山室昌夫君を悼む

山室昌夫君が亡くなった。
山室昌夫君は1966年文学部に入学した。その時に鉄道同好会へ入会したと思う。「・と思う」というのは当時の彼に記憶がないのだ。
私の二年後輩である、という程度だったのだろう。
その後、室町BOXで京阪グループの一員として阪急グループと口角泡を飛ばして激論を交わしていた頃から記憶に残っている。

夏休みに東北を旅行するときに同行している。
このときに記憶に残る出来事があった。
下北半島のユースホステルで朝テレビをつけると、京阪本線土居信号所で脱線事故があったという。それから数日間、彼が落ち込んでいたのを覚えている。
その後も合宿など数回旅行を共にした。

しかし、卒業後は会うことはほとんど無かった。
EVEやホームカミングデーなどへの出席が少なかったように思う。
彼との交流を再開したのは卒業後数十年経ってからだ。

ある時彼が一人で全国を旅していると言うのを聞いた。
それなら一緒に連れて行ってくれないか、と提案したら即座にOKしてくれた。彼の「わらくろやツアー」の名称はこの時に付けたものだ。
「わらくろや」は、彼の就職先が『和楽路屋』という地図会社だったことに由来する。恥ずかしいことに、当時、私はこの地図会社を知らなかった。『わらじや』と読む事も知らなかったのだ。
以来、彼を「わらくろや」と呼んでいたが、彼はそれを面白がってくれた。
おなじ旅をするならと、K氏とS氏も誘い、ボックス席を占領できる4名で「わらくろやツアー」を発足させた次第である。

山室君は非常に緻密で博識、それに今までの旅行で培った各地における交友関係が広く、行く先々で歓迎してくれる地元の方々がいて驚いた。おもしろかったのは彼が立てた予定の列車の混むタイミング、すくタイミングまで予想通りに行くことだった。『ここの駅には◯◯高校があるが、越境通学者がいないので二駅先でほぼ空になります』とか、『今日泊まる旅館には温泉がないけれど、20分ほど歩けば共同温泉があるのでそこを使います。その代わり食事はすごく美味しいです』など、さすが「わらくろやツアー」と言わせる玄人はだしの組み立てであった。

彼はいつも旅行の1ヶ月前までに利用列車の号車と座席を指定してきて、各自一斉に購入するよう指示した。我々は1ヶ月前の10時にみどりの窓口に並んでそれを購入した。

ある時、上越線の土樽・土合・湯桧曽へ行こうと決めて1ヶ月前が近づいてきた。しかし彼からの指令が来ない。どうしたことかといぶかっていたが、1ヶ月を割っても連絡が無いので電話をしたが出ないことから山科警察署へ電話をして調べて貰った。
その結果、近所の方が倒れていた彼を発見して病院へ運んだことを知った。

倒れて四日ほど経過していて、あと一日も遅ければ亡くなっていたと言うことだった。脳梗塞だった。

その後、施設を転々とさせられ、面会も家族のみと言われて叶わなかった。
一度だけ最初に入った上久世の施設では会うことができ、言葉は不明瞭だったが話すことができた。
彼は「旅行ができずに申し訳ありません」を繰り返し、予約している旅館へのキャンセルを頼んできた。律儀な彼の性格は最後の瞬間でも健在だった。

天涯孤独(遠い親戚はあったようだが)の彼の最後のひとときに付き合ってやれなかったのは慚愧に堪えない。

7月20日19:12発の列車で彼は旅立った。

合掌

彼と旅した想い出の風景をたどりたい。

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山室昌夫君を悼む」への2件のフィードバック

  1. 米手作市さま
    山室昌夫さんのご逝去は残念の一言に尽きます。ただただご冥福をお祈りするばかりです。でもこうして追悼の言葉を掛けて戴き、彼もきっと喜んでいるのではないでしょうか。
    私は彼とは同学年でした。私がDRFCに入会したのは後期始めの9月でしたが、彼との活動についてはやはり明確な時期の記憶がなく、京阪連として議論に参加した頃からのお付き合いだったと記憶します。そうして準特急さん達との議論に仲間として一緒に立ち向かっていましたが、3回生の1969年頃から当時ピークを迎えていた学生運動についての見解の相違から次第に対立するようになりました。当時のクラブの3役は会長がY川さん、副会長が小生、会計がぷるぷるさんでした。会としての基本的な考えは、思想信条の自由を尊重して学生運動には一定の理解はするものの、部内ではノンポリ君も居るため「部内でのオルグ活動は認められない」ということで対応、連日連夜彼らとの議論や対応策の相談に明け暮れたものでした。それ以来彼に会うこともなくお互い卒業~就職もあって疎遠になりました。
    それから半世紀、彼が企画してくれた三江線廃止直前のツアーに参加、初めはぎこちない感じでしたが次第に雰囲気は1969年頃に戻り、かつてのわだかまりも氷解して、あの頃はお互い若かったなあなどと会話が弾んだことをつい先日のように憶えています。
    身内の方は既に亡くなられて居られないと聞き及んでいましたので、一人での闘病生活はさぞ大変だったでしょうが、よく頑張られました。我々との楽しかった想い出を胸に旅立たれたならいいのですが、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。 
                              合 掌

  2. 山室君が逝ってしまった。
    米手さんの追悼文を心して拝見しました。
    7月24日朝、桂で告別式。酷暑のさなかの朝早いお別れ、暑さへの彼の配慮でしょうか?
    クローバー会の5人が最後のお別れとお見送りをしました。
    彼のお顔を見たら、思わず「しんどかったやろうな!頑張ったな!いろいろお世話になって有り難う!何にも役に立てずにごめん!」と言葉が出てきました。
    辛い病気なのに、本当に何の役に立てずに空しい気持ちが残ります。
    ワラクロ屋ツアー、楽しかったなぁ!
    充実した旅の企画、本当にお世話になりました。
    久世のハウスで15分だけお目にかかった際、旅への思いが彼の頭の中を駆け巡っていることが伝わってきました。
    彼の明るさ、緻密な企画力、人好き、面倒見の良さ、積極性・・・残念至極です。
    心からご冥福をお祈りします。  合掌

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