忘れられた下津井電鉄のモノクロネガ

 古いネガを調べていたら、見覚えのない下津井電鉄を写したモノクロネガがでてきた。どうもなぜか自分が撮った感じがしない。見つけてからそのままにしていたのであるが米手さんの「昭和の電車」で下津井電鉄モハ50型を見て、もう一度よく見てみた。最初に見た時はオヤジが撮ったと思ったのであるがどうもよくわからなかった。自分が撮ったのか、オヤジが撮ったのか、ようわからん。しかし、自分の写真とは作風が違うような気がするのであるが・・・

下津井電鉄は子供の頃、日帰り家族旅行で茶屋町から鷲羽山まで乗ったのと、1971年の「珍説飯山雪合戦騒動」があった後に下津井電鉄へ行って写真を撮っている。これっきり、これっきりと思っていたのであるが、もう一回行っていた。それは1974年である。

 それでは1971年の時の写真はというと

この時は茶屋町から下津井まで走っていた。そして1974年の時の写真には

下津井電鉄の車庫に井笠のホジの写真があった。そして、見つかったネガには

井笠のホジは車庫外に留置されていた。これから考えてみると撮影時期はどうも違う。ところで井笠のホジは茶屋町ー児島間を廃止するときに撤去工事で貨車を動かす機関車替わりに使うことで移籍されたものである。とにかく、この写真はまったく撮った覚えがない。そして、このフィルムは「NEOPAN400」の36枚撮り、残念ながら最後の方は光がかぶっていたが何とか見ることができる。ではその写真の一部を

 茶屋町ー児島間が廃止された1972年以降にもう一度行ったのだろうか?誰がいつ撮ったのか、いまだに謎が残る下津井電鉄の写真である。

4 thoughts on “忘れられた下津井電鉄のモノクロネガ

  1. どですかでんさん
    良い写真じゃないですか!
    特に駅待合室の写真は昔のローカル色が出ていて、懐かしさ一杯です。良く見つけてくださいました。ありがとうございます。

  2. 駅の待合室の二枚の写真を見て、直観的にこれはオヤジが撮ったものだと思いました。見つかってよかったです。オヤジはよく会社の写真が好きな人と撮影に行っていました。退職してからも一緒に行っていたこともあります。さらに晩年はおふくろを撮影助手として一緒に行っていました。ときどき、三重の山奥にあるお寺に車で連れて行ってくれとの要望があり、行ったものです。オヤジの写真で祭りを撮ったものがあります。コロナ禍で疫病退散の祇園祭の山鉾巡行が中止になり、大阪では天神祭が船渡御などが中止になりました。それでオヤジが撮った天神祭の写真を1枚。いつ撮ったかわかりませんが、何やらタイムスリップしたような感じがする一枚です。

  3. どですかでん様
     武漢発ウィルスが又ぶり返してきたようです。堪忍して欲しいですね。
     そんな中、長閑なシーンを拝見させて頂きました。モノクロがより良く感じます。日の光、海の輝き、人のたたずまい、影、床のぬれ具合・・・昭和ですね!

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