雨のそぼ降る午後、ある新刊をもって会長・乙訓の老人を訪ねた。会長猊下はいつもの玉座に鎮座まします。
実はこの本は3月からDRFCクローバー会に入会する法学部法律学科78年度生・上原正英氏の作品である。これを会長猊下にご高覧頂きたくて訪問したのである。会長猊下はぺらぺらと一瞥して後、「余はその昔、推理小説に熱中したものである。最近のものはあまり面白くないではないか」「畏れながら申し上げます。猊下はどのような作家をお好みでしょうか?」「よい質問じゃ。余は松本清張、横溝正史、江戸川乱歩、鮎川哲也などを好む」「畏れながら有栖川氏は鮎川哲也の弟分でございます」「なに?では読んでみよう」てな具合であった。
そのとき、長老猊下は表紙を見た瞬間、「この車体は●●鉄道の○○や」と即断を下された。《そんなこと、ほんとに分かるのかいな~?》と思わず疑いましたがなにせこの世界では伝説の方、確認したくてこっそりと皆様にお尋ねする次第です。
この車体の出自をご存じの方、教えていただけませんか?
なお、献上した本は私が先輩であることをいいことに作者にサインを入れてもらって買った本であり、決して巻き上げたりしたようないかがわしいものではないことを明言しておく。
静岡鉄道の昭和戦後期の車体では?
http://www4.tokai.or.jp/s.tetudourekisi/shizutetsu/shizutetsu0a.htm
K.H.生さま、
早速のご教示、ありがとうございます。
じつは正解は作者(正確には撮影者)しか分かりません。本にも書いていないからです。
後ほど作者の有栖川氏(上原氏)にお願いして撮影者に確認してもらうつもりです。
ところで、先ほど私のところへメールが来ました。この車体に関してです。
なんでもその会員氏は会長猊下の見立てと違う答えを出したときに気を悪くされるのではないかとの気遣いで私信での御連絡となった由ですが、あえて説得して匿名での代理投稿とすることでご了解を得ました。以下、その要約
>【2084】これなんだ?教えて下さい!の写真と文章楽しく読まして頂きました。
当該表紙写真は、修整、合成していないものであるとするならば、
http://sky.ap.teacup.com/natureblg/326.html
中段、「鹿島鉄道・廃線跡探索・番外編」に
http://sotetsu.cside.com/syaryou/hitachi_haisya.htm
最下段のモハ352
表紙写真を注意してみれば判るとおもいますが、
運転台窓下部ワイパー取り付け部分の形状が山型になっております。
福井鉄道300形は直線です。車体は譲渡されず、全て解体されました。
更に冷房機器はありません。
あとは熊本か、日立か…、廃車体が現存するのは何処か。
推理が必要とされる探偵小説と同じであります。
たぶん推理に間違いがなければ、乙訓の長老も同じ解答をされたのではないでしょうか。<
さて、皆様の推理は如何?
ずばり解答を書きます。
件の廃車体は元日立電鉄のクモハ352です。(右端の窓上に「352」の数字が読み取れます)その前は静岡鉄道クモハ352、更にその前があり、元を正せば鶴見臨港鉄道のモハ106まで遡ることができます。経歴を簡単に書きますと、鶴見臨港鉄道が昭和5年旅客輸送開始時にモハ100形モハ106として新潟鐵工所で新製、昭和15年モハ116に改番、昭和18年7月1日、戦時買収により国鉄鶴見線となる。(車号は変わらず)昭和28年の形式称号改正でモハ1500形モハ1503と改番。昭和30年3月廃車(最終配置は横川電車区で可部線で使用)昭和32年静岡鉄道に譲渡されモハ19、昭和39年称号改正でクモハ19、昭和43年車体更新(新製車体と乗換え)でクモハ352、昭和49年10月、日立電鉄に譲渡され同社クモハ352、昭和59年4月元営団地下鉄2000形と置き換えで廃車。
場所まで書いてしまうと推理になりませんが、国道51号線の大洋付近で物置として使用されていましたが、今もあるがどうかはわかりません。(昭和60年頃、鹿島~水戸間の関東鉄道の路線バスの車内から見ております。この付近、他にも日立電鉄の廃車体があり、余程降りて見に行こうと思ったのですが次のバスまで2時間以上あったので止めました)
日立電鉄では撮り損ねていますが、静岡鉄道時代に撮影した記憶があり、写真が見つかれば掲示板に書き込みしたいと思います。
藤本哲男さま、
待っていました!
と、言うことは鶴見臨港→国鉄→日立のクモハ352と言う結論ですか!
そういえば会長猊下は「静岡鉄道の・・・」とおっしゃっておられました。「私は静岡鉄道など乗ったことはもちろん、見たことは東海道本線の袋井だったかの駅の端に止まっていたのをチラッと見た程度です」というと当時のことを教えて下さいました。さすがは会長猊下という他はありません。
結論は、イッパツ回答の会長猊下とこの問いに答えて下さった皆様全て正解でした。さすがはDRFCです。
会長様、疑った私をお許し下さい!脱帽
藤本先生、静岡鉄道時代の写真をぜひとも見せて下さい。
上原氏から回答が来ました。
>有栖川です。
『赤い月……』の表紙の写真について。
来週あたり発売の『ダ・ヴィンチ』誌で、この本の小特集が載ります。
そこに写真家の丸田さんが寄稿なさっているのを読みますと–。
撮影場所は、茨城県のH町の三つ葉畑。
戦時中は、軍の飛行場があったところ。
電車は、1960年代製造の私鉄車両。
と、いうことです。
それ以上のことは、「苦労して撮影場所を探し出す」のを仕事にしている丸田さんに訊けません。
ご本人としては、「ヒントは出したから、あとは探して」ということでしょう。<
これをもって正解答といたします。瞬時に場所、車両と戸籍、それに写真まで見せて下さった会員の皆様、ありがとうございました。