古いハガキ

行方不明のネガを探して、魔窟に足を踏み入れました。
そこから多量の切符、家族写真(鉄道写真の探しているものは未だ発見できず)、駅弁の包装紙等などと共に、就職のため上京した年の年賀状が出てきました。大西友三郎先輩や吉谷和典先輩など、鬼籍に入られた方からの懐かしいはなむけの言葉に改めて感激しました。

その中に当会設立の第一世代である重澤崇先輩からの年賀状もありました。ところが発見したその日に重澤先輩から沖中先輩・湯口先輩の一周忌にまつわるハガキが来たのです。
これも故人のご縁と、ご了承を頂きここに掲載致します。

1968年1月1日

⇧卒業する私に「人生サルマネは禁物」と書いてくださいました。
このささら電車は一枚も撮ることが出来ませんでした。

2023年4月29日

⇧このハガキにあるED221を探しましたが撮ってはいませんでした。
その代わり福井鉄道のデキ3は、DRFC見学会で撮っていましたのでご覧頂きましょう。

古いハガキ」への7件のフィードバック

  1. 2005年10月25日に京福と福井鉄道の見学会に行った時のものです。
    見返すとこのハガキにある湯口徹先輩と沖中忠順先輩も元気に参加されていました。

  2. 乙訓の老人こと沖中忠順の一周忌法要を妙泉寺にて親族のみで執り行いました事、お知らせいたします。この日は忠順の誕生日でもありました。

    • 早いものですね。
      もう一年が過ぎました。重澤さんの言うとおり、あの世の鉄道でマスコンを握っておられることでしょう。
      “男は黙ってサッポロビール!”

  3.  両大先輩のご冥福をお祈り申し上げます。合掌
     沖中大先輩がもう一年になりますか。早いですね。
     福井鉄道本社横での電気機関車を重澤大先輩が撮影されたのは1951年ですか。私はふくいでヨチヨチしていた頃なんですね!
     サッポロジャイアンツ、ありましたね!思い出しました。下宿で皆で集まってお世話になったものです。
     

  4. さすがクローバー会ですね。検索すると、ED221が続々と出てきます。故・湯口さんは、近江鉄道時代の「1」を撮っておられました。入線直後なのでしょうか、「1」は貴重です。
    https://drfc-ob.com/wp/archives/4454
    いまも弘南鉄道で、冬期のラッセル用として生き延びているED221は、ぶんしゅうさんが毎年のように訪れて、いい写真をたくさん撮っておられました。
    https://drfc-ob.com/wp/archives/69111

  5. 一畑時代のED22 1を撮っておりましたので、お送りします。1971(昭和46)年3月16日の撮影です。電鉄出雲市を出て山陰本線としばらく並走する区間ですが、当時は重澤様の文面どおりまだ貨物営業が行われており、入換ではなく数両の貨車を引いて川跡方面へ走り去りました。現在はこのあたりは両社ともに高架化されていると思います。

    沖中様が亡くなられて1年になるのですか。子供の頃複々線区間を走る京阪電車を間近に見て育った私にとって、「私鉄車両めぐり 京阪電気鉄道」を中心になって執筆された沖中様は、まさに「京阪の生き字引」のような方でした。
    改めてご冥福をお祈り申し上げます。

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