昭和の電車 改訂版(42)ー阪急2100系ー 投稿日時: 2020年1月19日 投稿者: 米手作市 前回の「京阪2000系」への反応がイマイチだったので、今回も心配しながら投稿します。2300系は河原町延長時に、近代的な「烏丸」「河原町」駅にマッチした衝撃的な電車として印象に残っています。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(112)ー京阪500型ー 昭和の電車 改訂版(93)ー小田急SE車3000型ー 昭和の電車 改訂版(82)ー東武モハ5310系ー 昭和の電車 改訂版(59)ー近鉄5201系ー 昭和の電車 改訂版(40)ー阪神ジェットシルバー5201系ー 昭和の電車 改訂版(13)ー阪堺電車デト11号ー 昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301 昭和の電車 一畑電鉄デハ20型
宝塚線用の2100系懐かしいです。最後まで、冷房改造されず、能勢電に行ってから初めて冷改されました。ところで、コンピューターで制御と書かれていますが、本当に昭和35年当時電車にコンピューターを載せて制御していたのでしょうか? 返信 ↓
1月18日のNHK総合で放送していた土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」で阪急三宮駅に梅田方面から来た電車が入るシーンがありました。震災前の1981年頃のようです。三宮駅の入口がアーチになっていて、電車はどうも2000系のような気がします。2両目がパンタグラフ2台が載っている車両でした。どのような編成か知らないので確信が持てません。1月23日午前2時から再放送がありますのでどなたか録画して確認していただければ幸いと思います。 返信 ↓
宝塚線の2100系と言われても、全く馴染みがなく 受け流していましたが、能勢電を経て我が三原で生き延びているのが、まさに2100系であることに気付きました。阪急2110⇒能勢1504、阪急2159⇒能勢1554のMc+Tc編成です。平成27年にやってきて、今でも牽引車として活用されているようです。やや古い写真ですがH28-3-3撮影の写真を添えておきます。 返信 ↓
近畿車両の次世代省エネルギー型バッテリー電車「HARMO」です。 架線及びディーゼルエンジン発電機から電力供給を受け、DC/DCコンバータとAC/DCコンバータの両機能を持つマルチコンバータを介しリチウムイオン電池に蓄電します。 近畿車輛の試験車両ですが、三菱重工三原製作所MIHARA 試験センターで2016年に試験が実施されていたようです。
「JR東日本で実用化されたハイブリッド車」というと、2007年のキハE200形気動車、2010年のHB-E300系気動車、HB-E210系気動車で、これらはエンジンで発電機を回し、発電機からの電力と搭載された蓄電池の電力と組合わせてモーターを駆動させる仕組みです。製造は東急車輛― 総合車両製作所です。 また、2014年のEV-E301系電車「ACCUM」はパンタグラフを持つVVVFインバータ制御の電車にリチウムイオン電池を搭載し、非電化区間でモーターによる走行ができる蓄電池式電車です。これも総合車両製作所製。 これらのJR東の車両は「HARMO」より早く登場しており動力方式も異なります。 「HARMO」の運転台は運転台の機器配置はJR西のそれに準じており、JR四国の1500系気動車とも共通する点があるそうです。「HARMO」の売り込み先はJR四国、そしてJR西だったのでしょう。
本題に戻ります。 ・能勢電での1500系として活躍は、平成28年6月で終わりました。阪急、能勢電併せて54年間での引退でした。 ・私は阪急の2000系の車体骨格の曲線、マルーン色に銀色のアルミサッシの取り合わせの妙、車内の木目の壁面とオリーブ色の座席の醸し出す雰囲気、虜になりました。関先生もお書きのように阪急電車の今でも続くデザインの原点。嬉しいことです。 ・教習所で車両教習の時間で、2000系の電気回路図?をたどると途中に白いボックスが記載されていました。教官からこの中はメーカーさんしか分からないとのこと。これこそオートカーの心臓部。社外秘だったんですね。現在のAIの時代から見ると可愛いことですね。半世紀前です。 ・ちなみに私は、甲種電気車操縦者免許証を取得させて頂いております。 返信 ↓
