モロハ50?

関三平先生が(?)マークをつけているので正式な車番では無いのかも知れません。クモロハ50となるのでしょうか。戦後の占領期には白帯のついた車両が多く走っていました。客車の優等車はすべてGHQに差し押さえられて将軍の名前をつけて東海道を上下していました。「戦争に負けたんや」と身に染み込まされた、とは父親の思い出話でした。たしか、湯口さんがいつだったかこの掲示板に客車の写真を出されていたように記憶しています。当時の列車を実際に見ておられるのは、佐竹さん、湯口さん、沖中さんしかおられません。皆さん、今度会ったら詳しく聞いておくことをおすすめします。

2 thoughts on “モロハ50?

  1. 進駐軍の客車を見ることは日本国民は不可能であった。それはMPが列車到着ホームに庶民を入れなかったからである。1度だけ1番ホームに紛れ込み展望車を見たことがあるが、車内を見た覚えはない。兄のお下がり自転車を父がパンク修理をしてくれた時だから、小学校4年(昭和23年)だ。その頃、3番線で折り返し運転していた省電に半室進駐軍専用車となっているのがあった。後にクロハ69となった白帯車で、001と002の2両だったと思う。私鉄では奈良電だけで1024号が専用車であった。MPが2人電車の入口に立っていたが、いつもニコニコ、車内に入っても追い出される事はなかった。高倉陸橋からは進駐軍列車を見下ろす事が出来た。ある日ワキ1形が小さな煙突から煙を噴き上げやってきた。客車内はハンモック、そこには兵士が自由な体形でくつろいでいる姿が見られた。後で駅員に聞いてみると厨房(司厨)車と言って、兵隊の給食の準備をするためだ、と教えてくれた。
    初めての東京電車見物の時、中央線で白帯車を中央線で見たように思う。いずれもクハ65だったと思う。クロハであったかどうか、覚えがない。

  2. 乙訓の長老様、
    やっぱり歴史の生き証人・長老様だけのことはありますね。私は時期的には見ることもできた年代ですが記憶がありません。長老様でも写真は無いでしょうね?
    須磨の大老様ぐらいでしょうか?

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