窓はこんなものしかありません。糸崎駅でキハ47-7001と7002です。撮影当時はキハでしたが、今では出世してキロになっています。岡山電軌の「チャギントン」も丸窓ですが、サイドビューの良い写真が無いので省略します。 返信 ↓
神戸市電の500型には、こんなに多くの種類があるとは、知りませんでした。関心を惹かれ調べたところ、宮松コレクションには、3輛の記録がありました。アルファベット記号で、J・K・Lに相当するので、宮松氏は御承知のうえで、各車を記録されたのでしょう。なかなか素晴らしい写真ですので、順番に御紹介したく存じます。先ずは、J車(551-562)中の561号から。関先生の絵と同じタイプです。 返信 ↓
では続いて、K車(563-587)の中から、572号です。前出の561号と殆ど同じに見えますが、よく観察すると運転席部の側窓が若干ですが拡大しているようです。でもそれだけで、J→Kとクラス分けする程の差でしょうか?。性能面でも、差があるのかもしれません。ダブルポールですが、上げているのは1本だけで、架線も単線であり、神戸市電が架線を複線から単線に変更中の時期なのですかね。 返信 ↓
広電584は昭和6年に製造されたL車594で、改番によって584になりました。関先生がお書きのように、L車(588-594)は丸窓ではありませんでした。更新後はJ・K・L車の見分けがつかず、ロクに調べもせずに投稿してしまい、すみません。 昭和35年に施工された車体更新は大掛かりなもので、屋根・骨組み・台枠はそのまま使用し、外板・内張などをすべて新しいものと取り換え、出入り口を非対称に2カ所に変更、客室窓を上昇窓に変更するなど、全く別の車両に生まれ変わりました。京都市電に例えると、500形に1800・1900形ワンマンカーの側板を取り付けたような感じでしょうか。 神戸市電は当初アルファベット順の形式を採用し、A車(1-29・30-50)B車(51-90)C車(91-100)とつけられていました。 J・K・L車の違いは製造年とメーカーに関係するようで、車体の寸法に若干の差異はあるものの、定員や性能はかわりません。 J車 551-562 大正13年 日本車両 K車 563-570 大正15年 大阪鉄工 571-582 昭和2年 藤永田 583-587 昭和3年 田中車両 L車 588-597 昭和6年 田中車両 J・K車は丸窓にお椀型ベンチレーターですが、L車は少し後に製造されたためか、若干のスタイルの違いがあるようです。 返信 ↓
広電の582です。元神戸のJ車557として大正13年に誕生し、592に改番されました。広電に転入後582に再改番され、冷房搭載・方向幕の大型化などの改造を受け、現在も見られるようです。 前掲の584と同じ昭和35年に大阪車両で車体更新されてますので、同じように見えます。 返信 ↓
神戸市の500型は広電に移って570型を名乗っています。 譲渡されたのは、昭和33~37年に更新改造されていた571~580、582~587、590~592の17両ですが、590→583、591→581、592→582と入線に際し改番し、欠番を埋める形で571~587に整理されています。 現存車は582号のみで、これは神戸の557→592号J車です。578号(神戸時代も同番号)がサンフランシスコに渡った他は全て廃車となっています。 さて、神戸時代の更新改造ですが、J・K・Lの18両が更新されています。(この時、584→581、585→582と改番もされなかった588、589の4両は原形のまま残っています。)更新の概要は、出入り口が運転台左側と中央になり、両端出入り口の扉は折り戸であったものが引き戸に、窓は2段上昇式、J車K車の楕円窓も普通の窓に、そしてノーリベット化。更に昭和43年にワンマンカーへの改装がなされています。この18両のうち事故で廃車となった590→583号を除く17両が広島に移籍したわけです。 紫の1863氏ご投稿の広島駅の584、これは神戸時代に594→584と改番されているL車です。同じく紫の1863氏、西村雅幸氏のご投稿になる広島の582。大正13年に生まれた13両のJ車ですが、551、553、557、560の4両以外は全て戦災で廃車となり、昭和27年に560が廃車、昭和31年以降の改番で551→591、553→571→590、557→592となった4両が更新改造され、広島に移り、557→592→582の1両だけが生き残っているわけですね。 神戸時代の改番は結構ややこしいです。だいたい500型自体、大正8年の木造車C車(91~100→501~510)、大正10年の同じく木造のE車(151~170→511~530)、大正12年の半鋼製のI車(531~550)、大正13年の半鋼製のJ車(551~562)、大正15年~昭和3年の半鋼製のK車(563~587)昭和6年のL車(588~597)と木造車も鋼製車も同じ形式に含まれているという驚きの事実! この中で木造のC車・E車、そしてリベット無しで登場したL車の3グループは楕円窓がついていませんでした。 返信 ↓
