アンニョンハセヨ チョヌン準特急ラゴハムニダ
前回、慶州の蒸機ミカサ他を発信しましてしばらく経ちました。多少痴呆が始まっており、前回は1970年4月で報告しましたが、正式には1971年4月22日から26日までの訪韓でした。謹んでお詫び申し上げます。さて、今回は4月23日慶州からバスで東大邱に出てソウルに向かった時の駅等の様子を載せました。
1971.4.23 慶州駅構内で入れ替えをするミカサ120
1971.4.23 ミカサ120 ナンバープレートはハングルでミカ3と読める
1971.4.23 大邱は韓国の大都市のひとつだが、東大邱は何も無く、駅だけが新しかった。ミカサのテンダーには石炭らしきものは見られず重油炊きなのでしょうか。
1071.4.24 東大邱駅の釜山行き特急 駅舎は新しいが賑わいが無かった
1971.4.24 同列車出発 後部客車
やっと再開してもらえましたな。
それにしても昭和46年に、よくもこんな所でこんな写真を撮れたものだと感心します。
東大邱の駅は今も変わりませんがこのホームにKTXが乗り入れています。
当時のセマウルにはマニ20のコピーが繋がっていたのも面白い。
私がこの駅のホームに降り立つのはまだ十年を待たねばならない。
準特急さん、ありがとう。
米手作市様
早速の超特急でのコメントありがとうございます。客車の鬼と言われた作市様、やはり、目の付け所が違いますね。米軍が持ち込んだと言われている25メートル級ダブルルーフの客車も撮りました。それでは次回はその客車等々を用意します。また、前回に少し載せました水原のナローは客車、気動車含めて用意します。これはこの世界の先達に解説してもらわんと小生には手に負えません。 それとぶんしゅう旅日記とか言う中国語の堪能な方が中華民国台湾省を荒らしまわったとかの報が入りました。お元気ですね。この方面も1967年の学生時代に行った時の記録をそのうちに用意します。作市様の様な知識はありませんが、その時にはスハ32やオハ35のようなのが台北の当時の地上駅でもゴロゴロしてましたし、それらをC57、D51、8620およびDLが牽いていました。
準特急様へお願い
聞けば次回は水原の、いまはなきナローとか。居住まいを正してうがい手水に身を清めてから拝見するとしましょう。
その時に写真サイズをもう少し大きくしていただけないでしょうか。
横サイズを600ピクセル~800ピクセルぐらいにしていただけると写真をクリックすれば大きくして見られます。スキャンサイズの変更をお願いする次第です。