2014年 遥かなる東欧の旅 Part18 バルカン諸国一人旅 ザクレブのトラム2の2

第11日目 2月25日 その2
ザクレブ11:16(EN415)→17:32ベオグラード

8:17 国鉄ザクレブ駅前電停に立ち、これからどこへ行こうかとホテルでもらった市内地図と地球の歩き方を見ながら考えますが、今どこにいるのかぐらいしか分からず全体像が全く読めません。サラエボのように山に囲まれていませんので、視点が確かめられる目標物がありません。少し動くだけで東西南北が分かずの方向音痴になります。
こんな時はとにかくトラムに乗って移動することで糸口がつかめます。1番良いのは終点まで行って見ると、距離感がかなり分かってきますが、今日はベオグラードへの列車移動が決まっています。自ら探索できる時間は約2時間程度しかありませんので、トラム路線でも10系統が走行しているイェラチッチ広場を目指すことにしました。
00_ザクレブトラム路線図03_1イェラチッチ広場までは距離的にも約1.2キロと近く、わずか2電停先です。10系統(日中は7系統)も停まるのだったら大概のトラムは行くのだろうと勝手に思い込んで目の前のトラムに乗りました。
ただ手元で見ています路線図は簡素化した直線で描いてありますので、地図と合わせて見るには慣れが必要です。当然、理解が出来ていなく、頭の中でのナビゲーションも出来ていません。発車後、右に90度回ってから真っ直ぐに行くと思っていましたら、途中から左方向に90度曲がってしまいました。これではイェラチッチ広場に行きません。周囲の光景も気になりましたので、1電停で降車です。

00_ザクレブトラム路線図041412▲ 8:25 撮影地① 左に曲がってから上り下りの軌道は分かれて、それぞれ道路端の歩道側に寄ります。
左は2242連節車、後方続行の右は、445号先頭の2両編成です。

← この辺りは、官庁街?なのでしょうか。それらしき建物の中、337先頭の2両編成がやってきました。

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▲ 407+827(車両長;14,000㎜、CKD製の”Tatra”B4YU型)の2両編成。古都らしくゴシックやバロック様式の古い重厚な建物が続いています。

14▲ 205+730(車両長;12,600㎜、Duro Dakovic製のTP1Z型)の2両編成。2両がほぼ直角に近い曲がり方です。

2030▲ トミスラフ広場から見た国鉄サラエボ駅、その手前にトラムが走ります。
ここからは徒歩で撮りながらイェラチッチ広場へと向かう事にしました。

サラエボ駅前からイェラチッチ広場までのイリツア通り横には、トミスラフ広場、ストロスマエル広場、プリンスキー広場と綺麗に整備された公園が並びます。
また反対側には、歴史ある建築物が立ち並び、トラムが走っていなければ現代とは思えない佇まいを見せてくれます。京都との姉妹都市でもあります。

21▲ 8:34 イリツア通りは、狭い道路です。トラム軌道はここでも両端に沿って分かれて敷設されています。クロトラム2209連節車が行きます。

22▲ 8:37 撮影地③ 走るは1985年に投入されたタトラ301形の第1次車28組の連接車317号です。

2324▲ 8:41 旧市内を走るトラムはどこで狙っても写真になります。
1979年に投入されたタトラ401形第2次車の440と、同じ1979年CKD製の相棒トレーラー”Tatra”B4YU型861の2両編成がやってきます。

公園には桜?なのか、ピンクの花が満開です。
向こうをラッピング広告された316号連接車が行きます。

25▲ 8:46 1891年に建築された4つ星のパレスホテルザクレブ前を走るのは、2005年製の2229号連節車です。

26▲ 8:49 撮影地④ イリツア通りに唯一ある「Zrinjevac」電停。停車しているのは、タトラ428号先頭の2両編成です。

28▲ 8:54 道路の両側はトラムが走りますので、トランクから荷物を降ろしたりの停車は道路中央となります。日本では見かけられない光景ですね。走るは、タトラ432+836の2両編成です。

