(4)北丹鉄道 昭和40年のDL列車
北丹鉄道DR FC貸切列車の続編を載せようとしたところ、Tさんからメールが入りました。昭和40、41年と、Tさんが高校生の頃に、北丹に魅せられる契機となった時の写真も添付されていました。まだ定期列車でDLが客車を牽くと言う、DRFC貸切列車の編成が日常的に見られました。私などは見たこともない写真で、改めて、Tさんの目覚めの早さと、視点の鋭さを思うのでした。
▲昭和40年3月、まだ高校2年のTさんは初めて北丹鉄道を訪れた。3軸ロッド式のDLが、2軸の木造客車を牽くと言う、60年前の日本でも、滅多に見られない光景に、眼を見張った。福知山~河守をこの列車に乗って往復し、乗り心地を堪能し、この時の感動が、5年後にDRFC貸切列車となって結実する。

▲始発の福知山で発車を待つ列車、DLはDC1で、貸切列車のDB1ではなく、1号蒸機の足回り利用して、森製作所がDLに仕上げた珍品。〝森ブタ〟と呼ばれる、正面にラジエターグリルのある武骨な風貌。「北丹鉄道」のプレートも見える。
▲客車のハ12、羽目板もよく分かり、車内の乗客も見える。一畑電鉄広瀬線のサハ4を昭和35年に購入したもので、「4」の標記がまだ残っているのが初めて分かった。客車は、ラッシュ時には南海ボギーのハニ11、昼間は単車のハ12が使われた。
▲戻りの車内後部から見る。この時代から、道床はなく、線路はすっかり地面に同化している。黒い筋はDLが垂れ流している燃料で、石油危機の現在なら問題になるところだ。子どもがレールに耳を当てて聞いているのも、この時代らしい。
▲翌年、昭和41年3月にも、Tさんは再び北丹へ向かっている。ところが、DLに代わって、昭和40年7月にキハ101が導入されて、旅客は、すべてDC化され、国鉄からの貨車も、DCが牽くようになった。
▲途中の日藤第一トンネル付近、前回のカラーと同じ付近、横の国道にクルマが見えないのも同じ。
▲終点、河守の情景、貨車が多く見える。まだ河守鉱山が盛業中なので、関連する貨物なのか、右手に貨物ホームがあったのも初めて分かった。








