五十年前に見た 当たり前の風景  -4-

二条駅を偲ぶ(1)二条駅の北にある旧二条通の踏切から、駅構内に入って、発車する下り列車を撮ることができた。列車は、日曜日の夕方17時10分発の1827レ、日曜日に運休する列車の牽引機を、翌日月曜日に使用のため、次位に回送として連結して、重連で二条を発車するところ、先頭は、梅小路C57のなかで、絶対的な人気のC57 5、次位は煙で隠れてしまった。右手に広い貨物ヤードが広がっていて、ガスタンクも見えていた。左手にも引込線があり、ここは自動車の貨車輸送の積み卸し場で、「ク」が停車している(昭和46年1月)。

山陰本線ほど変貌を遂げた線区も珍しいと思います。50年前は非電化単線、一時間に一本程度、旧型客車やDCが侘しく走っていたものが、今や、複線電化、15分ヘッドで電車が走る、都市近郊路線になりました。前回の馬堀付近も新線、駅移転とすっかり変わりましたが、今回の二条駅周辺も、高架化、付近も再開発されて、劇的に変わったところです。馬堀へ行くにも、市内に住んでいた当時は、二条駅で乗り降りしたもので馴染み深い駅でした。時には、学校を終えて(サボって)、1系統の市電に乗って二条駅まで行ったこともありました。明治37年建築、和風の駅舎も風情がありましたが、ここでは、手軽な撮影地としての二条駅を見てみました。

こちらも、日曜日の1827レ、右手には「京都府経済連倉庫」と書かれた土蔵があったが、もう使われていない様子だった。いまは再開発された西口のバスプールあたり。▲▲この日も重連の次位は煙で隠れてしまったが、後追いでやっと姿がとらえられた。

ヤ-ドでは、吹田第一区のDD13による貨車の入換が行われていた。二条が貨物の取扱いを止めると、広大な遊休線となり、581系電車や貨車など、廃車解体待ちに利用された。

 五十年前に見た 当たり前の風景  -4-」への6件のフィードバック

  1. 自宅から歩いて5分の二条駅を取り上げていただき、ありがとうございます。
    昭和46年当時、千本通には市電が走り、朝夕にはC57も見られましたね。蒸機がいた頃はよく利用した駅ですが、写真は車両のアップばかりで、構内の様子はサッパリわかりません。ク5000がいた積み下ろし場や、京都府経済連の倉庫は覚えていますが、五条のガスタンクが見えたとは驚きです。背の高いビルも少なく、見通しが良かったのでしょう。
    昭和51年頃、しばらくバス通勤をしたことがあります。二条駅前から御池通を経由し、三条京阪へ行く15系統です。いつも二条駅前から多くの乗客が乗り込んできて、殺人的な混雑になりました。山陰線の列車は今と比較にならないほど少なかったのですが、到着直後はバスのりばには長蛇の列ができていました。車内では「馬堀で積み残しが出た」だとか、「千代川でも一杯やった」などの会話が聞こえました。園部辺りからの通勤客もいたようで、沿線の宅地開発が進められた時代でした。地下鉄東西線の開通は、山陰線沿線からの通勤客にとって、待ち遠しかったことでしょう。
    C57が重連になる日曜日の1827列車や、広かった二条駅構内の様子を懐かしく拝見しました。平成になって高架線の工事が始まった頃、ホーム西側の線路は取り払われ、ガランとした空き地が広がっていた風景を覚えています。京都府経済連の倉庫は比較的遅くまで残っていたように思いますが、あいにく写真はありません。
    もう貨物輸送は終わっていた時期ですが、タキ35000をつないだDE10を見かけました。平成3年7月のことでした。

    • 紫の1863さんを思い浮かべながら、二条駅のこと書いていました。私も撮影地としての二条駅だけでなく、再開発前の二条駅ウラには、知り合いもいて、付近の光景を懐かしく思い出します。朝のラッシュ時の二条駅の混雑は、私も経験しています。相当な通勤・通学者がいました。山陰本線は、当時でもそれなりの輸送力がありましたが、降りてから大変だったと思います。市電、市バスでは、二条駅前から乗れるのは限られていました。地下鉄の建設が待ち望まれていたことも理解ができました。

  2. 二条駅は、いつでも行けるので、結局行かなかった駅です。
    数少ない写真の一コマを見て下さい。

    • 米手さま
      いえいえ貴重な写真の連発、ありがとうございます。C51だけでなく、続く客車も興味深そうです。二条駅と言えば、以前、お召列車を撮るために、入場券で入って、対向ホームから撮られた写真も印象に残っています。

  3. 平成元(1989)年6月です。こういう見ているシーンの再現が好きで、鉄道写真から離れて、近代建築のグループに当時いました。

    • K.H.生様
      私も、この風景が大好きです。鉄道車両の扱いは小さくても、ホームの設備や乗客の姿から、季節と時代が感じられ、電化前の、のんびりとした雰囲気が伝わってきます。左にチラッと見える58系気動車は、急行「丹後」でしょうか?時計の針が6時半過ぎを指してますので、夕方でしょうね。想像(妄想?)を広げて、楽しんでいます。
      対向ホームのベンチですが、二条駅特有の形状をしていたこと、懐かしく思い出しました。手前に見える灰皿も、時代を感じさせてくれて良いですね。今では愛煙家にとって、鉄道は利用しにくい存在になりましたので‥‥。
      この時期ですと二条駅以遠の貨物列車は廃止されてましたが、石油類の輸送は残っていたのですね。そういえばタンク車の姿をよく見かけました。

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