美濃から尾張、三河へ(前編)

クローバー会の長良川鉄道イベントの様子は、すでに事務局から報告記事が掲載され通り、天候に恵まれ北濃までの初乗りを満喫することができました。事務局殿に感謝です。私は帰路、美濃太田で皆様と別れて太多線で多治見に向かい、多治見で1泊後、やはり初訪問の鉄路を巡ってきましたので、その様子をご紹介したいと思います。長良川鉄道には平成13年の年末に、単身赴任先の高崎から三原にクルマで帰省する際に関駅に立寄って、2軸車のナガラ1形等を撮っています。その際に元気なナガラ201も撮っていました。

平成13年12月29日 関駅にて ナガラ201

今回、美濃市駅に留置されているナガラ201に22年ぶりに再会できました。

令和5年3月11日 美濃市駅にて ナガラ201

ナガラ201は平成7年製ですが、平成31年には廃車?となったようです。車内をのぞきましたが、それほどは傷んでおらず、美濃市に留置されているのは部品取りのためなのでしょうか。

美濃太田で皆様にお別れを言う時間もなく、太多線ホームに向かい、遅れていた3648Dに乗って多治見に向かいました。太多線も無人駅が多く、無人駅では車掌が切符や運賃を受け取るのですが、1面1線の美濃河合駅で10分近く停車し、発車しないのです。交換駅なら対向列車待ちはよくあることですが、交換でもないのに何事かと思っていました。ようやく発車後、車内アナウンスがあり「お客様のセイサンのため」と言われ、「お客様のセイサン」が「精算」のことだと気付くのに時間がかかりました。どこから乗車したのか?とか、客が小銭の持ち合わせがなく、車掌も釣銭が無いとか、そんなやりとりが続いていたのでしょう。車掌としても無賃乗車を認めるわけにもゆかず、やむを得ないとは思いつつ、3両編成の列車で100人近くの乗客を待たせ、この延発で次の駅での対向列車も遅れるという、こんなことが日常茶飯事なのでだろうと思いながら夕闇が広がった多治見に到着しました。

翌12日は、まず中央西線で高蔵寺に向かいました。かつては古虎渓から定光寺にかけては庄内川の渓谷風景を楽しめましたが、今は長いトンネルで抜けてしまって風情がありません。高蔵寺駅では愛知環状鉄道の電車にすぐに接続です。愛知環状鉄道は初訪問です。愛環は国鉄時代に岡多線、瀬戸線として計画され、昭和51年に岡崎・瀬戸間が開通しますが、国鉄の分割民営化、トヨタ自動車の貨物輸送をアテにしていたのにトヨタは鉄道輸送に頼らないとか、紆余曲折の末、当初の「環状」構想は実現せず現在に至っているようです。

電車はMcの2100形とTcの2200形の2両が基本編成で、20編成40両が使われています。JRの313系と同等の仕様だそうです。全線高架、全線複線仕様で建設されていますが単線区間も多くありました。初乗りを楽しんでいると20分ほどで八草駅到着です。

愛知環状鉄道八草駅 2113+2213

八草で「リニモ」に乗換えです。リニモは通称で、正式名称は「愛知高速交通東部丘陵線」という日本初の磁気浮上鉄道(リニアモーターカー)です。2005(平成17)年に愛知万博へのアクセス鉄道として開業しました。全線8.9Km、終点の藤ヶ丘までの所要時間は17分です。

八草に到着した列車は、先にある渡り線に一旦引き上げたのち、戻ってきます。軌道は跨座式モノレールと同様に軌道全体がスイングして転線する構造です。

八草駅終端での転線の様子

引き上げ線でポイント切替え待ち

運転台からの眺め  運転台右側の大きな曲面カバーは手動運転時の操作パネル

全列車無人運転ですので、先頭で気兼ねなく景色を楽しむことができます。磁気浮上のために走行抵抗が少ないためか加速がよく、最急勾配60‰でも楽々登ってゆきます。

杁ヶ池(いりがいけ)公園駅付近

終点の藤ヶ丘は地下駅です。名古屋地下鉄東山線の終点駅で、乗換え駅ですがリニモは地下、地下鉄は高架上と乗換えに時間がかかり不評なようです。私は一旦地上に出て、歩いて数分の名古屋市交通局藤ヶ丘工場まで行ってみることにしました。しかし残念ながら、車両の写真が撮れるような場所は相当歩かねばならないようで、あきらめて門にある銘板だけを写して、再度リニモ駅に戻りました。

