これからが、今回の旅の本番、香港返還に合わせて1996年に開通した京九鉄道の広州駅~北京西駅間約2300km、約21時間の初乗車の始まりです。
2008年9月13日17:15、急いでホームに上がりました。既にT16は、ホームに着いていました。客車の行き先サボを見ると、何と海南島三亜駅からの車両です。前もって時刻表は見ていましたが、気が付きませんでした。
海南島三亜駅から北京西駅まで、3448km、約35時間をかけて走破します。特筆すべきは、海南島の海口駅と、本土の徐聞駅間、客車のみ、鉄道連絡船に乗せて運びます。是非に乗りたいと思っていた列車です。途中からとは言え、乗車できたのは感激でした。
最新の25T 形式の軟臥(1等寝台)RW25T 554502が、待っていました。ご覧のように最近の駅ホームは、かさ上げされて車両ドア位置と同じになっています。ホームと列車との間には、渡り板も設置されて、スーツケースも難なく運べます。
列車乗務員に切符を渡して、部屋カードと交換しました。4人用のコンパーメント車です。綺麗に整頓された部屋に入ると、中央の机の上には、花瓶に造花、熱いお湯の入った魔法瓶、列車の案内が設置されていました。以前は泥だらけで、汚れた窓ガラスも今は、綺麗に拭かれて、清潔感は満点です。
オリンピック列車と記載されたパンフレットも置かれています。これを見ても、中国鉄路局が、サービスに力を入れている列車と分かります。
25Tは、初めて北京~上海間に登場した時に初乗車しました。コンパーメント内には、各ベットごとにTVが設置され、列車乗務員もしっかりとしたサービス教育を受けた美人が乗車していました。
この列車に乗務する事は、選抜された列車乗務員の誇りでもありました。唯一の問題点は、乗客には、上海の会社経営者等の金持ちが多く、自分の会社に来ないかと高額の給与を提示されて、引き抜かれる事が多く、困っていると、同行していただいた列車乗務員の教官が言っていました。
試しにTVを付けてみました。初登場した時は、外国映画やニュース等、数局は見る事が出来ましたが、今回は、1局のみの放映でした。
さて、同室者は、どんな方なのかと不安と期待がありましたが、発車しても誰も入室しません。次の停車駅は、約7時間後の長沙0:21着です。ひょっとしたら、個室? それなら、チョーラッキーです。少なくとも、7時間は、専用個室でリラックスできます。
静かに定刻の17:25発車しました。広州の街を出ると、車窓は、熱帯雨林です。山岳地帯を走行します。棚田の田園もありました。しばし、コンパーメントからの車窓を楽しんだので、1時間後、9号車の餐車(食堂車)CA25T 893424に行ってみる事にしました。
私の車両は、7号車です。8号車は、2人用の高包(1等寝台車)。これにも乗車してみたいと思っていましたが、今回は、4人用を個室として使えるなら、この方がベストです。
餐車に入ると、既に満席状態でした。何と、3分の1は、列車乗務員が座って、声高らかに食事中です。日本では、あり得ない事です。一般の乗客との相席を求められました。
菜単(メニュー)を要求すると、紙に手書きの菜単をテーブルに置かれました。ご覧のように、主食のおかずは、6種で、20~30元(300円~450円)、米飯は、2元(30円)、ビールは、6元(90円)です。
おかずは、どんな物が出てくるのか、さっぱり分かりません。魚料理は、油で炒めて味付けられた物であることは確かなので、パスです。注文を取りに来る乗務員に、今日はどれがお薦めかを聞く事にして、後は、湯(スープ)、米飯と常温のビールにしました。
冷たいビールがあるかどうか打診しましたが、冷やしてはいないとの返事です。まあ、餐車で冷やしているビールなど、今までありませんでした。元々、中国人は、冷たいものを食する習慣がありません。さしみ等を食したり、冷的饮料(冷たい飲み物)飲むようになったのは、外国の食文化が入ってきた最近からの事です。
注文品は、合計51元(765円)。一般の中国人にとっては、かなりの高額です。殆どの人は、乗車前に買っておいた惣菜、車販の安い弁当や、カップラーメンを食べます。
出てきた料理は、ご覧のとおりです。向かいの席の若者は、米飯を3杯も食べていました。食後、一服していると、隣の席の中国人から話しかけられました。
最初に聞かれるのは、いつも同じで、韓国人か日本人かの質問です。日本人です。中国鉄路の写真を撮りに来て、列車に乗るのが趣味ですと、これまたいつものように答えると、私の妹が日本に住んでいて、昨年北海道に行った。日本は、とても綺麗な所だ。また行きたいと思っていると言いながら、手机(携帯電話)を取り出して、旅行中の写真を見せてくれました。
職業は、何かと聞くと、また手机を取出して動画を見せました。オフロードバイクで山間を走行している様子が見えます。自分は、モトクロスライダーで各地の大会に出ている。今回も北京近郊での試合に出るため列車に乗っているとの答えです。
中国で、プロのモトクロスライダーが、はたして生活できるのか聞きたかったのですが、私の語学では、意味が通じませんでした。
部屋に戻り、部屋の鍵をかけ、電気を消して、満月に照らされた車窓からの景色をあてに、日本酒を飲みながら旅情にひたりました。
やがて、走行音が子守唄となり、長沙に着く前に眠りにつきました。 Part5 へ続く