慶州、東大邱に続き今回は水原、ソウルの鉄道風景を紹介したい。水原はナローゲージの鉄道が見られたが、これは次回としたい。数年前に水原まで乗り鉄したが、通勤電車が走っており、風景の激変に驚く。この1971年はまだ、夜12時以降は外出禁止令が出されていた。日本では東京都知事は美濃部さんの時代であり、韓国の年配の方は、それを非難し、反共色が強かった。水原駅前には韓国鉄道近代化のあるべき姿のひとつであろうか日本のブルートレインがPRボードに見られた。韓国は客車列車が多く、台湾などと同じようにアメリカGE製のディーゼル機関車がブンブンと大きな音をたてて走っていた。客車の一部には25メートルくらいある米軍が持ち込んだと言われるダブルルーフの客車も結構見られた。
水原付近の風景は30年前と現在の山科の差より大きい。
特にソウル北方の高架橋よりの眺めは驚く他はない。大きい建物と言えばソウル駅の他には建築中の駅前ビルがあるだけ。でも駅前の高架道路がこの時すでにあったとは知らなかった。列車は京議線の議政府行きだろう。今は気動車が走っている。
ところでいつも不思議に思うのは準特急先生はこの時期に線路端でカメラを構えていてどうして捕まらなかったのだろう? 戒厳令下の韓国は準戦時状態なので特に道路・線路・空港の撮影には厳しく神経質になっていた。先生がこんなに写真を撮れたのはきっとウラがあると小生はにらんでいる。次回はこの謎を解き明かすべく訪韓する予定だ。
田野城喬様
毎回、興味を持って見ていただき有り難うございます。前回も写真の説明欄が乱れたり、書き直しの方法がわからず、今回もスキャンと圧縮の終わった5枚の古写真を載せるのに1時間半かかりました。それでも今回もこのようにコメントをいただき大変嬉しく思います。
さて、線路端の撮影について、当時は基本的に共産圏の国は軍事秘密に属するものは撮影禁止と聞いておりました。鉄道・港湾・空港等はこれらに含まれます。ソ連の上空を旅客機が飛行する時は窓のカーテンを閉めるように言われたと人から聞いたことがあります。今でも、中国大連空港着陸の際には時々撮影禁止のアナウンスがあるようです。自由主義陣営でもイアリアは基本的に鉄道撮影禁止と聞いたことがあり、撮影後、住民の通報で取調べを受けたことがあると言う話を耳にしたことがりあります。韓国につきましては、全くそのようなことは気にしておりませんでした。と申しますのは1967年に台湾の鉄道を撮影しましたが、当時の台湾は正しく準戦時状況下にあるにもかかわらず大変親切に撮影につきあってくれる台湾鉄路局に勤める本省人がいました。戦車を積んだ貨物列車は撮らないように言われたことを覚えています。この4年後の訪韓で特に気にもしませんでしたが、今から思うとトラブッたら大変でした。慶州は日本軍に所属した日本語べらべらの人が付き添ってくれました。水原のナローは事務所に申し出ました。ベルリンの壁崩壊後、東欧圏でも撮影しましたが、何となくうっとうしかったです。ポーランドは今でも現役の蒸機がヴォルスティン機関区に所属して、観光的に営業しておりますが、そのポーランドで新品のペンタックス67を見回り中の警察に持っていかれ、事情を話して取り返したことがあります。現在、一番厳しいと予測される北朝鮮はガイド付きの隔離旅行で監視つきのため、そのようなトラブルはないようですが、平壌駅は禁止、路面電車はOKで車庫まで案内されました。インドネシア等でも電車基地などは金を要求されることが多く、海外に出かけると日本では考えられないことがよくあります。日本では線路の中に三脚をはみ出して撮影する輩がおりますが、これは金で解決できないことないことになり、一番怖いことです。もっと恐ろしい目にあったことがありますが、その話は機会がありましたら披露します。