門鉄デフのD50

以前の澤村達也さんのコメントに「門鉄デフのD50のバラキットを持っているので、参考になる現物機を紹介してほしい」とのご要望があり、また紹介しますと約束してから、もうかなりの日数が経ってしまいました。やっと該当するネガを探し出すことができました。 

門鉄デフはC55・C57に代表される旅客用蒸機がとくに有名ですが、D50・D60のような貨物用の太いボイラーを備えた蒸機に装備すると、まるでゼロワンを彷彿とさせるようなスタイルになり意外と似合うものです。私が蒸機を本格的に撮り出した昭和40年代の前半、D50の総数380両のうち、昭和42年度は63両、昭和43年度では21両と急速にその数を減じていきます。そのうち、撮影できた25両のなかで門鉄デフ装備は7両に過ぎません。うち1両を除いて、門鉄デフの本場、北九州に在籍していました。いずれも分類上、K-7形と称される小倉工場製の切り欠きデフですが、デフそのものの大きさは機によって少し違います。63,129、374は除煙板が比較的小さいタイプ、これに対して105は大きなタイプ、また62,90は除煙板の下辺が斜めになっています。

 

 

北九州以外のもう1両は、米原区のD50131でした。この機は長野工場製の切り欠きデフN-2形で、形はだいぶ違います。米原~田村間の交直接続に、他のD50とともに使用されていましたので、ご覧になった方も多いと思います。

模型化の参考になれば幸いです。  

 

大分区で出区待ちの05062(大)は大きな切り欠きデフ

 

門司区で見かけた〔柳〕のD5063 オーソドックスな門デフを装備

石炭車を牽いて筑前垣生のカーブを行くD5090〔若〕

電化工事の進む大分区でのD50105〔大〕。大きな切り欠きデフを装備

煙だらけの門司区で休むD50129〔柳〕は標準的な切り欠きデフ

最終ナンバーに近いD50374〔柳〕は休車中

D50131〔米〕は長工式、交直接続で活躍

 

門鉄デフのD50」への3件のフィードバック

  1. 総本家様

    私の勝手なおねだりを聞き入れていただき、誠にありがとうございました。再度キットをあけてみましたところ、入っているデフ板は標準的なタイプで、嫌味がないこのタイプが私の好みです。で、入っているナンバープレートは62、129、353号機の3種類で、ご提示いただいた写真の中から選ぶと、129号機ということになりそうですね。面白いことに120番代から130番台にかけては前面のナンバーが他より明らかに高い位置に取り付けられている機が見られることです。メーカーによる違いなのでしょうか、正直少し間抜けな顔ですね。これをそのまま作るかどうかはいま少し考えることにします。

    それからD50のテンダーは本来20立米形ですが、C53、C54と同じ17-12形の機が見受けられます。(C51にも17立米形から17-12形に取り替えた機があったようです。)129号機の写真はオリジナルの20立米形に見えますが、キットに入っているのは17-12。小寺康正さんの写真集、「蒸気機関車の角度」にはオリジナルより交換?した機の方が多かったと書いてあります。

    これも悩ましいことですが、D50129号機、当工房の入場順位が俄然高くなりました。

  2. 大分のD50の運用ですが、当然日豊線しか使えなかったと思います。
    久大線のD60はもう少し時期が後まで活躍できたでしょうが、軸重の関係で
    大分以南も走っていなかったと想像します。
    大分電化以前に今は小さな駅になった柳ヶ浦に機関区がありました。
    宇佐と杵築の間、ちょうど国東半島の付け根を横断する区間に25パーミル
    の立石峠がありその部分の補機にも運用されていたと思います。
    (記憶します、でないので不正確ご容赦を)

    それにしてもD60という機関車は登場年次が遅く、戦後の最後の改造機の
    時代ですが、シリーズ中一番タネ機が古いのに一番沢山作られました。
    セミ近代機ともいえる不思議な機関車です。
    山口線や磐越東線などでは、近代化の先兵のように大事に扱われたり
    またユニークな筑豊本線を走る「天草」の後補機はテンダを前に連結され
    逆向きに付くこともあり、その理由は1軸の先輪より2軸の従台車が先の方が
    下りで速度が出たときに脱線しにくいから、という理由を聞いたことがあります。

    門デフがついて思い切りお洒落になったD60などは大正ボーイ9900の
    面目一新で我が人生最後の仕事を朗々と、歌でも歌いながら亜幹線の仕業に
    就いていたのではないでしょうか。
     私も定年をそろそろ考える年になってきました。

  3. 澤村さま
    さっそくの書き込み、ありがとうございます。キットに入っていたナンバープレートと、私の撮ったD50129とが偶然一致していたのですか。なんという奇遇でしょうか。私も標準の門鉄デフを装備し、化粧煙突のD50129が、撮影した中ではいちばん好きです。確かにナンバープレートの位置が他機より高いですね。ほんの数センチの差ですが、印象が違います。むしろ高いほうが顔が締まって見えます。
    この機の工場入り順位が高くなったとのこと、晴れ姿を早く見たいものです。

    K.H.生さま
    いつも的確なコメントをいただき感謝します。
    大分区のD50ですが、これらの写真を撮った昭和42年前後は、確かに日豊本線大分以北で使われていました。日豊本線大分以南、久大本線は、軸重の関係で入線できず、前者はD51またはC57、後者はD60が貨物を牽いていました。当時、日豊本線の電化は新田原まで、電化区間は僅かのため、貨物は蒸機牽引のまま電化区間に乗り入れ、D50129のように、門司でも大分・柳ヶ浦のカマが見られました。
    その柳ヶ浦、当時は機関区があって立石峠の補機の基地となり、列車の終始発の駅でもあり、大分以北では中枢の駅でした。いまはホントに目立たない、ありふれた駅になりました。数年前ですか、高校野球大会に柳ヶ浦高校が出場し、懐かしい思いでその名を聞いたものでした。
    D60は確かに改造機のなかでは格段に古いカマから改造されていますね。D51があれほどいたのに、その改造機のD61が6両に留まっているのとは対照的です。
    そのD60が後補機として活躍した急行「天草」、最初見たときはD60が正位の後補機でしたが、その一年後に見たときは、逆向きの後補機でした。こんな理由があったのですね。

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