更新改造されず原形のまま残っていた500型589号の貴重な画像をtsurukame氏ご投稿の記事で拝むことができます。 「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(3)大橋9丁目-板宿」 https://drfc-ob.com/wp/archives/89225 更新改造されていない587、585号 「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(2)天神下-鷹取」 https://drfc-ob.com/wp/archives/88912 同じく、更新されたがワンマンカーではない時代の587号 「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(4) 長田」 https://drfc-ob.com/wp/archives/89915 返信 ↓
紫の1863さま、乙訓の老人の甥さまから、詳しい御説明を頂き、たいへん勉強になりました。車番だけでは、こんな複雑な遍歴は、とてもじゃないが、判りませんね。とまれ。それでは、宮松コレクションから、最後の1枚をお目に掛けましょう。L車(588-597)中の589号です。既に何回も解説されているように、このグループには、丸窓はありません。屋上もポールスタンドの造作や、ベンチレーターがお椀形でないなど、他グループとは、明らかに異なるのが見て取れます。なお御紹介した3枚の写真には、データが付いていなかったのですが、同じ場所に保存されていた706号の写真には、昭和13年3月22日、須磨車庫と記録されていたので、同じ機会に撮影されたものと推測されます。ご参考までに申し添えます。 返信 ↓
京福電鉄の丸窓車内です。
マルーンさんへお届け物
懐かしいですね!
丸窓の電車の存在は覚えています。
この写真は今は無き京福大野駅ですか?
京福のマーク(社紋)も・・・
今はえちぜん鉄道か?
上田交通別所線の丸窓です。但し現役ではなく廃車後です。平成12年7月30日に別所温泉駅でモハ5251,5252,中塩田駅で5253を撮っていました。
先週、別所温泉へ行きましたが、5252のみが展示されていました。
以前に行った時の撮影です。
最近の丸窓はこんなものしかありません。糸崎駅でキハ47-7001と7002です。撮影当時はキハでしたが、今では出世してキロになっています。岡山電軌の「チャギントン」も丸窓ですが、サイドビューの良い写真が無いので省略します。
これはパッチモンです。却下!
名鉄のモ510形もありましたね。
昭和51年2月、新岐阜駅前で撮った揖斐線直通急行のモ513+モ524です。
昭和54年8月に広島駅前で撮影した、広電の584です。
路面電車の知識に乏しく、車体色から神戸の電車とまではわかったのですが、このような歴史ある車両とは知りませんでした。
紫の1863さん
関先生の画とは別物に見えますね。
神戸市電の500型には、こんなに多くの種類があるとは、知りませんでした。関心を惹かれ調べたところ、宮松コレクションには、3輛の記録がありました。アルファベット記号で、J・K・Lに相当するので、宮松氏は御承知のうえで、各車を記録されたのでしょう。なかなか素晴らしい写真ですので、順番に御紹介したく存じます。先ずは、J車(551-562)中の561号から。関先生の絵と同じタイプです。
宮崎繁幹様
いつもありがとうございます。
貴重な写真を拝見できて幸せです。
ところでJ・K・Lは何の区別でしょうかね?ABCでないのには意味があるのでしょうか?疑問が次々にわいてくるのです。
では続いて、K車(563-587)の中から、572号です。前出の561号と殆ど同じに見えますが、よく観察すると運転席部の側窓が若干ですが拡大しているようです。でもそれだけで、J→Kとクラス分けする程の差でしょうか?。性能面でも、差があるのかもしれません。ダブルポールですが、上げているのは1本だけで、架線も単線であり、神戸市電が架線を複線から単線に変更中の時期なのですかね。
上に紫の1863さんが載せてくださった584はこのクラスに入るのですね。違和感の原因が分かりました。側面が三扉から二扉に変更されていました。
広電584は昭和6年に製造されたL車594で、改番によって584になりました。関先生がお書きのように、L車(588-594)は丸窓ではありませんでした。更新後はJ・K・L車の見分けがつかず、ロクに調べもせずに投稿してしまい、すみません。
昭和35年に施工された車体更新は大掛かりなもので、屋根・骨組み・台枠はそのまま使用し、外板・内張などをすべて新しいものと取り換え、出入り口を非対称に2カ所に変更、客室窓を上昇窓に変更するなど、全く別の車両に生まれ変わりました。京都市電に例えると、500形に1800・1900形ワンマンカーの側板を取り付けたような感じでしょうか。
神戸市電は当初アルファベット順の形式を採用し、A車(1-29・30-50)B車(51-90)C車(91-100)とつけられていました。
J・K・L車の違いは製造年とメーカーに関係するようで、車体の寸法に若干の差異はあるものの、定員や性能はかわりません。