マルーンさん、 電車の運転免許を持っていることはよくわかりました。ところで2100系はデカンショまつり号さんの質問にあるように「コンピュータ制御」だったのですか?自動的に回生ブレーキが作用して速度が維持されたのですか?この点について的確な回答をして下さい。 返信 ↓
今から60年前に、阪急の車両で初の回生制動と定速運転制御を装備した高性能車は「人工頭脳電車」とか「オートカー」と呼ばれました。その定速運転制御は東芝製の2000,2100は磁気増幅器で、東洋電機製の2300,2800はトランジスタを用いた増幅器で行われたようです。 これをコンピュータ制御と呼ぶのかどうかは私には分かりませんが、当時はコンピュータ自身が真空管からトランジスタに変わった進化の過程であった時代ですから、そう呼んでも間違いではないでしょうね。 その定速制御ですが2000は2ノッチが直列、3ノッチが50キロ、(以下ノッチ、キロを略します)4/80,5/90,6/100,7/105。 2100は宝塚線用で、2/直,3/45,4/60,5/70,6/80。 だったようです。 メンテナンスも大変だったらしく、神戸線が1967年、宝塚線が69年に昇圧した際この機能は取り払われた改造が行われたようです。 一方京都線の方は2/50,3/65,4/80,5/90,6/100,7/105で、1981年の冷房改造時まで使われたようです。 返信 ↓
マルーン先輩 ありがとうございます。 よくわかりました。 トランジスタ制御という感じだったのですね。当時のコンピュータは、4畳半くらいの相当大きなものですからコンピュータ制御という記載は、やや先走り感がありますね。 返信 ↓
この車両が登場した昭和35年、その時はコンピュータという概念はどんなものだったでしょうか? 10年後社会人になった際、電算機を導入とか、事務機械化とか、第一世代から第二世代そして第三世代へとか・・電卓も大きなもので小型化は5年後ぐらいでしたか? 電子計算機なる言葉も一般的でない時代であったことは間違いないと思われます。 演算機能で電車動かすというチャレンジ、パイオニアという位置づけになるのでしょうか? トランジスタも懐かしい言葉です。
米手作市様 このシリーズは、それまでの阪急のイメージをガラリと変えた車両でした。 私が接したのは2100形とは兄弟形式の京都線2300形でしたが、軽快感が充ち溢れた そのデザインに、当初は『軽すぎる!』と横目で見ていたのを思い出しました。 しかし、見慣れるに従ってセンスの良さに引き込まれ、P-6だらけの重厚感の中に新風を吹き込んだ2300形に魅了されたものです。 その後、時が経ち今や阪急の主力は7000、7300を経て9000、9300へと進化しておりますが、『?』と思うのは『何故、屋根を真っ白に塗りつぶすのか?』です。 特に、7000、7300ではオデコの辺りまで『真っ白に塗りたくって』おり、まるで侍時代の『チョンマゲ頭』ではないかと吹き出す始末です。 この白い頭にした理由が知りたいのですが、何方かご存知でしたらご教示を。 返信 ↓
河 昭一郎様 1975年から京都線に6300系が導入されましたがその際に仰るところの「白い頭」が出現しました。その後8000系以降はこれが標準となり、6000.7000系さらにはリニューアルの5000系にまで遡って施行されました。 山口益生著「阪急電車」197ページには、屋根肩のRじまいから上をアイボリー塗装として、他形式と差をつけることになった。アイボリーの屋根塗装は、マルーンの車体色をより一層引き立たせるのが目的であるが、スイスの登山電車の、赤い車体に白い屋根の鮮やかな配色が発想の原点である。云々とあります。 ご当事者が仰ることですから、間違いないと思われます。 返信 ↓
マル―ン様 リプライコメントが無かったので、いつもの私の悪い癖で『ネガティブコメント』をしたため、皆様に無視されたかな?とイジケテいたところでした。 そうでしたか。 スイスの赤電車の真似だったんですか。 小生それを聞いても、俄かには頭の中の整理がつきません! 自分に言い聞かせるつもりではありますが、???が続きそうで~す。 返信 ↓
宝塚線用の2100系懐かしいです。最後まで、冷房改造されず、能勢電に行ってから初めて冷改されました。ところで、コンピューターで制御と書かれていますが、本当に昭和35年当時電車にコンピューターを載せて制御していたのでしょうか?
