少し前の流鉄(旧流山電鉄)

引続き、現役時代の昭和43年4月8日、初めて訪問した時に撮影した画像をお目にかける。当時の在籍車両はモハ5両、クハ2両の計7両で、当時途中交換可能駅がなく、運転間隔を30分以下につめることができず乗客数に応じて、単行、2連、4連で運行されていた。

モハ100形(101~103、105)

南武線の前身、南武鉄道のモハ100形で、大正15年に101~106、昭和3年に107~111、昭和6年に112~115の15両が汽車会社で作られた。昭和19年4月1日付で青梅線の前身、青梅電気鉄道と共に買収されたが、車両の形式車号はそのままであった。流山には昭和24年12月26日の電化時に101~103の3両が入線、昭和30年にモハ105が入線した。各車両の経歴は画像のキャプションの通りである。

モハ101/前身は昭和3年製モハ107である。

 

モハ102/前身は昭和6年製モハ115である。

 

 

モハ103/前身は大正15年製モハ106である。

モハ105/前身は昭和6年製モハ113である。昭和24年12月電装解除されサハ代用となったが、昭和28年6月の改番で、片運のクハ6002となり可部線で使用されていた。入線時に手持ち部品で再電装と両運への復元が行われた。

クハ51/飯田線、豊橋~大海間の前身、豊川鉄道のクハ62が前身で、昭和2年川崎造船製である。昭和28年6月の改番で、クハ5601となり可部線で使用されていたが、後に福塩線に転属、昭和34年3月に廃車となり、翌年3月に入線した。

モハ1001+クハ52/西武池袋線の前身、武蔵野鉄道のデハ1321とデハ1323が前身で、共に昭和2年日本車両製である。昭和38年3月にまずクハ52が入線し、12月にモハ1001が入線した。常時2両ペアで使用されていたが、完全な固定編成ではなく、クハ52は元京浜急行クハ480形の車体を利用して作られたモハ1101と組むこともあった。また、クハ52は車体更新時に窓の2段化とアルミサッシ化が行われた。

 

サハ31(廃車)/昭和8年汽車会社で作られたガソリンカー・キハ31が前身。昭和24年頃にエンジンを降ろしサハとして使用されていた。昭和38年5月に廃車されたが、訪問時には休憩室として使用されていた。その後も解体を免れ、現在は流山運動公園で保存されている。エンジン他機器が全く付いてないが、戦前製の単車ガソリンカーの生残りとして貴重な存在である。尚、流山運動公園は流山駅から歩くと30分程かかるが、つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅からは10分位である。園内に入ってから場所がわからず探し回ったが、テニスコートの直ぐ後ろの森の中にある。以前は車内にも入れたようであるが、現在は、隣に展示されているD5114のアスベストが飛散する恐れがあるとかで、柵の中に入れない。

少し前の流鉄(旧流山電鉄)」への1件のフィードバック

  1. 汽車製造のガソリンカーが残っているとは。
    北九州鉄道のジハを思い出しました。
    D51なめくじより珍しいですね。
    アスベストとは、負の遺産なんでしょうが。

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