関 三平氏の「下津井電鉄モハ50型」に対し、3月13日【31472】で湯口先輩、【31472】で西村雅幸氏、3月16日【31662】でtsurukame先輩、3月29日【31863】で乙訓の長老が投稿されておられるが、その中でクハ6が良好な状態で保存されているのは嬉しい限りである。また、tsurukame先輩の写真は、撮影された場所が昭和47年3月末で廃止された区間で、モハ50形の牽く貨物列車と共に非常に貴重である。乙訓の長老の「思い出」は、路線短縮後のカラー写真と共に貴重な記録である。
湯口先輩と重複する部分があるが少し補足すると、モハ50形(モハ50~55)の前身はカハ50~55であるが、50、51は昭和9年4月、52は11年3月、53は鮮魚台が拡大され同年9月、54、55は12年4月に、いずれも加藤車輌製作所で新製されている。モハ53は事故が多かったため33年2月、モハ65に改番され、その後事故は無くなったそうである。
カハ50より以前に製作された車両は、カハ5(昭和6年4月日本車輌)がクハ5に、カハ6、7(昭和6年12月日本車輌)がクハ6、7に、カハ8(昭和8年6月加藤車輌製作所)がクハ8に、単端式のカハ1、3(昭和3年日本車輌)を背中合わせに接合したクハ9に改造された。
モハ52/(44-3-18) 下津井
モハ55/(44-3-18) 下津井 鮮魚台が広くなった。
クハ6/(44-3-18) 下津井 西村雅幸氏の投稿の通り長船で保存されている。
クハ9/(44-3-18) 下津井 昭和29年7月自社工場で単端式ガソリンカーを背中合せに接合して作られた。
車体更新車
気動車改造電車の車体が老朽化してきたため車体更新が自社工場で実施された。モハ54とクハ8が39年3月に実施され、モハ104とクハ25に改番、モハ51とクハ7が40年1月に実施され、モハ105とクハ26に改番された。
車体を鮮魚台部分まで延長して連結面に貫通幌が設置された。
モハ104/(44-3-18) 下津井 中間に元栗原電鉄のサハ1を挟み、モハ104+サハ1+クハ25の3連を組んでいた。
藤本様、
カハのカは何を意味しますか?
「ガソリンカー」の頭文字「ガ」の濁点を外し、「カ」としたものです。