藤ヶ丘駅周辺の地図  点線が地下を走るリニモ 名古屋市交は大きくUターンして車庫へ

工場と研修所を兼ねている

再びリニモに乗って、愛環八草まで戻ることにしました。時刻は9時を過ぎ、お天気も良く、日曜日ということもあって、元の愛知万博会場、現在は「愛・地球博記念公園」に向かう家族連れがどっと乗り込んできて満員になりました。

八草で愛環に乗り換えて、次の目的地 新豊田に向かいます。

篠原駅で交換 複線用の路盤が続くが、単線区間も多い

NHKの大河ドラマ「どうする家康」のおひざ元とあって、車内にも派手なラッピングがありました。

「どうする家康」

新豊田に到着  Mcの2100形は基本的にはパンタは1基ですが、何両かは冬季の霜取用に2丁パンタ車がある

新豊田に到着の2000系

このあと、歩いてすぐの名鉄豊田市駅から名鉄三河線の終点 猿投(さなげ)に向かいますが、前編はここまでとします。後編をお楽しみに。

 

 

美濃から尾張、三河へ(前編)」への7件のフィードバック

  1. 西村雅幸様
    昨年11月14日に美濃太田に寄っていますが、昭和39年に訪問した時の機関区はその姿が全く消え失せていました。C11やC58それにC50がいたのですが、どこに行ったのでしょうか。場違いの感じがする美濃太田を見ました。翌日は古虎渓と定光寺のホームで撮影しました。デジカメの電池切れという失態でスマホで1日撮りました。私の生家の近くは土岐川ですが、古虎渓あたりから仰せの通り庄内川となり伊勢湾に注がれます。多治見工業の出身で梶本というピッチャーが阪急ブレーブスにいました。背の高い人で250勝くらいあげて名球会入りしていますが故人となっています。小学生の時にこの人と一緒に写真を撮ってもらって以来阪急のファンでしたが、今はその痕跡はオリックスにとどめています。キャッチャーには木織という人がいて尾道の出身でした。脱線しましたが、愛知環状鉄道までは撮影していますがその後のリニモは行ったことがありません。「どうする家康」は見ています。遠い所からのイベント参加と一人旅ご苦労様でした。

    • 準特急様
      いつもながら、ご丁寧にコメントを頂いておりながら返信が遅くなってしまいました。ご生家が土岐川だとすれば、中央西線は庭のようなものですね。美濃太田を過ぎて、木曽路に入って行き、寝覚めの床や上松の木曾森林鉄道、木曽福島にたむろするD51の様子を印象深く覚えています。

  2. 西村雅幸様

    愛・地球博記念公園に、最近ジブリパークができたようで、やはりそのお客さんでしょうかね。愛知は私の幼少期の故郷で、いまでも好きな土地です。後編も楽しみにしております。

    私、変わった乗り物が大好きで、リニモはもちろんのこと、名古屋ガイドウェイバスにも乗りました。小牧のピーチライナーは乗ろうと思った時には、いつの間にか廃止されていました。

    • 奈良の駅名研究家様
      コメントありがとうございます。リニモの車窓から移り行く景色を見ていると、トヨタ博物館もあり、道路もよく整備されていて、いかにもトヨタのおひざ元だという雰囲気を感じました。

  3. 西村様
    二回にわたる名古屋周辺の乗り歩き、楽しませてもらいました。私も鉄道旅を数知れずしてきましたが、所詮は、撮影に行くための移動手段でした。もう撮影意欲をかき立てる鉄道や車両がほとんどない今、“乗る”ことを主眼に、鉄道を楽しむ旅をしてみたいと思うようになりました。ただ乗るだけではなく、西村さんのように、車窓から観察しながら、歴史や由来を知ることが大事だと痛感しました。私も5月の北九州行きで、あれこれ考えています。

    • 特派員様
      北九州ツアーのプランを考え中です。1日目は小倉で泊まろうと何となく考えていましたが、丁度土曜日で、小倉駅近くのホテルは満室が多い上に、高いので小倉を避けて、翌朝余裕が作れる八幡泊にしました。
      2日目の貝塚解散後は香椎線の和白で1泊し、3日目をどうしようかと考え中です。

      • もうプラン中ですか。私はまだ何も考えていませんが、宿泊先だけは押さえておかなければと思っています。

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