昭和の電車 改訂版(6)近鉄800系

この電車はよく乗りました。今はやりの湘南顔、鹿のマークとステンレスの帯、それに下降窓に窓枠がなく吸盤のようなつまみを持って上下したように思いますが・・違っていたらゴメンナサイ!

8 thoughts on “昭和の電車 改訂版(6)近鉄800系

  1. 『どじょう』ですか、言い得て妙ですネ。
    近鉄は門外漢の小生ですが、この800系には結構『惹かれた』ものです。
    印象としては『小型車』だった気がしますが、『国電では無い』のでそれ以上のツッコミをせず、未だに真偽不明のままです。(どなたか、この件ご教示下さい。)
    ただ、近鉄での茶色車体が印象的で、尚且つ『丸マッチい』可愛さに思わずパチリとやった覚えが有ります。

  2. 大阪から奈良に行く時はよく乗りました。特急でロングシートでしたがマルーン(赤が強かったと思います)の色彩は当時の近鉄としては新鮮でした。近鉄としては小型車でした、最大寸法では長さが18.5m幅が2.7mで大型車の長さ20.7m幅2.8mと比べると小さいです、車体そのものの幅はもう少し小さい気がしました、ステップがあったと思います。窓はバランサーのついた下降窓で、窓ガラスにプラスチックの「つまみ」が接着剤で固定されていたイメージです(二つの内、一つ外れているのもありました)。晩年は台車を狭軌用に履き替えて伊賀線で余生を送っていました。
    伊賀線での写真は見つからなかったのですが、京都線・橿原線を走っていた時の西大寺付近(1969年頃)のものです。扉付近に白いステッカーが
    ありますが70年万博のステッカーです。

    • wakuhiroさん、
      ありがとうございます!私の記憶に間違いがなかった=まだ、ぼけてはいない、を証明して下さいました。窓ガラスの下にパンタグラフ型のバランサーが付いていたことも思い出しました。

  3. いやあ、これはまた懐かしい車両ですね。
    私は新生駒トンネル開通の翌春、大阪市内から学園前の団地に引越しましたが、当初はまだ大型車(900系、8000系)の絶対数が足りず、特急(現在の快速急行、当時は上本町~奈良間で途中停車駅は鶴橋と大和西大寺のみ)と普通は大型車でしたが、学園前の住民がよく利用する急行、準急は中小型車がまだ多かったようで、ときどき乗りました。その後8000系の増備につれ奈良線から姿を減らしましたが、難波線開業後もわずかに残った天理直通準急で見かけたものです。サッシュレスの窓やシュリーレン台車など、その後の近鉄の標準となったデザインもさることながら、軽量車で実に軽やかな走行音だったことが印象に残っています。
    なお、wakuhiro様撮影の写真は橿原線尼ヶ辻~西ノ京間、垂仁天皇陵の東側ですね。このあたりは風致地区に指定されていますが、おかげで木造車の走っていた時代からそう大きく変わっておらず、現在も撮影適地です。また米手作市様撮影の写真は、バンビではないヘッドマークですが、行楽期の休日に運転されていた、あやめ池停車の「臨時特急」だと思います。

    • まほろばの鉄趣味住人様、
      調子に乗って、同じ日に生駒駅で撮ったのもご覧にいれます。

  4. 遠足の貸し切り列車で乗ったことがありますが、その後はなぜかあまり印象がありません。写真は1985年の西大寺。

    • ブギウギさん、
      ヘッドライトが二灯式の豚鼻になっているのですか?
      あと、アンテナやスカートが付いていますね。

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