J車 551-562 大正13年 日本車両
K車 563-570 大正15年 大阪鉄工
571-582 昭和2年 藤永田
583-587 昭和3年 田中車両
L車 588-597 昭和6年 田中車両
J・K車は丸窓にお椀型ベンチレーターですが、L車は少し後に製造されたためか、若干のスタイルの違いがあるようです。
2行目のL車(588-594)は(588-597)の間違いでした。訂正します。
広電の582です。元神戸のJ車557として大正13年に誕生し、592に改番されました。広電に転入後582に再改番され、冷房搭載・方向幕の大型化などの改造を受け、現在も見られるようです。
前掲の584と同じ昭和35年に大阪車両で車体更新されてますので、同じように見えます。
紫の1863さん
解説ありがとうございます。
よく解りました。
パッチモンの汚名挽回に、広電582を1枚。おでこには大きな行き先表示、頭の上にはエアコンユニットを載せて、かつてのスッキリ感はありません。これは2017年7月の撮影ですから、近況は不明です。
神戸市の500型は広電に移って570型を名乗っています。
譲渡されたのは、昭和33~37年に更新改造されていた571~580、582~587、590~592の17両ですが、590→583、591→581、592→582と入線に際し改番し、欠番を埋める形で571~587に整理されています。
現存車は582号のみで、これは神戸の557→592号J車です。578号(神戸時代も同番号)がサンフランシスコに渡った他は全て廃車となっています。
さて、神戸時代の更新改造ですが、J・K・Lの18両が更新されています。(この時、584→581、585→582と改番もされなかった588、589の4両は原形のまま残っています。)更新の概要は、出入り口が運転台左側と中央になり、両端出入り口の扉は折り戸であったものが引き戸に、窓は2段上昇式、J車K車の楕円窓も普通の窓に、そしてノーリベット化。更に昭和43年にワンマンカーへの改装がなされています。この18両のうち事故で廃車となった590→583号を除く17両が広島に移籍したわけです。
紫の1863氏ご投稿の広島駅の584、これは神戸時代に594→584と改番されているL車です。同じく紫の1863氏、西村雅幸氏のご投稿になる広島の582。大正13年に生まれた13両のJ車ですが、551、553、557、560の4両以外は全て戦災で廃車となり、昭和27年に560が廃車、昭和31年以降の改番で551→591、553→571→590、557→592となった4両が更新改造され、広島に移り、557→592→582の1両だけが生き残っているわけですね。
神戸時代の改番は結構ややこしいです。だいたい500型自体、大正8年の木造車C車(91~100→501~510)、大正10年の同じく木造のE車(151~170→511~530)、大正12年の半鋼製のI車(531~550)、大正13年の半鋼製のJ車(551~562)、大正15年~昭和3年の半鋼製のK車(563~587)昭和6年のL車(588~597)と木造車も鋼製車も同じ形式に含まれているという驚きの事実! この中で木造のC車・E車、そしてリベット無しで登場したL車の3グループは楕円窓がついていませんでした。
更新改造されず原形のまま残っていた500型589号の貴重な画像をtsurukame氏ご投稿の記事で拝むことができます。
「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(3)大橋9丁目-板宿」
https://drfc-ob.com/wp/archives/89225
更新改造されていない587、585号
「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(2)天神下-鷹取」
https://drfc-ob.com/wp/archives/88912
同じく、更新されたがワンマンカーではない時代の587号
「半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(4) 長田」
https://drfc-ob.com/wp/archives/89915
紫の1863さま、乙訓の老人の甥さまから、詳しい御説明を頂き、たいへん勉強になりました。車番だけでは、こんな複雑な遍歴は、とてもじゃないが、判りませんね。とまれ。それでは、宮松コレクションから、最後の1枚をお目に掛けましょう。L車(588-597)中の589号です。既に何回も解説されているように、このグループには、丸窓はありません。屋上もポールスタンドの造作や、ベンチレーターがお椀形でないなど、他グループとは、明らかに異なるのが見て取れます。なお御紹介した3枚の写真には、データが付いていなかったのですが、同じ場所に保存されていた706号の写真には、昭和13年3月22日、須磨車庫と記録されていたので、同じ機会に撮影されたものと推測されます。ご参考までに申し添えます。