ザグレブの鉄道とトラム

今年のホームカミングデーに発行する会報6号の原稿を会員の皆様にお願いしたところ、‘56年度生丹羽先輩より、会報の原稿に使ってくれとお手紙を頂きました。丹羽先輩は昨年亡くなられた沖中先輩、湯口先輩と同年代ですが、先日の長良川鉄道イベントにも参加され、最近も「ひだ号」の新車

ザグレブ駅にてHZ2044型
1981年EMD-GM製

HC85系を撮りましたと写真を送っていただきました。この他にも名鉄の昔話、20年以上前のブラックプールトラムの珍しい写真と記事も頂きましたが、クロアチアとザグレブトラムの記事はデジ青に投稿することで了解を頂きましたのでご紹介させていただきます。
また、この場をお借りして会報第6号への投稿をお待ち申し上げます。


クロアチアの旅から
2012年7月3日12時29分、私の搭乗したNH207便、JA781N(Boeing 777-300)は成田空港の滑走路を離陸し、私の旅が始まった。ミュンヘン空港で乗り換え、17時間の長旅の後、現地時間22時14分にクロアチアのザグレブ空港に着陸し、入国手続きと税関検査の後チェックインをした。ホテルの前にはトラムが走っているが、夜遅いのと疲れのため撮影は断念する。今回はツアーの団体旅行であるために自由に動けないので、朝早く起きて朝食前と朝食後ツアー出発までの一時をトラムの撮影に頑張る。トラムはタトラの連接車と二軸ボギー車それに2台車3車体(いわゆる駕籠かき)と3台車5車体の超低床車の4種類のトラムが使用されているようだ。団体バスでザグレブ市内の観光をし、昼食を済ませ、割と早い時間にホテルに戻ったので夕食までの間、クロアチア国鉄の駅まで歩いてトラムの撮影と駅で鉄道車両の撮影をする。クロアチアの首都ザグレブは人口が約77万人でトラムは1891年に開業、ゲージは1000mm、総延長は53.5km、19路線、車両数277両(いずれも202年現在)を誇っている。ゆっくりと撮影したいと思うが、団体ツアーで明朝はスプリト方面に出発し以後は線路を見ることなく終わってしまった。
↑ TMK2200型
クロアチア国産の路面電車で初となる超低床電車。コンソーシアム「クロトラム」によって開発された。現在ザグレブの主力車両↑ TMK2300型
同じ「クロトラム」製で短い三車体。現在2両が在籍(2020年現在)↑ TMK401型
1977年から導入されたタトラ製T4YU↑ TMK300型
1985年以降導入されたタトラ製KT4YU↑ 革命広場のTMK2200型

↑ ザグレブ駅前のTMK2200型

↑ HZ6111型
1976年~ ハンガリーGanz Mavag製
近郊用、落書きだらけの車両がよく見られる

↑ HZ6112型
2011年~ クロアチア国産Koncar製
近郊電化区間で使用

↑ HZ1141型
1968年~ スウェーデンASEA製でユーゴスラビア向けに作られたが、その後Koncar製の国産となった。2000年代以降も造られクロアチア国鉄の主力機

ザグレブの鉄道とトラム」への10件のフィードバック

  1. 丹羽先輩は生粋の名古屋人とうかがったことがあります。団体旅行とは言え旧ユーゴスラビアのクロアチアによく行かれたものと思います。お見せいただいた写真の中で気になるトラムがありました。昔は東欧諸国にはタトラが沢山見られました。丸っこいスタイルが好きでした。沖中先輩もドイツの路面電車を隈なく見てこられその時の網羅した路面電車地図をいただきました。私も神奈川県人のTさんやクモハ73東ウラさんと何度か訪欧して路面電車も撮りましたが旧ユーゴスラビアとブルガリアは行くことができませんでした。東欧圏のタトラですが、モスクワ、ドレスデン、ライプチヒ、プラハ、それに北朝鮮の平壌で撮りました。旧東ドイツの統一後ですが、小さな田舎町でもタトラを撮影することができました。トラバンタというオンボロの自動車もよく見かけました。丹羽先輩には名鉄や名古屋市電の話をお聞かせ願いたいと思います。拙作ですが2001年7月11日ライプチッヒ駅前のタトラを貼り付けます。

    • 随分前にブダペスト、ウィーン、プラハを巡るたびに参加したことがあります。
      丁度ビザなし入国に緩和される頃だったと記憶しています。
      トラバンタ、ブダペストで沢山走っていましたね。トヨタパブリカみたいでした。
      プラハを走るタトラ、見事に街並みに溶け込むデザインだと感じました。確かコニカミノルタの広告を纏った車両が沢山走っていました。
      ウィーンはベンツ、BMW、アウディがバンバン走り東西の落差を感じたものでした。

      • トラバントとタトラは東欧の町ではセットのようなものですね。トラバントはFRPのボディーでパタパタと排気ガスをまき散らして走っていましたが、40年前はなかなか手に入れるのが難しく、注文してから何年待ちだと言っていたのを思い出します。

    • コメントいただきありがとうございます。残念ながら丹羽先輩はネットをお使いにならないので頂きましたコメントはプリントしてお送りすることにいたします。
      タトラはいろんなところで見ましたが、どの形式になるのかもう一歩わかりません。撮られたのはT3シリーズでしょうか、やはり丸みを帯びたT4以前のものがいいですね。

  2. 大津の86様
    イベントや各種連絡等に奮闘され改めて御礼申し上げます。私もデジ青がうまく使えず苦労しておりますが、できるだけ参加しようと思っております。マルーンさんのコメントにあります通り、統一後でも西ベルリンだけは艶があるような西側の世界を感じましたが、旧東ドイツは遅れておりライプチヒ駅などは建物自体は立派ですが、中は薄暗くて蜘蛛の巣があるような感じでした。しかしその駅も急速にショッピングモールに変わっていきました。百塔の街プラハの初期のタトラを貼り付けます。タトラは大きく分けて2種類あったと思いますが初期の丸いタイプが好みでした。

  3. 事務局様
    タトラとトラバントは東欧の街でセットうんぬんはまさにその通りでした。私はトラバンタと思っていましたがトラバントの方が正解のようです。失礼しました。ところでベルリンの象徴ブランデンブルク門のあたりではトラバントのミニチュアに本物かどうか疑わしいですが東西を隔てた壁の小片がセットで売っていました。2003年1月1日元日にとある旧東ドイツの街で撮ったトラバントです。東ドイツ時代は数年経たないと手に入らない人気者(?)でした。今はEVで中国がトップに立つような時代です。変わりましたね。

    • 準特急様
      トラバントはベルリンの壁崩壊後製造されなくなりましたが、郷愁を誘う車として人気はあったようです。2003年にも走っていたのですね。私が2012年に旧東ドイツ地方に行った時にはさすがにもう見かけることはありませんでしたが、ベルリンにある東ドイツ博物館にはトラバントが保存されていて、中に入ることもできました。

  4. トラバントのミニチュアです。パッケージにはDETAILED SCALE MODELなんて書いてありましたが、本物と同様の質の悪いオモチャです。

    • ありがとうございます。いいものをお持ちですね。日本にもトラバントの会などあるようです。私は現地で見た時最初に出た時のサニーを思い浮かびました。

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