1月18日のNHK総合で放送していた土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」で阪急三宮駅に梅田方面から来た電車が入るシーンがありました。震災前の1981年頃のようです。三宮駅の入口がアーチになっていて、電車はどうも2000系のような気がします。2両目がパンタグラフ2台が載っている車両でした。どのような編成か知らないので確信が持てません。1月23日午前2時から再放送がありますのでどなたか録画して確認していただければ幸いと思います。
宝塚線の2100系と言われても、全く馴染みがなく 受け流していましたが、能勢電を経て我が三原で生き延びているのが、まさに2100系であることに気付きました。阪急2110⇒能勢1504、阪急2159⇒能勢1554のMc+Tc編成です。平成27年にやってきて、今でも牽引車として活用されているようです。やや古い写真ですがH28-3-3撮影の写真を添えておきます。
よく出来た模型に見えた!
それと奥に見える“水色”のヤツが気になる。
米手作市様
申し訳ありませんが、もう4年近く前のことで、水色のヤツの正体はわかりません。
“水色のヤツ”を拡大して「私はだれ?」と尋ねてみれば全国から情報が来るかもしれません。
近畿車両の次世代省エネルギー型バッテリー電車「HARMO」です。
架線及びディーゼルエンジン発電機から電力供給を受け、DC/DCコンバータとAC/DCコンバータの両機能を持つマルチコンバータを介しリチウムイオン電池に蓄電します。
近畿車輛の試験車両ですが、三菱重工三原製作所MIHARA 試験センターで2016年に試験が実施されていたようです。
乙訓の老人の甥です。失礼しました。名前が切れていました。
2015 年の鉄道技術展に出品されていた模型です。(報道画像より)
乙訓の老人の甥様
ありがとうございます。
この車輌はJR東日本で実用化されたハイブリッド車の事ですか?
「JR東日本で実用化されたハイブリッド車」というと、2007年のキハE200形気動車、2010年のHB-E300系気動車、HB-E210系気動車で、これらはエンジンで発電機を回し、発電機からの電力と搭載された蓄電池の電力と組合わせてモーターを駆動させる仕組みです。製造は東急車輛― 総合車両製作所です。
また、2014年のEV-E301系電車「ACCUM」はパンタグラフを持つVVVFインバータ制御の電車にリチウムイオン電池を搭載し、非電化区間でモーターによる走行ができる蓄電池式電車です。これも総合車両製作所製。
これらのJR東の車両は「HARMO」より早く登場しており動力方式も異なります。
「HARMO」の運転台は運転台の機器配置はJR西のそれに準じており、JR四国の1500系気動車とも共通する点があるそうです。「HARMO」の売り込み先はJR四国、そしてJR西だったのでしょう。
本題に戻ります。
・能勢電での1500系として活躍は、平成28年6月で終わりました。阪急、能勢電併せて54年間での引退でした。
・私は阪急の2000系の車体骨格の曲線、マルーン色に銀色のアルミサッシの取り合わせの妙、車内の木目の壁面とオリーブ色の座席の醸し出す雰囲気、虜になりました。関先生もお書きのように阪急電車の今でも続くデザインの原点。嬉しいことです。
・教習所で車両教習の時間で、2000系の電気回路図?をたどると途中に白いボックスが記載されていました。教官からこの中はメーカーさんしか分からないとのこと。これこそオートカーの心臓部。社外秘だったんですね。現在のAIの時代から見ると可愛いことですね。半世紀前です。
・ちなみに私は、甲種電気車操縦者免許証を取得させて頂いております。
マルーンさん、
電車の運転免許を持っていることはよくわかりました。ところで2100系はデカンショまつり号さんの質問にあるように「コンピュータ制御」だったのですか?自動的に回生ブレーキが作用して速度が維持されたのですか?この点について的確な回答をして下さい。
