昭和の電車 改訂版(178)ー京阪電鉄10型ー

この記事は最初の掲載時に投稿し忘れたようです。ゴメンナサイ!
どなたか写真があれば見せてください。

昭和の電車 改訂版(178)ー京阪電鉄10型ー」への2件のフィードバック

  1. 残念ながら写真はありませんが、私にとっては1回だけしか乗車しなかったものの、いろいろ思い出のある、まさに「一期一会」の電車です。

    1964(昭和39)年に初めて大津線(京津線および石山坂本線)に乗ったとき、浜大津から坂本までこの10型に乗りました。ダブルルーフや手動扉の車に乗ったのは初めてでしたので、それだけでも強く印象に残ったのですが、さらに驚いたのは、どこかの駅で離合した別の10型が、関先生の画の18号車と同じ、クリームと紺色の塗装だったことです。後年調べてみると、緑ツートンの塗色になる前のクリームとダークオレンジの塗装は、京阪線の鋼製車(特急車を除く)のみで、大津線の車両には塗られたことはなかったようです。従って大津線一般車では、緑ツートンの一代前の塗色ということになりますが、そんなことを知らなかった当時は、なぜこんな色が?と不思議に思いました。もちろんこの塗装の京阪電車を見たのは後にも先にもこのとき限りです。

    関先生の画の左端に見える11号車は、オレンジ色というか赤茶色のように見えますが、転属間もない頃の「阪急マルーン」なのでしょうか。あるいは茶褐色系単色の時代もあったのでしょうか?

    ところで素朴な疑問をもうひとつ。京阪線には元貴賓車の「16号」が1965(昭和40)年頃まで走っていましたが、それとこの10型の「16号」は、まったく同じ車番です。使用線区が離れているので運用面では特に支障はなかったのでしょうが、監督官庁への届出その他さまざまな手続き上は何も問題なかったのでしょうか。(京阪の社史などでは、元貴賓車は「16型」だそうですが。)戦中戦後の混乱期には、特に合併や統合があった鉄道では、同じ車番の車が堂々と同一線上を走るケースもあったようですが、戦後復興が軌道に乗り始めた時期から約15年間ということで、しかも趣味誌上はどこにも言及されていなかったことでもあり、双方廃車になってから半世紀以上経ちますが、私としては未だに気になるところです。

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