3132▲ 9:00 撮影地⑤ イリツア通りが狭くなってくると、イェラチッチ広場はもうすぐです。クロトラム2257連節車がゆっくりと坂を下りてきました。

広場の通りは自動車が入って来られない歩行者天国の道路です。
名産なのでしょうかリンゴ売り屋台が出ていました。

31_3▲ 9:03 撮影地⑥ 民族独立運動の英雄、イェラチッチ総督(1801 – 1859)の騎馬像(写真右)があることから名付けられたザクレブの中心にあるイェラチッチ広場です。広場を囲む建築物の多くは20世紀以降に建てられていますが、中世の雰囲気が伝わってきます。
横切るは、タトラ341連接車です。

31_431_2▲ 9:07 ラッシュ時刻ですが、電停で待つ乗客はおっとりとしたものです。急がず慌てずに乗車を待っておられました。

軌道分岐付近で工事をされていましたが重機は持ち込まずの人力作業です。カメラを向けると「どこから来たんだい?」と聞いて来られました。日本からと言うと「遠くから来たんだね」と驚いておられました。

33▲ 9:10 撮影地⑦ ラッシュ時とあって、クロトラムの集中運行が続いています。このイェラチッチ広場前は広い通りですが、中央の石畳にはトラムが走り、両側は段差のない歩道です。

35▲ クロトラム第1次投入車の2243連節車。 ▼ 第2次投入車の22124連節車
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38▲ 9:19 撮影地⑧ まっすぐ歩いていくと道路併用軌道のDraskovicevaに出ました。上は直角に交差する通りへと曲がるためにクロトラム2270連節車は、一旦カウンターを当てるかのように膨らんでいく軌道を走ります。
40▲ このようにして曲がっていくクロトラムです。考えたものです、これなら狭い通りにも入って行けますね。車両は、第2次投入車の22121連節車です。左の向かってくるのは22103連節車です。

39▲ 9:20 撮影地⑨ Draskoviceva電停。左で停車するのはクロトラム22107連節車、右は丘へと向かう22124連節車。それにしても邪魔な自動車の通行がありません。そもそも車が少ないのか、それとも公共交通優先の厳しい交通規制を引いているのか分かりませんが、これなら市内移動は楽で快適です。

42▲ 9:27 イェラチッチ広場ヘと向かう2230連節車が到着しましたが、もう待つ乗客はいません。
交通需要に合う以上に供給が確保されています。

43▲ 9:32 反対側からは、タトラ461+812の2両編成が交差点を渡ってきました。道路中央は駐車場になっています。

44▲ 9:37 人通りが増えてきたイェラチッチ広場に戻ってきました。自動車が排除された街は安全で環境もよく人が憩える空間です。どうして日本ではこうした光景が実現しなかったのかと考えさせられてしまいます。
京都市電全盛時代の祇園石段下、四条河原町や三条河原町等の繁華街に、土日や平日朝夕限定でも車排除の交通規制があったら良かった。もっと違った人にやさしい都市が形成されていただろうと思いました。京都と姉妹都市ザクレブから学ぶ点は多いですね。

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46▲ 9:45 撮影地④ サラエボ駅に向かって撮りながら歩きました。往路は公園側からばかり撮っていたようなので、復路は中世時代からの建物が続く反対側からです。代わっての世界がありました。
カトリック司教であり政治家だったストロスマエル司教が集めたコレクションを展示しているストロスマエル美術館をバックに走るクロトラム2229連節車。日本大使館は左手の公園向こうにあります。

49▲ 9:53 撮影地③ ArtPavilion前を行くクロトラム2257連節車

50▲ 9:56 ザクレブ駅が見えてきました。これでザクレブトラムの撮影は終了です。
今回のザクレブ訪問はサラエボからベオグラードまでの列車が運行休止しているとの事で、現地で決めました。何の予備知識もなく、ちょっと見るだけで良いだろうと軽く思っていましたが、こんなに美しい古都とは知りませんでした。できればもう2日ほど滞在してゆっくりと全線乗り鉄旅を楽しめたらと思いました。tramvaji

ZETのHPを見ますと今回見る事が出来なかった古いトラムたちが写っている写真の掲載があります。サラエボもそうでしたが車庫に行って見る価値はあったでしょうね。次回近くに行く機会がありましたら覗いてみたいと思いました。
インターネットでも情報が少ない旧共産国のトラムですが、行って見ると面白い発見があるのかと勉強になりました。次の機会には、頑張ってみます。

これから列車に乗ってベオグラードへと向かいます。ホテルに荷物を取りに戻りました。
Part19ヘ続く

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