昭和の電車 改訂版(47)ー西鉄モ500型ー 投稿日時: 2020年2月12日 投稿者: 米手作市 「西鉄」と聞くと、恥ずかしながら“中西”“豊田”“稲尾”しか頭に浮かばない情けない男です。松村さんが健在ならば助けてくれるのでしょうが・・・ この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(113)ー近鉄モ6301型ー 昭和の電車 改訂版(90)ー下津井電鉄モハ50型ー 昭和の電車 改訂版(66)ー京福電鉄ホサハ61型ー 昭和の電車 改訂版(60)ー高松琴平電鉄62号ー 昭和の電車 改訂版(42)ー阪急2100系ー 昭和の電車 改訂版(37)ー国鉄モロハ50型ー 昭和の電車 改訂版(12)ー淡路交通モニハ1005ー 昭和の電車 改訂版(2)大阪地下鉄100型
私は「神様、仏様、稲尾様」の方を覚えています。(苦笑) 1974年の廃車と言うことで、その頃、小倉に居ましたが、出張先は大分とか熊本方面で、西鉄に乗車した覚えは殆どありませんでした。 たまたま大牟田出張の折に、松村先輩とお会いしたのが昨日のことの様です。 連接車と言えば北九州市内線を走っていた1000型は、よく覚えています。 返信 ↓
鉄鈍爺さん、 松村さんはコワい顔をしていましたが気の優しい寡黙な九州男児でした。下宿の室内に洗濯物を満艦飾で干していたのを準特急さんが評して『パンツ松村』なる称号を献上したのを思い出します。 西鉄の1000型と言えば、後に広島へ行って、さらにベトナムかタイへ行ったのでは無かったでしょうか? 返信 ↓
私は「神様、仏様、稲尾様」の方を覚えています。(苦笑)
1974年の廃車と言うことで、その頃、小倉に居ましたが、出張先は大分とか熊本方面で、西鉄に乗車した覚えは殆どありませんでした。
たまたま大牟田出張の折に、松村先輩とお会いしたのが昨日のことの様です。
連接車と言えば北九州市内線を走っていた1000型は、よく覚えています。
鉄鈍爺さん、
松村さんはコワい顔をしていましたが気の優しい寡黙な九州男児でした。下宿の室内に洗濯物を満艦飾で干していたのを準特急さんが評して『パンツ松村』なる称号を献上したのを思い出します。
西鉄の1000型と言えば、後に広島へ行って、さらにベトナムかタイへ行ったのでは無かったでしょうか?