水上勉著『停車場有情』

7月7日の『阪急1301系』の投稿欄にマルーン氏から『水上勉の「停車場有情」という作品を読んだ。こんな作品があったのか、と感銘をうけた』と記されていた。

早速、図書館へ貸出を申し込んだが、古いという理由で時間がかかったものの府立図書館から取り寄せてくれた。
ページを開けてみたが独特の筆致に引き込まれ,一気に読破した。

水上勉が福井県の人だと言うことは知っていたが、あのモノトーンの何とも言えない押し殺したような作風から、北の、それも能登に近い鉛色の海をいただく越前地方の出身だと勝手に思い込んでいた。しかし今回、小浜線の若狭本郷の出だと知った。大正8年に生まれて、9才の時京都の寺に修行に出たが、預けられたのが我が家に近い八条坊城であったのには驚き、しかし、親しみを感じた。

初めて京都の地を踏んだのが旧丹波口駅。そこから歩いて大宮通を下がり、大宮陸橋の下をくぐって八条坊城へ向かったとある。いずれも私の生活圏なので、時代が違えば顔を合わせたかもしれないと思った。

書かれている駅の数は28駅、ほとんどが北陸本線、小浜線、山陰本線だが中には満鉄もある。大正年代から湖西線の駅まで出ているからかなりの年月をかけた記録である。面白いのは駅周辺を描写した箇所と音の描写であった。さすが文豪である。行間に閉じ込められたその時代の空気感まで呼び覚まされる。鉄道ファンでなければ記憶しないことまでさらりと書いてあった。

蒸気機関車の旅が当たり前であった頃をよく知っているものにはなつかしい作品である。

2 thoughts on “水上勉著『停車場有情』

  1. 米手作市様
     早速お読みいただき、ご紹介を頂き、有難うございます。
    文章も然り、挿絵とのマッチングもなかなかのものでしたね。
     丹波口駅の少し前は時代背景も違い、その情景を勝手に想像した次第です。
     鉄道ジャーナル誌でご紹介いただいた蜂谷女史に感謝します。

  2. マルーンさん、
    文豪といえども記憶違いがあるようで、丹波口駅と島原遊郭の位置に微妙なズレがありました。また、歩いて「唐橋」(現大宮陸橋)を渡り八条へ行った、唐橋は木橋で土を敷いただけなので自動車が通れば揺れた、との記述があります。現在の大宮陸橋の正確な完成時期は覚えていませんが市電の七条ー九条が開通したのが昭和10年8月ですから彼が渡った昭和3年初冬なら木橋でもおかしくはありませんが「梅小路駅」の稿で「人道は地下になっていて・・」とあり現在と同じです。果たして車道が木橋で人道が現在と同じ地下道だったというのは本当だろうか?などと考えてしまいます。

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