北陸鉄道に引続き、1958年上田丸子電鉄シリーズが始まり、貴重な画像をワクワクしながら拝見させていただいております。特に「びわこスタイル」のクハ252の写真は見たことがなく、本邦初公開ではないかと思います。
湯口先輩が疑問を呈しておられるサハ28について、私の知る範囲で書いてみたいと思います。湯口先輩が仰せの通り確かにパッと見はガソリンカー改造車に見えますが、書類上は昭和33年6月自社製の新製車となっています。実態は昭和31年6月に廃車になった江ノ電(当時の正式社名は江ノ島鎌倉観光)201の廃車体を購入し、モハ3223に車体を流用したサハ25(元飯山鉄道キハニ5)の台車を組合せて作られた車両です。(11月23日付【10474】1958年上田丸子電鉄で記述されておられる通り)ならば江ノ電の201とは何かということになるのですが、昭和11年に新製された夏季専用の納涼車の車体を、昭和24年東急車両で一般車に改造したもので、僅か7年で廃車になっています。江ノ電時代の201の写真は見たことがありませんが、車体の下部の切れ込みから、扉が両端にあったこと、写真では判りにくいですが扉を埋めた溶接の痕跡、車端の縦長の窓は、確かに元江ノ電の車両であることを示しています。201と同じく納涼車改造の202の写真はRP誌「私鉄車両めぐり・江ノ島鎌倉観光」に掲載されています。
参考までに江ノ電の車両も貼っておきます。
107、110 昭和45年3月12日 極楽寺
いずれも昭和6年川崎車輌製であるが、主電動機が107は37.3kw×2、110は44.7kw×2である。車端に縦長の窓が設置されている。
【番外】電動貨車2 昭和45年3月12日 極楽寺
元東急のデト3011(大正11年汽車会社製)を昭和22年に購入したもので、当初荷台に乗客を満載して営業運転をしたこともあると言われている。昭和45年3月31日付けで廃車されたため間一髪でセーフであった。
これはすごい!。眼から鱗が久々に落ちました。
両端部の切り欠き下がりは確かに、気動車のそれではなく
トラムのものですね。
こういう実例は横荘線の都電改造トレーラーしか
無かったのでは。
扉位置の変更は想像がつきました。
浅い屋根は気動車と路面電車でもほんの一部でしょう。
大抵初期鋼製車は一段下降窓なので、これは気が付き難かった
ですね。
久しぶりに興奮しました。
タイミングよく、鉄道ファン598号(2011-2)に関田克考氏「江の電100周年に寄せて―1950年代のポール時代をふりかえる」の連載が始まりました。納涼電車改造の201、202共写真があり、窓配置から見ると、201は扉間の窓が2個ずつセット―窓2個毎に柱が太くなっています。202の方は妻寄りの小窓もさりながら、2枚折り戸を窓に、続く窓2個の部分に新たに引戸を設けたとすると、上田丸子サハ28に「より近く」なるんじゃないか、と考えましたが、いかがでしょうか。勿論車籍や書類での経歴などを無視した、まったく「非電車屋」の感覚的な判断ですが。
なお関田氏(先日某忘年会で2日間ご一緒したばかりですが)は、どちらかの車体が上田丸子で再起したことには触れられていません。近くご本人に直接伺ってみようとは思っています。
申し訳ない。老眼のせい(にしておきます)で、202も窓2個ごとに柱が太くなっているのを見落としていました。これは納涼車時代の幅広窓というより、屋根を支えた柱(窓ガラスはない)を、単に二つに割ったんでありましょう。と考えると、種車は201であってもおかしくないわけです。藤本哲男さま、大変失礼を申し上げました。老人の早とちりをご寛容下さい。