今から60年前に、阪急の車両で初の回生制動と定速運転制御を装備した高性能車は「人工頭脳電車」とか「オートカー」と呼ばれました。その定速運転制御は東芝製の2000,2100は磁気増幅器で、東洋電機製の2300,2800はトランジスタを用いた増幅器で行われたようです。
これをコンピュータ制御と呼ぶのかどうかは私には分かりませんが、当時はコンピュータ自身が真空管からトランジスタに変わった進化の過程であった時代ですから、そう呼んでも間違いではないでしょうね。
その定速制御ですが2000は2ノッチが直列、3ノッチが50キロ、(以下ノッチ、キロを略します)4/80,5/90,6/100,7/105。
2100は宝塚線用で、2/直,3/45,4/60,5/70,6/80。
だったようです。
メンテナンスも大変だったらしく、神戸線が1967年、宝塚線が69年に昇圧した際この機能は取り払われた改造が行われたようです。
一方京都線の方は2/50,3/65,4/80,5/90,6/100,7/105で、1981年の冷房改造時まで使われたようです。
マルーン先輩
ありがとうございます。
よくわかりました。
トランジスタ制御という感じだったのですね。当時のコンピュータは、4畳半くらいの相当大きなものですからコンピュータ制御という記載は、やや先走り感がありますね。
この車両が登場した昭和35年、その時はコンピュータという概念はどんなものだったでしょうか?
10年後社会人になった際、電算機を導入とか、事務機械化とか、第一世代から第二世代そして第三世代へとか・・電卓も大きなもので小型化は5年後ぐらいでしたか?
電子計算機なる言葉も一般的でない時代であったことは間違いないと思われます。
演算機能で電車動かすというチャレンジ、パイオニアという位置づけになるのでしょうか?
トランジスタも懐かしい言葉です。
米手作市様
このシリーズは、それまでの阪急のイメージをガラリと変えた車両でした。
私が接したのは2100形とは兄弟形式の京都線2300形でしたが、軽快感が充ち溢れた
そのデザインに、当初は『軽すぎる!』と横目で見ていたのを思い出しました。
しかし、見慣れるに従ってセンスの良さに引き込まれ、P-6だらけの重厚感の中に新風を吹き込んだ2300形に魅了されたものです。
その後、時が経ち今や阪急の主力は7000、7300を経て9000、9300へと進化しておりますが、『?』と思うのは『何故、屋根を真っ白に塗りつぶすのか?』です。
特に、7000、7300ではオデコの辺りまで『真っ白に塗りたくって』おり、まるで侍時代の『チョンマゲ頭』ではないかと吹き出す始末です。
この白い頭にした理由が知りたいのですが、何方かご存知でしたらご教示を。
河 昭一郎様
1975年から京都線に6300系が導入されましたがその際に仰るところの「白い頭」が出現しました。その後8000系以降はこれが標準となり、6000.7000系さらにはリニューアルの5000系にまで遡って施行されました。
山口益生著「阪急電車」197ページには、屋根肩のRじまいから上をアイボリー塗装として、他形式と差をつけることになった。アイボリーの屋根塗装は、マルーンの車体色をより一層引き立たせるのが目的であるが、スイスの登山電車の、赤い車体に白い屋根の鮮やかな配色が発想の原点である。云々とあります。
ご当事者が仰ることですから、間違いないと思われます。
マル―ン様
リプライコメントが無かったので、いつもの私の悪い癖で『ネガティブコメント』をしたため、皆様に無視されたかな?とイジケテいたところでした。
そうでしたか。 スイスの赤電車の真似だったんですか。 小生それを聞いても、俄かには頭の中の整理がつきません!
自分に言い聞かせるつもりではありますが、???が続きそうで~す。