飯田線 乗って 降りて 歩いて  ②

中部天竜を歩く

本長篠の周辺探索を終えて、本長篠9:30発の天竜峡行き列車で飯田線を北上します。乗車列車は、待望の213系5000代車で、途中の中部天竜で20分の停車、これを利用して、駅周辺の探索を素早く済ませました。

 中部天竜今昔① 飯田線の運輸上の要衝で、かつて中部天竜支区もあって、電機、旧型電車で賑わっていたが、それも廃止され、跡地に設けられた佐久間レールパークも閉園されて、すっかり寂しい駅になってしまった。

乗車のクモハ213-5006ほかの2連、2扉の間には転換クロスシートがズラリと並んだ快適な車内だが、ここでも乗客ゼロ状態が続く。

中部天竜駅 「中部」は、天竜川の対岸にある地区名で“なかべ”と読む。以前は“なかっぺ”と読んでいて、中部天竜も最初は“なかっぺてんりゅう”と読んだ。対岸の地区名と天竜川の合成駅名となるが、駅の背後に広がるのは水場と言う別の集落となる。

昭和9(1934)年に三信鉄道の佐久間駅として開業してから、今年で90年を迎える。翌年に中部天竜となり、昭和18(1943)年に国有化されて飯田線、駅名の読みも、現在の読みとなった。

1991年に支区跡地に開設された佐久間レールパークは、一度行ったことがあるが、保存車両は名古屋のリニア館へ行ってしまい、2009年に閉園した。その跡地は、集合住宅のような建物のほか、空き地になっている。▲▲地方の街歩きをすると、必ず眼に入るのが、散髪屋と写真館だ、人気のない中部天竜駅前にも、扉を閉じた写真館がしっかり残っていた。 中部天竜今昔② 駅前の中部大橋には、かつて佐久間ダム建設資材を基地まで運んだ引込線が通っていて、以前は、左のようにレールがそのまま残っていた。いま行くと、アスファルトで固められているものの、まだレールが残っているのは明瞭だった。

 中部天竜今昔 かつて駅前には遠州鉄道西鹿島駅へ向かう国鉄バスが発着していた。その後、遠鉄バスに代わったが、それも廃止、現在は地域コミュニティバスが、西鹿島~水窪の遠鉄バス路線の途中の西渡まで行く便が残っているが、特定曜日のみの運転で、駅前にバスの姿は無い。

もうひとつ、佐久間ダムへ向かう共益バスも駅前から発着していた。保有台数2台の日本最小部類のバス会社だったが、その後、バスも撤退、佐久間ダムも周遊指定地を解除され、公共交通でも行くことができない、過去の観光地となってしまった。

 

 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ②」への13件のフィードバック

  1. モノクロの写真は自分が想像する。昔の世界線
    国鉄バス新旧塗装二台が佇む情景味と趣と風情と情緒を感じますスケルトンバスやドアミラー車がいないのが良い新日本紀行放送年代

    • 荒井さま
      わざわざコメントまで頂戴し、ありがとうございます。新旧塗装がうまく並びました。西鹿島行きの国鉄バス(天竜線)の本数、ダイヤを当時の時刻表で調べました。本数は一日4本、所要時間は2時間近く掛かる長距離路線でした。ダイヤから推察すると、左は15:49着のバスで、折り返し17:36発として待機中、右は16:40発で、乗客を乗せて発車直前のところのようです。

  2. 国鉄バス時代、1986年12月31日、遠江二俣駅の天竜本線、水窪町、中部天竜方面の時刻表です。
    この区間のバス路線は大正末期に個人経営で存在しており、その後、遠州鉄道の路線になりました。戦後の1946年に国鉄が鉄道敷設予定路線として、買収しましたが、2002年、赤字を理由に撤退し、再度遠州鉄道が、北遠本線として運行、2019年に遠州鉄道も赤字を理由に撤退し、現在は、水窪タクシーのマイクロバスで運行されています。
    国鉄バス時代の遠江二俣~水窪町間の運賃は、1470円でしたが、遠州鉄道になり、630円に大幅値下げ(その後690円に値上げ)、現在の運賃は、800円となっています。

    • 藤本様
      クローバー会旅行で、天浜線へ行き、まず西鹿島で遠州鉄道を撮っているところに、駅に到着したのが、お書きの水窪タクシーの浜松市自主運行バスでした。まどに「水窪町-西鹿島駅」とあり、飯田線の懐かしい地名に感慨を覚えました。

  3. 上と同じ日、国鉄バス遠江二俣営業所です。山間路線のため、バスは小ぶりです。

  4. 総本家青信号特派員様
    飯田線の写真を整理していましたら歴代の優等列車の画像がありましたので連投させていただきます。
    最初は、豊橋鉄道田口線と同日の1968年8月28日の中部天竜に停車中のクハ86形300番台を先頭とした急行「伊那」です。1963年3月に準急から急行に昇格しています。豊橋に向かってクモハ52形の普通列車に先行して出発します。

    • 2番目は「佐久間レールパーク」があった1995年11月19日の中部天竜に停車中の165系を使用した臨時急行「伊那路」です。

    • 最後は、2019年7月21日の373系の特急「伊那路」です。場所は本長篠の辰野方です。

  5. 中部天竜駅で撮影した写真です。
    1966年3月12日、クハ47071+クモハ51800、豊橋発平岡行です。
    豊橋を4両編成で発車して、三河河合で後ろ2両、クモハ61+クハ18を切り離しています。終点の平岡は、飯田市の経済圏であり、辰野発ならともかく、豊橋発の電車が何故ここが終点になるのか不思議に思いました。
    クハ47071は、快速用の湘南色で、その後土砂災害に巻き込まれて廃車されました。クモハ51800は、クモハ51042の低屋根改造車で、改造後暫く飯田線で使用されていました。

  6. 1966年3月12日、急行伊那1号、上諏訪行です。
    「急行伊那」と新宿行「急行こまがね」は、いつも混んでいるという印象でした。
    中央高速道路が開通して、高速バスの運転が開始された時、国鉄が対抗策を何も取らなかったことが、飯田線の衰退に繋がりました。

  7. 1970年11月22日、クモハ52004先頭の豊橋14時9分発辰野行です。辰野に21時2分に到着後、21時23分発飯田行となり、翌日、5時36分発の初発の豊橋行になります。水窪以北に行く唯一の貫通4連運用で、流電クモハ52もよく使用されました。

  8. 1966年3月12日、クモニ13026です。
    貨車(ワフ、またはワム+ワフ)を牽くため、連結器は自連でしたが、撮影した日は、貨車は連結されておらず残念でした。

  9. 1970年11月22日、サエ9320です。
    元伊那電鉄サロハユニフ101→サハユニフ101で、1952年に救援車に改造されました。

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