昭和の電車 改訂版(90)ー下津井電鉄モハ50型ー

下津井電鉄に関しては多くの方が思い出を語って下さいました。

下津井電鉄モハ50

下津井電鉄の思い出

下津井電鉄の情景

下津井モハとクハ

下津井電鉄モハ50

6 thoughts on “昭和の電車 改訂版(90)ー下津井電鉄モハ50型ー

  1.  関画伯の下津井電鉄の電車ではありませんが、十二歳のときに下津井電鉄に乗ったことがあります。小学校の臨海学舎で下津井海岸へ海水浴にいったのです。小学校活動で遠いところまで行っていたものですが、大阪市から国鉄での往復や下津井電鉄のことはほとんど記憶に残っていません。1954(昭和29)年7月23日の下津井駅での解放デッキ客車の写真がありましたので添付します。のどかな時代で、幼くても誰も転げ落ちることなく茶屋町まで展望車を楽しんだことでしょう。連結器が時代を表しています。

    • 大阪通信員様
       皆さんの元気さ、張り切りぶりが伝わってきますね!
      夏らしく丸刈り、麦わら帽、夏用学生帽、半ズボンそして水筒、日本の夏、昭和の夏休みですね。

  2. しかし、大阪の小学生が下津井まで臨海学校で行くとは!二色浜か浜寺で充分です。
    下津井は、岡山県の小学生が行くところです。客車にトイレは付いていませんよ,マルーンさん!

    • 米手作市様
       この賢そうで元気なお顔を見てください。
       大大阪をそして日本を背負おうとしている方々が、大阪の枠内にとどまらず兵庫を超え岡山まで足を伸ばされることは、さすがと思いますよ。
       小生は若狭高浜、翌年は若狭和田でした。県内といえども、越前から若狭へは子供にとって大旅行でした。言葉のイントネーションも違い、いろいろ感じることが多かった思い出があります。

  3. 米手作市様
     この賢そうで元気なお顔を見てください。
     大大阪をそして日本を背負おうとしている方々が、大阪の枠内にとどまらず兵庫を超え岡山まで足を伸ばされることは、さすがと思いますよ。
     小生は若狭高浜、翌年は若狭和田でした。県内といえども、越前から若狭へは子供にとって大旅行でした。言葉のイントネーションも違い、いろいろ感じることが多かった思い出があります。

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